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閑話~公爵子息の隠し事事情~

ルーカスと話をした後でもう一度レイモンドから俺宛への手紙を読み返した。

改めて読み直して表情を失った。最初は「馬鹿らしい」と思っていた。ルーカスの話を聞いた後に見方が変わった。

レイチェルは俺と会うまではまだ表情豊かだったらしい。俺が心ない言葉で彼女を傷つけ、それらを奪ってしまったのだ。ルーカスの「呪い」という言葉を思い出した。

今も俺は彼女と強引に婚約し彼女の自由を奪っているのだとレイモンドの手紙には書いていた。

ルーカスはそれもまたレイモンドから見た真実だと言っていた。

違うんだ、と叫びたかった。俺は彼女を傷つけたかったわけではない。深く傷つけるつもりだってなかった。最初の方法を間違えただけだ。出会いをやり直せるならやり直したい。

彼女のことを何も理解してないくせに、という言葉が胸に突き刺さった。

そこには彼が近くで見てきたレイチェルが書いてあった。彼女がどんな話をして、どんなことに興味を持っていたか、俺と一緒にいる時には全く見ることができなかった反応が書いてあり、悔しかった。昔の俺が彼女と過ごしたかった穏やかで優しい時間をレイモンドは当たり前のように過ごしていた。

「レイチェルは優しいから仕方なく君といるんだ」という言葉に自信がなくなった。

最初に過去のことを思い出していたら彼女は俺を選んではくれなかったかもしれない。だから、彼女が昔のことを思い出すまでは言わなかったし、その秘密は一生思い出さなければ墓場まで持っていったかもしれない。「君は狡い人間だ」と見抜くようにレイモンドは書いていた。

屋敷に戻る頃には怖くなった。

レイモンドの手紙を見てレイチェルはどんな反応をするだろうか。考えただけで、レイチェルと向き合うのが怖くなり、つい逃げてしまった。避けてしまって激しく後悔した自分は狡いと思った。

頭がずきずきと痛んだ。着替えを済ますと何もする気力はなくなり、俺はベッドに身を投げ出した。

レイチェル宛の手紙の中身は知らない。彼女はレイモンドと会うのだろうか。昔の俺は本当に嫌な奴で彼女に全く優しくはなかった。どうしたら良いかわからなくて、ただ自分の気持ちを押し付けるので精一杯だった。それは今もあまり変わらない。

今でも、から回っている自覚はある。彼女を喜ばせたいのだが、思うような反応が得られない。逆に彼女にいつも救われて、癒されている自分がいる。

レイチェルは俺に貰いすぎだと言うが、実は俺の方が彼女から沢山貰っている。それは形に残らないものだ。

レイチェルがレイモンドに会いたがったとしても反対してはいけないのはわかった。「会わないでほしい」と俺が言えば、優しい彼女はあっさり頷くだろう。遠ざけるのは簡単で、最初からなかったことにして手紙を渡さなければレイモンドのことは思い出さない。そんな考えにとらわれたことを恥じた。顔を合わせたらきっと「彼とは会うな」と言ってしまうに違いなく、冷静になるためにも彼女と暫くは距離をおいた方が良いと考えた。


朝陽が差し込んで、薄目を開けた。

肌寒い季節で昨夜ベッドに潜り込んだ時は特に寒く感じたのだが、不思議と今は暖かい。

身体に柔らかい何かが抱きついているようだ。彼女はいつもと変わらず俺にしがみついたまま、隙間を埋めるように、すやすやと子猫のように寝息を立てていた。

頭がようやく働き始めたところで混乱した。俺は自室のベッドにいる。昨夜は彼女と別々に休んだはずなのに、なぜか彼女が隣に寝ている。一緒に休んだ記憶はない。

レイチェルの頬を伝った涙の痕を見て、驚いた。泣いたのか。何か悲しいことがあったのか。

そこで、俺は昨夜のことを思い出した。夜遅くに帰宅した後から、ずっと彼女は物言いたそうにしていた。疲れていて気持ちに余裕がなかった俺は随分素っ気ない態度をとったような気がする。

彼女の肩を揺さぶり声をかけた。


「レイチェル」


「……や」


「レイチェル?」


「…嫌」


仕方なく、彼女の身体を引き剥がそうと動いてみたが、かえって強くしがみついてきた。

困った。

どうしたものかと考えた。何が嫌なのかはわからない。前にもこんなことがあったな、と思い出して、馬車の事故の直後を思い出してた。救援が来た後も彼女は俺の身体にしがみついて離れなくてドリーに散々冷やかされたのだ。あの時は余程怖い思いをしたからだろうと結論づけたのだが。


「レイチェル?」


「…ティル?」


目を擦りながら、ようやく彼女は起きた。起き抜けの掠れた声で名前を呼ばれてどきりとした。


「話が」


「レイモンドの件なら」


「…違います」


彼女は僅かに赤い目で俺を睨んだ。


「その話もしたいけど、もっと話したいことがあります」


「何を?」


「…どうして私を避けるんですか?」


ぎくりと身体が緊張した。


「避けてませんよ?」


真っ直ぐに彼女の顔を見れなくて、俺は顔を反らしたが、レイチェルは正面に回り込んで膝を突き詰めてきた。ベッドの上で俺たちは向かい合うような格好になる。

レイチェルは少し怒っているようだ。

怒った顔も可愛いなとまた彼女に怒られそうなことを考えた。気性の穏やかな彼女は滅多に怒らない。前に夜会で俺が従兄との仲を邪推して喧嘩した時だって遠慮のようなものがあった。


