閑話~公爵子息の初恋事情~
俺が彼女と初めて会ったのは彼女が七歳、俺が九歳の時だった。
出会いはありふれたもので、お互いの第一印象は「最悪」だった。
一歳年上のルーカス=ヴィッツとは士官学校で知り合い、意気投合した。彼の人を選ばず、歯に衣着せない物言いを俺は気に入っていた。
貴族の男女が一定の年齢になれば通う「学園」は廃止されていたが、古くからある士官学校や技術官学校はその専門性もあり、存続していた。未来の文官、士官、技術官の早期からの育成、という目的がはっきりしていたのが幸いしたのかもしれない。
彼に誘われてヴィッツ伯爵邸を訪れた時、自慢の妹だと紹介された彼女はルーカスの服を掴み、彼の後ろからひょっこり顔を出し、にたーっと口角をつり上げて笑った。
その何かを企んでいるような、不気味な笑顔が実は不器用な彼女なりの愛想笑いだと知ったのは大分後の話だ。
レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢はよくも悪くも、不器用な女の子だった。当時の彼女には今のように悪い噂はなかったし、派手なルーカスと比べると地味だった。チビで目付きは悪いが、取り立てて目立つところのない平凡な女の子、が当時のレイチェルに対する周りの評価である。
当時の俺は鼻もちならない傲慢な子供だった。何をやらせても、それなりにできる俺は要領の悪い彼女を見下していた。何より、彼女の不格好な笑顔が俺の燗に障り、気に入らなかったのが大きい。彼女が俺に興味を示さなかったのもある。
レイチェルの表情を動かしたくて、その日から俺はルーカスの家に遊びにいく度に子供っぽい嫌がらせをした。
蛙の卵を取ってきて彼女の服のポケットに入れたり、蛇の脱け殻を彼女の私室の机の引き出しの中に忍ばせたり、おめかしした彼女の格好を「ダサい」と馬鹿にしたこともある。
彼女は表情を歪めるだけで、全く怒らなかった。俺が嫌がらせをする度に諦めたような顔をする。代わりにルーカスが凄い剣幕で俺を怒った。
「ティルは何で、レイチェルを目の敵にするんだ」
普段の俺は他者を見下すことはあれど、彼女以外には幼稚な嫌がらせをすることはなかった。彼女だけが特別だった。
「彼女を見ていると、何だかイライラするんだ」
何が、とは言わない。レイチェルは俺がどんな嫌がらせをしても、動じない。それが面白くなくて、何をしても俺のことを全く見ないのがもどかしかった。彼女は何も欲しがらない、聞き分けの良い女の子だと聞いていた。
ちょうどその頃、彼女の友人に色々な物を奪われ、彼女に関する悪い噂が流れ始めた。彼女はそれを黙って受け入れた。
彼女の友人が俺に目をつけなかったのは俺がレイチェルに対して幼稚な嫌がらせを繰り返したからだろう。「お金持ちで容姿が整っていてもお断りだわ」とはっきり顔に書いてある彼女に、こちらこそ性格の悪い女は願い下げだ、と思ったものだ。
俺の彼女に対する態度が軟化した切っ掛けは些細なことだった。あるお茶会で俺は体調を崩していたこともあり、大きな失態を犯した。日頃の行いが悪かったせいか、周りは失笑したが、彼女だけは笑わなかった。一番俺から被害を被っていたというのに、一人だけ「大丈夫ですか?」と気遣うように言った。俺の顔を覗きこみ、熱があるらしいと気づいた彼女はハンカチを水で濡らしてきて、俺の額に当てた。その後、ルーカスに俺が体調を崩しているようだ、と伝えて、家の者を呼んできてくれた。
俺は今までの自分の行いを恥じた。自分より弱くて地味だと思って見下してきた女の子は俺の体調の変化に気づき、優しく接してくれた。あんなにガキ臭い嫌がらせばかり彼女にしてきたにもかかわらず、だ。
その日以降、俺は彼女のことを以前にも増して、目で追うようになっていた。
目で追うようになって、気づいたのは彼女の視線の先にはいつも、二人の少年がいるということだった。一人は従兄の「グウェンダル」、もう一人が「カイル」だった。
カイルは地味で冴えないと見下していたルーカスの友人の一人だった。彼とはルーカスを間に挟んで、少し付き合いがある程度だった。
