12.一目惚れで相思相愛なんて都合が良すぎます
本日、四度目の更新です。勢いで書いたので、ちょこちょこ手直しするかもしれませんm(__)m
一目惚れで相思相愛なんて都合の良いものは存在しないのである。存在するとすれば、それは物語の中だけのことだ。お互いが会った瞬間に恋に落ちた?笑ってしまうではないか。私はよく、それを知っている。
私が耳にしたのはある男爵令嬢と子爵子息のロマンスのお話だ。彼らは出会った瞬間にお互いがお互いに恋をしたという。二人は約八年の長い婚約期間を経て、ついに結ばれるのだ。
カイルとルイスの結婚披露宴の日がやってきた。私はティルナード様には連絡をせず、兄ルーカスにエスコートを頼んだ。お飾りの婚約者の身でありながら、彼の手を煩わせるのは気が引けたし、何よりサフィニア様に号泣する姿を見られた手前、彼と顔を合わせるのが気まずかった。
本当はグウェンダルに頼もうと思ったのだが、両親に止められた。婚約者がいる身で他の男性のエスコートを受けるのはよろしくない、と。グウェンダルの醜聞の元になっても悪い、と私は納得した。
会場に向かおうと私が屋敷を出ようとしたタイミングで家令ジェームスがティルナード様の来訪を告げた。なんとタイミングが悪い、と思っていたら、どうもルーカスが気を利かせたらしく、私に内緒でティルナード様にエスコートを依頼したようだった。
私はルーカスに禿げろ、と呪いをかけながら、渋々ティルナード様の手をとり、公爵家の馬車に乗った。
「何で、教えてくれなかったんですか?」
馬車の中で私はティルナード様に問いかけられた。サファイアブルーの瞳が困惑したように、こちらを見ている。
社交場において、婚約者がいる者はそのエスコートを受けるのが通例だ。勿論、都合がつかない場合もあるから、その場合は親族が代わりを務める。
「わざわざティルナード様のお手を煩わせるのも、ご迷惑だと思ったのです」
私は不貞腐れた態度で、窓の外を向いた。我ながら、本当に感じの悪い女だと思う。好感度はだだ下がりだろうが、知ったことではない。元々、初対面の印象がマイナスだろうから、これ以上下がる伸びしろはなかった。
「迷惑なはずがないでしょう」
彼は私の方を見て言うが、私は彼を見ない。目が合って、うっかり勘違いしてしまえば、今度はきっと私の心は修復不能なまでに粉々に壊れてしまうだろう。私のハートは硝子製なのだ。
暫く馬車の中で気まずい沈黙が続き、ようやく会場についた。私はティルナード様の手を借りて馬車から下りた。
私の頭には件の髪飾りがつけられている。ドレスは母のお下がりの中から髪飾りに合いそうな無難な物を選んだ。
「レイチェル」
先に着いていたのだろう。グウェンダルが私達の元にやってきた。彼は私の頭の髪飾りに気づいて、一瞬目を止めたが、何も言わなかった。
「婚約したんだって?おめでとう」
彼は複雑そうな顔で私に祝いの言葉を述べた。
「これで貴方の肩の荷も降りますね。良かったじゃないですか?」
「まだ、わからないな」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉通りだけど?君がすんなり、嫁ぐようには思えない」
おどけたように言う彼の襟ぐりを掴んでやりたかったが、人目もあるので、やめておいた。彼の普段通りの軽口に私は少し、心の重荷が軽くなった。ぎこちないが、笑えるようになっているから大丈夫だ。
「仲が良いんですね」
羨ましい、と彼を蚊帳の外に話に盛り上がっていたことなど気にした素振りもなくティルナード様は笑った。
「レイチェルとは長い付き合いですからね」
グウェンダルはなぜか表情を硬くして、それだけ言った。「また後で」と言って、彼は離れていった。
結婚披露宴が始まり、二人は神父の前で愛を誓った。カイルはとても幸せそうに笑った。彼の視線の先には花嫁のルイスがいる。純白の可憐なドレスに身を包んだルイスもとても綺麗だった。
来賓客が二人に順番に挨拶をする。
私の番が来て、私は緊張でぎゅっと左手を握りしめた。右手を暖かい大きな何かが包んだ感触を感じて、目を向ければティルナード様が私の手を握ってくれていた。彼は何ともない顔で私の指に彼の長い指を絡めてきた。
私が戸惑いながら彼を見上げると、彼は困ったように優しく笑う。私は彼の視線に耐えきれず、彼から視線を反らした。
「カイル、ルイス。結婚おめでとう」
私は笑えているか不安になりながらも、精一杯の笑顔を向ける。正直なところ、まだ気持ちの整理ができていない。八歳の時に封印したまま、ずっと目をそらし続けてきたのだから、仕方ない。
「レイチェル、ありがとう。レイチェルもおめでとう」
カイルが本当に幸せそうに笑った。私はそんな彼を見ていることができず、隣のルイスに視線をやった。花嫁のルイスの視線の先にいる人物を見て、私は「またか」と思った。
ルイスの瞳の中にはティルナード様が写っていた。彼女は驚いたように、食い入るように彼を見つめている。これが私が悔し涙を流した理由であり、未だに二人を祝福できない原因である。