「嘘。避けてます。誤魔化さないで。何かあったんですか?それとも私が何かしましたか?」


泣きそうな顔で言われて、俺は慌てた。


「レイチェルは何も悪くない。俺が一方的に嫉妬して拗ねているだけです。話なら着替えてからしましょう」


寝間着姿で目の前にちょこんと無防備に座るレイチェルを見下ろして俺は言った。正直、目の毒だ。悪い考えに囚われている今は特に。

普段は起きて掛布から出たら、すぐお互いに着替えるから明るいところでじっくりと彼女の姿を見る機会は殆どない。見る機会があっても、なるべく意識から外すようにしていた。

自然と喉がごくりと上下した。欲求のままに手を出したくなる気持ちを落ち着かせようと息をついた。今はまずい。

レイチェルはそんな俺の気持ちを知らない。ぴくりとも動こうとしないどころか、俺の腕をつかんで疑いの眼差しを向けてきた。


「……本当に着替えたら話をしてくれますか?」


逃げない?と小首を傾げて不安げに真っ直ぐな瞳で聞いてきた。


「う…。朝食を食べたら、レイチェルの部屋でお茶をしましょう」


気は進まないけど、という言葉は呑み込んだ。正直な気持ちを吐き出せば、このまま生殺しの延長戦に突入する。長引けば、さすがに理性の糸がぷつりと切れるだろう。


「…ティルの今日の予定は大丈夫なんですか?」


探るような目でレイチェルは俺を見た。本当に疑い深い。


「今日は午後から出勤だから午前中は空いてます」


「…わかりました。約束ですよ?」


彼女の勢いに気圧されるように俺は頷いた。

気乗りしないのには理由がある。

彼女はレイモンドからの手紙は読んだのだろう。そこに俺のことが悪く書いてなかったとしても、好きな女の子の口から他の男の名前は聞きたくない。

それに、レイチェルはどうかはわからないが、向こうはレイチェルのことが好きで結婚したいと思っている。ルーカスや殿下から聞いた話を参考にするなら、再会すればどう転ぶかわからないと思った。レイモンドは見違えるように格好よくなったらしいし、手紙の彼の人物像はレイチェルの好きな小説の王道ヒーローそのものだ。ドリーから魔王によく例えられる俺とは大違いだ。ただでさえ、昔の俺は彼女にさんざん意地悪をしたのだ。

彼女が再会したレイモンドを好きになったとしても止められない。が、俺の方はもう彼女を手離せないし、諦められない。


「…ティル?」


いつの間にかレイチェルの顔が近くにあって驚いた。暫くして柔らかいものが唇に当たった。

呆然としているとレイチェルは唇を尖らせた。


「ティルの嘘つき」


「…嘘はついていないだろう?」


隠し事はしているが、嘘はついていない。


「…私からキスしたら抱き締めてくれる約束でした」


「着替えたら…」


「どうして今は駄目なの?」


今日のレイチェルは何故かはわからないが、なかなか誤魔化されてくれない。


「俺にも色々事情があるんです。普段の精神状態ならまだ何とか持ちこたえられるけど」


先程まで彼女をずっと手元に繋ぎ止めておく方法を考えていたのだ。

俺はこと恋愛に関してはまったく大人ではない。好きな女の子の気を引いて独占したい。すぐに嫉妬する上、いつだって彼女の一番になりたい。短気だし、我慢強い方ではない。

そこで、はたと思い出して話題を変えた。


「…そういえば、どうして泣いたんですか?」


渡した手紙に何か酷いことが書いてあったのだろうか。彼女を泣かせるなんて許せない。涙の痕を辿って頬に指を伸ばせば、彼女は僅かに口の端を曲げた。


「……誰のせいだと」


彼女は恨めしげに俺を見つめた。


「えっと…?」


「もう!とにかく約束は守ってくださいね?」


そう言うと、彼女はようやく寝台を降りて、いそいそと隣部屋に戻った。

ばたりと閉まる扉を見て、正直、ほっとした。

邪魔して欲しい時に限ってドリーは邪魔しに来ない。


「ティルナード様。レイチェル様とちゃんと話をして下さい」


気配を消していたらしいドリーが言った。


「…わかってるさ」


「いいえ。全くわかってません。貴方の悪い癖ですね。肝心な時に何も言わないのは。そんなんだからレイチェル様を泣かせてしまうんでしょう?」


「待ってくれ。俺のせいなのか?」


ドリーはしたり顔で頷いた。


「昔から貴方は恋愛に関しては余裕がなくなるとダメダメですね。そんなんだと、本当に愛想を尽かされちゃいますよ?」


わかったような口を聞くドリーを俺は睨んだ。


「ドリーにはわかると?」


「意味もなく避けられたら不安になります。貴方、不機嫌を隠さないんだもの。昔からレイチェル様は貴方の感情の機微には敏感でしたからね。あそこで抱き締めていれば良かったのに」


どうも一部始終見ていたらしい。


「…いつもなら、完全にからかいにくるタイミングだった」


「確かに、本当は大分前から部屋に控えておりましたが、肝心な時に口を挟むのは貴方のためになりませんので」


そう言って、口を縫い付ける動作をしたドリーは本当に憎らしい。


「ティルナード様、逃げては駄目ですよ。大事なものは二度と手離しては駄目です。フラれてから後悔しても遅いんですよ?」


「…わかってる」


はあ、と息をつきながら俺は上衣の釦を外して脱ぎ捨てた。

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