カイルを追うレイチェルの瞳は彼に恋していると物語っていた。なぜ、こんな人が良いだけが取り柄の冴えない男に、と思った時、自分のせいだと言うことに俺は気づいて放心した。
俺がレイチェルに嫌がらせをして、彼女を慰めるのがルーカスとカイルの役割だった。俺は過去の自分の行動をひどく後悔した。やり直せるものなら、やり直したい。
彼女は覚えていないだろうが、実は彼女がカイルに告白するために新調したドレスを試着する場に俺もいた。カイルに貰ったという髪飾りをつけて、普段と違って柔らかく笑う彼女を見て、俺は激しくカイルに嫉妬した。
家格、容姿、穏やかな気性すべてがお似合いの二人だった。上手くいけば、婚約してしまうかもしれない。婚約してしまえば、俺の想いは諦めなくてはならない。
焦った俺はレイチェルに告白することを決意した。行き当たりばったりだった。伯爵邸の花壇から一番綺麗な花を引っこ抜いて、俺は木陰で読書をする彼女の前に立った。
「君みたいな地味な女、本当はごめんだけど、君がどうしてもって言うなら、俺の妻にしてやってもいい」
ふん、とぞんざいに言って、彼女の目の前に抜きたての根っこと土のついた花をつき出す。ムードの欠片もなく、ひたすら上から目線の告白。それが俺の初恋で、人生で初めてのプロポーズだった。
そんな告白は当然、上手くいくはずもなく…。視線をあげたレイチェルは苦笑いを浮かべた。
「笑えない冗談はやめて下さい。相変わらず性格悪いんですね。女の子をからかうなら、もう少しましな言い方を覚えた方がいいですよ」
いつもの悪戯だと思われて、本気にはしてもらえなかった。その後、一緒に庭師に謝りに行き、抜いた花を花壇に埋め直したのは苦い思い出である。
彼女が失恋したと知って、胸を撫で下ろした。カイルが選んだのが件の彼女の「友人」だと知って、見る目がないやつだ、と思った。
カイルにフラれた彼女だったが、だからといって、俺を見ることはなかった。彼女は相変わらずカイルを忘れなかったし、彼女の隣には「グウェンダル」がいつもいた。
彼はいつも、彼女に自然に触れる。彼女が自然体でいるのは「グウェンダル」の前だけだった。彼女が出席するお茶会などのエスコート役はルーカスや彼女の父親でない時は決まって彼だった。俺は彼にも嫉妬していた。彼が彼女の最有力な婚約者候補だったのもあるのだろう。
彼女はある時、ダンスで大失敗をしたらしい。さんざんパートナーの従兄の足を踏んで、馬鹿にされたのだ、とルーカスから聞いた。
彼女に会いに行くと、いつもより更に落ち込んで見えた。
「ダンスは得意だから、良かったら俺が教えようか?」
できるだけ優しく笑いかけながら、俺は彼女に手を差し出した。彼女は俺の手を警戒するように眺める。
俺なら彼女の失敗を笑ったりはしない。彼女を上手くリードできる自信はあった。パートナーが失敗するのはそいつのリードが下手なこともあるのだ。
ダンスのレッスンを口実に彼女に触れたいという下心もあった。
「遠慮します。だって、あなたも馬鹿にするでしょう?」
俺の申し出を彼女はあっさり断った。過去の行いで俺の信用は地に落ちていたから、彼女が相手にしてくれないのは無理もない。だけど、「グウェンダル」とは踊ったくせに、という恨みがましい思いになる。他の男には触らせるくせに、俺にはそれを一切許さない。そんな彼女に思いは募る一方だった。
俺の最初の婚約が決まったのはその直後だった。ハーレー侯爵に押しきられたのだと両親に聞かされた時には既に婚約の口約束は終わっていた。
その後、俺はルーカスに釘を刺された。今後ヴィッツ伯爵邸に通わないこと、レイチェルには会わないことを約束させられた。
「婚約者のいる男が他の女にご執心なのは体裁が悪い。お前がレイチェルに本気だとしても、だ。可愛い妹がお前の愛妾になるつもりだとか、略奪愛を企んでいるとか、そんな悪評が年を経ると共に流れるだろうよ。俺はそんなのは耐えられん。いずれにせよ、現状で正妻にできないなら、お前にレイチェルをやるつもりはない」
目の前が真っ暗になった。好きな女の子に触れるだけでなく、会うことも、遠目に見ることさえも叶わなくなった俺は内心でやさぐれた。