ルイス=ガストン男爵令嬢は私の友人だった。過去形なのは今はそうではないからだ。
ルイスは私の真似をしたがる女の子だった。彼女は私の物を欲しがった。ドレスや靴、髪飾り、何でも私のお気に入りのものは真似た。私がやめてほしいと言っても聞き入れてくれなかった。ヴィッツ家が懇意にしている仕立て屋から情報を仕入れたのか、私がドレスを新調すると、必ずと言って良いほどデザインを被せてきた。その度に私はよく彼女と比較されたのだ。愛らしい彼女と、チビで目付きの悪い自分、どちらを皆が誉めるかなんてわかりきった話である。
私に関する悪い噂が流れ始めたのもこの頃だった。それと共に、私の周りに人が寄り付かなくなった。私が戸惑っている間に私の友人は親友を除いて全て彼女にとられていた。
そんな彼女が想いを寄せていたのはカイルではなく、グウェンダルだったことも私は知っている。彼女は地位の高い男性との結婚に憧れていた。そういう男性と結婚すればきらびやかで贅沢な暮らしができるに違いないと信じていたようだ。勿論、地位があるだけではなく、容姿も整っていなければならない。彼女が目をつけたのがグウェンダルであった。
グウェンダルを落としにかかった彼女を見初めたのが皮肉なことにカイルだった。彼女を気に入った彼は彼女の家に婚約を申し込んだ。家格もつりあうということで、両家が婚約に合意し、今に至るのである。彼女にとっては不本意な結果だろう。
「レイチェル、来てくれて嬉しいわ。そちらの方は?」
彼女は可憐に笑って、少し小首を傾げた。その方が可愛く見えると計算してやっているのを私は知っている。
結婚披露宴の最中に花婿そっちのけで他の男性に夢中になるのはいかがなものか、と私は彼女を冷めた目で見つめたが、彼女は気づく素振りを見せない。彼女の瞳に私を侮るような光が宿る。
「ルイス。こちらは私の婚約者のティルナード=ヴァレンティノ様よ」
「まぁ。あなたがあのティルナード様ですの?レイチェルと、なんて少し意外ですわ」
彼女は予想通りティルナード様に熱い視線を送りながら、含み笑いを浮かべた。私は呆れを通り越して、悲しくなってきた。彼女は何年経ってもカイルのことを見ない、という噂は本当だったのか。カイルは鈍いから気づいていないようだが、私と交流を絶った後もルイスは同じことを繰り返していたらしい。
ルイスが婚約者がありながら、より地位のある容姿の整った男性に色目を使っているという噂を耳にした時は俄には信じられなかったのだ。だって、それではあまりにもカイルが可哀想で、そんなルイスに負けた自分が情けなくて、何とも言えない気分になるのだ。
「俺の一目惚れで、彼女の兄君にどうしても、とお願いしたんですよ」
ティルナード様が私を愛しそうに見つめながら、甘く微笑んだ。私は破壊力の強いそれをうっかり直視してしまって、顔から火が出そうになる。そんな私の様子はお構い無しに彼は空いている方の手で私の髪を優しく梳いた。
彼の言葉に周囲がざわついた。相手が絶世の美女ならまだしも、あの悪名高いレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢である。一目惚れで、どうしてもと相手からお願いされるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない話なのである。自分で言ってて、悲しくなる。
「ははは。仲がよいようで羨ましいな」
カイルが困ったように笑った。ルイスはひきつったような笑みを浮かべている。自分の思い通りにならず、心の中で歯噛みしているに違いない。
ティルナード様はその後、ルイスには目もくれず、挨拶をした後、私の手を引いてその場を後にした。
兄ルーカスは私達の様子をずっと見ていたのだろう。二人に挨拶を終えた私達に向かって走りよってきた。
「胸がすっとした。ティル、よくやった。あの尻軽女にはうちの可愛いレイチェルは昔からよく泣かされてきたんだ。いつか煮え湯を飲ませてやりたいと思ってたんだが…。見ろ、あの顔」
ルーカスが顎でくい、と面白いものを見るような目でルイスを差した。彼女は未練がましく、こちらを気にするように目だけで追いながら、来賓に向かって笑顔を浮かべている。
「本当のことを言っただけなんだけど。まぁ、お役に立てたようで何よりだよ」
もしかして、ルーカスはこのためだけにティルナード様を呼んだのではないか。自分の友人を妹のアクセサリーがわりに使うとは、鬼い様の相変わらずの人でなしっぷりに呆れて物が言えない。
ティルナード様はさして気を悪くした様子はなく、苦笑いをしただけだった。利用されたにも関わらず、お人好しな彼はいつか悪い女に騙されそうだから心配だ。彼の隣に兄そっくりの美女が並んでいるのを想像して、身震いした。
「お兄様は気づいていたのですか?」
「あんなにあからさまなのに気づかないわけがないだろう?グウェンも彼女の本性は知っていたさ。最初から知らなかったのはカイルだけだよ」
