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閑話〜空っぽな夢魔とお姫様〜

一輪の白い花を持って、私はいつものように彼女が療養する屋敷を訪れた。

彼女は心ここにあらずの状態で窓の外を見ていた。湖から引き上げてから十数年が経っただろうか。その間もずっとこの調子だ。

時間感覚が麻痺しているように感じるのは彼女とこの部屋が世界から切り離されたみたいに変化がないからだと思う。

実際、彼女の中の時計の針は湖への身投げの時から動いていないのだろう。

意識を取り戻した彼女は魂を失った人形のように毎日を過ごしていた。日常生活に支障はない。ただ、話しかけても一言も発せず表情一つ変えない。

最初は抜け殻のようになってしまった彼女の心を慰めるために。気づいたら多才になっていた。

ここに来る時は花以外にも手土産を用意する。たとえば、自作のおとぎ話だったり、作曲したピアノ演奏だったり。

それらの集大成がマリエ=ネーベであり、ツェリーエでもある。偶然、私の作品を目の当たりにした弟が惜しんで公式にも作品を発表するようになった。それがたまたま人気を博したが、彼女のために作った話や曲で儲けるつもりはさらさらなかった。だから、印税などは適当に寄付してくれるよう頼んだのだ。

「兄上は権力者には向いていませんでしたね」とはいつかのネリルの言だったか。私は優し過ぎるが故に残酷らしい。

彼女のそばで挿絵入りの自作の絵本を声に出して読む。彼女はいつも何の反応も見せない。本を読んだり、曲を弾き終えた後は物言わぬ彼女と並んで、昔のようにボーっと過ごすのだ。贖罪のつもりはないが、自己満足に他ならない。

人は私の作品に感動して心打たれるらしい。それでも彼女の心には届かないのだな、と皮肉げに笑った。

私の作品はもうすぐ百を超えるだろうか。空っぽだった書棚が楽譜と本で埋まっていく。それでも、私と彼女の中身は満たされないまま、空っぽのままだった。いや、吐き出して吐き出してすり減っていっているのだろうか。わからなくなってしまった。

ネリルが健在だった時はこの隠れ家で彼も一緒に過ごしていた。過ごすといっても一緒の部屋にいるだけだ。

ただ、ここにいる時はそれぞれの役割から解放されて自由になれるのだ。王様でも王兄でもなく宰相でもなくただの人に戻れる場所は他にはない。

ネリルには悪いことをしたと思う。私はあの時、ボタンを掛け違えてしまった。

私が彼のそばで臣下として支えることができていれば、あるいは体を壊して早世はしなかっただろうし、こんな回りくどい手段をとらなくても良かったのだろう。

たった一度の身勝手な私の行動はネリルを追い詰めて、道を踏み外させてしまったのだ。ああ、やり直すことができるなら。


「あの時に戻りたい」


静かな部屋の中で穏やかだった時間を懐かしんで呟いた。

あの時、自死を選んだ自分を後悔した。

私が表舞台からいなくなったことでネリルは決定的に孤立した。姦臣を妃の力だけは抑えきれず増長を許してしまった。

ネリルを愚王とする者が多いが、それは誤りだ。彼には大局は見えていた。ただ、抑える力が足りなかっただけなのだ。優秀な人材が一人二人いたぐらいでは政は回らない。

裏から支えるには限度がある。

ネリルが疲弊して日毎に弱っていくのをただ眺めることしかできないのは腹立たしかった。

ネリルには憂いがあった。このまま子の世代までも己が利を貪る姦臣達は蔓延り、思うままに力を振るうのでは?と。

彼は焦っていた。そして、決定的なミスを犯してしまった。

ミイラ取りがミイラになるとは言うが、気づいたら彼の身体は例の薬に溺れていた。おそらくは側近の誰かに盛られていたのだろう。気づいたら手遅れだった。

彼がこの世からいなくなった瞬間から彼の望みは私が引き継ぐことになった。

彼の子供たちの成長を陰ながら見守り、そして、今度こそ幸せになれるようにと祈りながら。

タイミングよく瞬きしたマリーに私は微笑んだ。


「そういえば、随分前に君に似ている子に会ったんだ。彼女には意地悪ばかりしてしまった」


外見は似ていない。ただ、そばにいると妙に苛立つところがそっくりだった。

1度目は彼女に王宮で出会ったことを忘れさせるために彼女の想い人に他の婚約者を紹介して引き離した。2度目は本当に偶然だった。目的はかの一族を怒らせることにあった。物語の幕引きに必要な探偵役として。真相に辿り着ける人間の候補にティルナード=ヴァレンティノ他数名に白羽の矢が立った。丁度都合の良い立ち位置にレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢がいた。だから、利用しただけの話だ。

優秀な甥が自力で辿り着いてくれれば一番良かったのだが、彼もまた過去に囚われていて視野が狭くなっていた。ヒントを出してもたどり着けないのでは意味がない。保険は多く用意しておくに越したことはない。

馬車が事故に遭い、レイチェルが大怪我を負ってしまったのは本当に偶然だった。彼の従者は馬を駆ることに長けていたようだし、馬車が急停止して軽い怪我をするぐらいで済むはずだった。まさか、あんな惨劇が起きるとは思わない。後から報告を受けた時は血の気が引いたのだ。

彼女にも恨まれているだろうが、一番恨んでいるのは公爵子息だろうなと思い至り、私は身震いした。

身震いした私を心配するようにマリーが見たので私は彼女の髪を撫でた。

医師の話だと全く感情がないわけではないらしい。夢と現実の境がなくなったのだと言われて妙に納得した。

彼女はずっと夢を見ているのだ。それがどんな夢なのかはわからない。


「良い夢を見れているといいんだけどな」


私は彼女の髪を撫でながら呟いた。それこそ、ナイトメアのお姫様のように良い夢を見れていると良い、と心から思ったのだ。

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