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64.???

真っ暗だった。

なすすべもなく真っ暗な冷たい水の底に沈んでいく。体は重く、息をしようと口を開けば息ができず溺れていく。

懸命に頭を働かせようとしたが、苦しすぎてできなかった。

それと同時に私の中で沢山の大事な何かが溢れ落ちていく感覚を味わっていた。


「……ル。レイチェル!」


誰かが誰かの名前を一生懸命呼んでいる。しかし、誰を呼んでいるのだろう?

身体を揺らされて、私は仕方なく薄く目を開き、もそもそと身を起こした。途端にキラキラしい美貌の主が飛び込んできて目が灼けそうになった。暗闇から一転、眩しい美貌は目に毒だ。


「ああ。…良かった。気がついた」


泣きそうな声でその人は私を強く抱き締めた。良い匂いに包まれるが、力が強すぎて少々内臓が飛び出そうになった。

状況が今一つ理解できないが、私はどうも長い時間、意識を失っていたらしい。寝坊どころか、目の前の人が本気で心配するレベルで。


しかし。


「…だ…れ?」


素朴な疑問が口を突いて出た。瞬間、私を抱き締めているその人がぴしりと硬直したのがわかった。

無理からぬことだ。私は私が誰なのかわからない。忘れたという方が正しいのだろう。自分が何者かを覚えていないのに相手のことがわかるはずなどない。

ただ、わかることもある。この人は年の頃は十代後半~二十代前半だろう。長身で物凄い美形だ。着ているものも上等で佇まいに気品があり、異性からは物凄くモテるだろうと思った。

では、そんな彼に抱き締められる私は何者だろうか。彼にとって近しい人物には違いない。


「レイチェル様、まさか記憶を?」


黒髪の従者が心配そうな顔をして、美貌の男性と顔を見合わせた。

どうやら、レイチェルというのが私の名前らしい。

周囲を見回すと、白を基調とした部屋の高級そうな家具が目に入った。落ち着かないが、それらは見覚えがあるように感じた。

私は何者なのか?彼の友人か。彼の年齢から言うと娘…はないだろう。ならば、濃厚な線はやはり兄妹か従姉妹か。

そこで、ふっと思い出した。私には兄と従兄がいたような気がする。


「お兄様?」


思い付いた単語を口にすれば、何故か彼は何とも言えない顔になった。私は間違えたらしい。

しかし、他に当てはまりそうな可能性が思い浮かばない。恋人という言葉も思い付いたが、すぐに却下された。私と彼ではあり得ない。


「ドリー、アーネスト先生を呼んでくれ」


彼は長い指で私の髪を優しく撫でた後、私を離して深刻そうな顔で言った。彼に撫でられるのは初めてではないと思った。そして、彼が兄であると私は確信した。そうでないと、説明がつかないことが多いのだ。



医師の診断では私は一時的に記憶を失ってしまったらしい。更に言うなら、どの切っ掛けで記憶が戻るとはわからないらしい。もしかしたら、一生戻らないかもしれないらしい。

そこまで聞いて、私はふむ、と頷いた。意外と冷静だったのは私より深刻そうな人が傍にいたからだろう。記憶がないだけで、日常生活に支障はないというのも大きい。

私が兄と呼んだ人は「そんな…」と絶望したように医師を見つめた。


「お姉さま、大丈夫ですの!?」


部屋に飛び込んできた銀髪の美少女が私にぎゅっと抱きついた。薔薇の良い匂いがふわっと鼻先を掠めてくらくらした。

彼と彼女は紛れもなく兄妹だ。顔立ちがよく似ている。では、私は違うのだろうか。しかし、彼女に姉と呼ばれたということはやはり、兄妹なのだろう。

私の時には美形遺伝子は仕事しなかったらしい、と私は勝手に納得した。


「…全く大丈夫じゃない」


「お兄様には聞いてませんわ」


私を離した後、つん、と彼女は顔を反らした。


「サフィニア様。ティルナード様もショックを受けてらっしゃいますので、どうか、そのぐらいで」


無表情な従者は二人を嗜めるように言った。


「あの…」


私は遠慮がちに口を挟んだ。一つだけはっきりさせておかなければならないことがある。

彼らは顔を見合わせた。


「私は結局何者なのでしょう?」


家族ならここにいて良いのだろうが、赤の他人ならいつまでもお世話になるわけにはいかない。


「貴女は俺の…」


ティルナード様?が口を開いたところで、サフィニア様?が割り込むように言った。


「私のお姉さまですわ」


「サフィー!」


咎めるようにティルナード様?は眉をつり上げた。


「あら?間違いではありませんわ。それに、今、お兄様とのことを言っても困らせるだけですわよ?お姉さまは何も覚えてないのでしょう?」


私は首を傾げたら、ティルナード様?は何故か唸った。


「しかし」


「そのことは今話しても負担になるだけですわ」


ティルナード様?が私を見て苦しそうに唇を引き結んだので、私はまた首を傾げた。


「…貴女は俺の家族です」


家族、という言葉を聞いて、私はほっとした。ここにいることを許された気がしたのだ。


「だから、ここにいてください」


まるで、私の心を読んだように私の肩に手を置いて真剣な表情で彼が言ったので、私は感嘆した。この人は人の心が読めるのか。


「…君が考えそうなことは大体わかるんだ。今まで君が俺の思い通りになってくれたためしがない」


「えーと。ごめんなさい?」


「それがレイチェルなんだとわかってはいるんだ。ただ、少しでも他の可能性を考えてくれてもいいじゃないか。少し傷つくな」


拗ねたように言われて、私は困惑した。


「ティルナード様。レイチェル様が困っていますから、その辺で」


「あの。私達は家族…ということで良いんですよね?」


再確認すれば、ティルナード様とサフィニア様、従者は頷いた。


「…ああ。間違いない」


「そうですわ」


「ええ、ええ。レイチェル様はティルナード様の大事な方で間違いありませんとも」


従者の含みのある言葉に私は戸惑った。


「大事な人?」


家族なら大事には違いないだろう。しかし、何故ティルナード様に限るのかわからない。


「…レイチェルは本当に何も覚えていないんですか?」


疑惑の目で見つめられて、私は居心地が悪くて逃げたくなった。それを敏感に察知したのか、逃げる前にティルナード様に軽く腕を掴まれた。


「ティルナード様。駄目ですよ」


「意地悪をしているんじゃないかと疑うだろう?もしくは八年越しの壮大な復讐だったら立ち直れない」


冷たそうな外見に反して、意外にこの人はメンタルが弱いようだ。というか、先程からギャップが半端ない。第一印象はクールビューティーだったが、今の彼は人懐こい大型犬である。


「復讐だったら大した女優でしょうけど、そこまで器用じゃないのはご存じでしょう?レイチェル様は確かにティルナード様の心を弄ぶのが上手ですが、悪気があってではありません」


「さっきから失礼だと思うのだけど…」


昔の私の相当な言われっぷりに私は口を尖らせた。


「最近思ったんですが、やはり、お二人はご縁がないのでは?」


「そんなことはない。元々、相性は凄く良いんだ。ただ、タイミングが悪いだけなんだ」


私を置いてきぼりにした主従のやりとりが始まったところでサフィニア様が「いつものことですから気にしないで下さいませ」と言って私を部屋から連れ出した。

その日は結局私が彼らにとって、どういう存在なのかわからず仕舞いだった。

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