ルーカスの言い分もよくわかった。彼女はまだ八歳だ。それなのに、たとえ噂でも、そんな酷いものが流れるのは望ましくない。
婚約者のハーレー侯爵令嬢とは非常に気があった。彼女には野望があり、最初から俺と結婚するつもりはなく、他に好きな男がいる、とあっさり白状された。だから、俺も彼女にレイチェルのことを話した。彼女は呆れたような顔をして言った。
「ないわー。それでも、あんたに普通に接する、そのレイチェルってどんだけ天使なの?そして、あんたの気持ちが重い」
意を決して話したのに全否定されてショックだった。
「いい?大概の女の子は優しい王子様みたいな男に弱いのよ。レイチェルがカイルに曳かれたのは当然の流れね。だから、あんたがやってきたことは逆効果だし、とうに嫌われて口もきいてもらえないのが普通だわ。あんたは頭は良いみたいだけど、馬鹿よね」
「それについては時々壁に激しく頭を打ち付けたくなるくらいには後悔している。でも、最初はそんな風に思うようになるとは思ってなかったんだ」
俺の言葉に彼女は呆れたような顔をした。
「あんた、馬鹿なの?自覚なかったの?あんたは最初からその子のことが好きだったのよ。むしろ、好きじゃなきゃわざわざ気を引くための嫌がらせなんてしないじゃないの」
凄い剣幕で彼女ににじりよられて、俺はたじろいだ。
「いいこと、ティルナード?好きの反対は嫌いじゃないわ。無関心よ。あんたは最初からその子のことを好きだったのよ」
彼女に言われて、呆然とした。そうか。だから、あんなに彼女の瞳に自分が映らないことに苛立ったのか。
「いいわ。あんたは女の子の扱いを知らないみたいだから、私が目的を達成するまでは協力してあげる。その代わり、あんたも私の計画に協力しなさいな」
悪い話ではないでしょう?と彼女は悪い顔で笑った。
「計画?」
内容を聞いて、びっくりした。ハーレー侯爵は真っ黒だった。彼女の父親は多額の献金をして、宰相と癒着、更には我が国では違法とされる奴隷取引にも手を染めているらしい。
家庭を省みない彼は沢山の愛妾を抱えており、屋敷では妻に酷い暴力を振るっていると言う。今回の婚約については彼が「血統」を欲したために押しきったとのことだった。ヴァレンティノ公爵家は王家の血流を汲み、更には過去に何度も王族が降嫁している家である。その嫡子に娘を嫁がせ、権威を拡大したいということだった。
「私は数年以内にお父様の悪事の証拠を白日の下に晒して、失脚させるわ。そうすれば、貴方との婚約も解消、私たちは晴れて自由の身になる。貴方とお友達にはそのお手伝いをしてほしい」
「家を潰すのか?」
「あら?このまま放っておけば、いつかは全て明るみに出て破滅しかないもの。貴方の家も巻き込まれるわよ。それなら、娘の手で早く暴いた方が遥かにましなはず。没落はするでしょうけど、爵位がいくつか下がる程度のものよ。爵位にこだわりはないけど、取り上げになると、都合が悪いのよね。この国では貴賤婚は難しいから」
彼女の好きな相手は貴族ということか。彼女はその相手と一緒になるために貴族の身分は捨てられないらしい。
「いいだろう。どのみち、君と婚約解消するには周囲を納得させる理由が必要だ」
婚約解消できなければ、レイチェルに会うことはできない。少なくともルーカスは絶対に許さないだろう。だからといって、彼女と結婚するのは嫌だ。恋愛音痴なところを除いて、彼女はあまりにも俺に似た部分が多かった。
ナルシストでもない限り、人は自分と似通った人間を愛せないものである。
「決まりね。そうと決まれば、怪しまれないようにできるだけ仲良くしましょう。今日から私達は相思相愛の婚約者同士よ」
彼女の提案に一つだけ、心配があった。
「彼女に誤解されないだろうか?」
「心配しなくても、話を聞く限りだと、彼女はあんたに全く興味がないみたいだから誤解されたって大丈夫よ」
彼女の言葉に俺は暫く立ち直ることができなかった。
彼女が目的を達成するのはこの六年後のことである。更に後始末をして、ルーカスを説得してレイチェルへの接触を許されるまでに二年かかった。
その頃にはレイチェルは俺のことはすっかり忘れてしまっていて、俺は更に落ち込むことになるのだが、それは別の話である。