「知っていて見過ごすのですか?」
友達でしょう、という言葉はぐっと飲み込んだ。私の責めるような瞳に気づいたのか、兄は苦笑いした。
「レイチェルはこっぴどくフラれたのに優しいな。それでも、カイルが彼女を好きなら問題ないし、何だかんだで、あの二人は合っていると思った。こちらが心配しなくても、なるようになるよ。ルイスはカイルを冴えない男だと馬鹿にしているだろうけど、最終的にルイスを幸せにできるのはカイルだけだ。ルイスは人を嵌めるのには長けているだろうけど、本当に彼女の希望通りの男を捕まえるなら、もっと別な努力が必要だったんだ」
「努力?」
彼女は努力はしていたように思う。男性に好かれるためのものだが。美しく着飾って友人を嵌めて自分が引き立つようにする、それは一種の努力ではないか。誉められたことではないが。
「今の彼女は良くて、愛妾止まりだよ。ルイスはレイチェルの真似を何でもしたがったけど、泥臭い作業は嫌がってしなかっただろう。だから、カイルと結婚する羽目になったんだ」
羽目になった、とはカイルに失礼ではないか。カイルは一応子爵家の嫡子である。男爵と比べれば爵位は上だ。
兄の言うように、ルイスはダンスなど華やかな授業は好んだが、教養やマナーなどの授業は嫌がって癇癪を起こしていた。それに何の問題があるのだろうか。
私が納得のいかない顔をしているのに気づいたのか、やれやれ、とルーカスが肩を竦めた。彼はルイスを遠目に見ながら笑った。
「まず花嫁が花婿の前で他の男に目移りするのはマナー違反だ。いくら外見が可愛くても俺なら、嫁には絶対に迎えたくないな。自分より良い男が現れたら、不貞を働くかもしれないだろう?それに、来賓を侮って馬鹿にするのもなしだな。思っても表情に出すのは頂けない。そんな当たり前のことが未だにわからないんだ。だから、彼女の希望する男は彼女を誰も本気で相手にしない。盲目的な愛がないとまず無理なんだよ」
ルーカスはカイルを見た。カイルはルイスとの結婚が余程嬉しいのだろう。目元がだらしなく、やに下がっている。
ルーカスが侮ったと言ったのはルイスの私に対する対応のことを言ったのだろう。彼女は自分より女としては劣る私を常々見下していたのだ。それは今も変わらない。
「良い男を捕まえたいなら最低限の腹芸はできないとな。それにカイルはとっくに気づいているよ」
「え?」
「あれだけ派手に噂も流れているのに、いくら鈍くても本人が気づかないわけがないだろう?それでもルイスが好きなんだから、仕方がない。カイルは馬鹿だ。あいつにレイチェルは勿体無い。ルイスにカイルも勿体ないとは思うけどな」
確かにルーカスの言う通りだった。人の口に戸は立てられない。あれだけ噂が流れていれば、口さがない誰かから本人の耳にとうに入っているだろう。それでも、彼女が自分を好いていると思うなら、カイルは相当な愚か者だ。ルイスはまだしも、彼はそこまで馬鹿でお人好しではなかったように思う。
「ふっきれたか?」
ルーカスが心配そうに私を見ていた。兄はなんだかんだで、私に甘いのだと思う。自分の中にある薄暗い感情と少し折り合いをつけられた気がした。エスコート役を兄やグウェンダルにしていたら、きっとこうはならなかったし、私は未だに過去の失恋に囚われたままだっただろう。
「正直、すっきりしました」
胸を突き刺す痛みはまだ完全にとれないけど、心が晴れやかになったのは悔しそうなルイスの顔を見れたためか、はたまたカイルが彼女の心移りを知っていて、それでも好きだとわかったためか。恐らくその両方だな、と苦笑いした。
「レイチェルはとんだ悪女だな」
ルーカスがにやりと笑った。鬼い様の言葉を完全に否定できないのが辛いところである。
「当たり前です。私はあの、レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢ですよ?」
私はつん、と顔を反らした。そこで穏やかに微笑むティルナード様と視線が合う。
今更気づいたのだが、私達は手をつないだままである。彼の手は大きくて、違和感なく私の右手をすっぽり包み込んだままだったので、完全に忘れてしまっていた。何より、緊張して他のことに気をとられていたのが原因ではあるが。
私は彼の手を放そうとしたが、彼が放してはくれなかった。私は困ってしまって、彼を睨み付けるが、彼は優しく笑うだけだった。ティルナード様が何を考えているのか、わからない。私は彼のことを全く知らないのだ。本当のことを言っているかどうかも疑わしいと今でも思っている。
頭の上で花を模した髪飾りが揺れる。私はもう大丈夫だ。やっと八年越しの想いを諦めることができた。相思相愛で一目惚れはあり得ない話だが、それでも片想いはいつか報われると信じたい。一途に想い続けているカイルのためにも、あの日小さな恋心をしまいこんだ少女のためにも。
私はそう願いながら、遠くに見える花嫁と花婿を心から祝福した。




