番外~ある伯爵子息の片恋事情~
5回目の投稿です。
僕の名前はレイモンド=バーグ。由緒正しい伯爵家の息子だ。
周りは僕のことを馬鹿にする。僕につけられたあだ名は「飛べない白豚」、「ガリ勉丸眼鏡野郎」、「ハンバーグ」だ。これらは僕の身体的特徴を現していた。
たぷんとたるんだ腹と顎の肉を見て、士官学校の同級生達は笑った。馬鹿にしなかったのはルーカス=ヴィッツ伯爵子息ぐらいだ。
彼は学科の成績はなかなかに優秀で、家柄は僕と同じ代々続く由緒正しい伯爵家だった。家は裕福な方ではないが、公正な彼の周りには自然と友人の輪ができた。僕もまた沢山いる内の一人だった。
体型が全く気にならないわけではない。うちは家族全員ぽっちゃりと太っている。両親も妹も気にしていない。しかし、社交場に行く度にくすくすと笑われるのが僕は密かに気にしていて恥じていた。
社交場に行っても誰も相手にはしてくれない。女の子に話しかければ迷惑そうな顔をされる。ダンスのパートナーを頼んでも誰も受けてくれず、きまって妹のドロテアと踊っていた。下級貴族の令嬢にさえ相手にしてもらえず、その度に惨めな気分になった。
こうなりたいという理想像はあった。
「ヴァレンティノ公爵子息だわ!」
人生は不公平にできている。その象徴は恵まれているくせに、いつも不機嫌でつまらなそうな顔をしていた。
勿論、愛想笑いぐらいは浮かべることはある。ただ、小馬鹿にするように能面のように表情パターンが決まっていた。
何でも持っているくせに退屈そうにする姿を見て、贅沢だと思った。彼に声をかけられたら嫌な気分になる女の子はいない。なのに、誰にも声をかけない。贅沢な奴だ。
ティルナード=ヴァレンティノは僕の理想であると共に大嫌いな奴だった。
※※※
ルーカスの妹に声をかけられたのは、僕がルーカスの友人にからかわれて、物陰でこっそり泣いていた時だ。
「飛べない白豚」と笑われて、彼らの前ではへらへら笑って誤魔化した。泣いたら負けだと思った。
この不名誉なあだ名は軍事教練の時に一人だけ、大きなミスをして飛んで、派手に尻餅をついたことに由来する。
「大丈夫?どこか調子が悪いんですか?」
彼女は心配そうに僕の背中に声をかけてきた。
僕はびくりと身体を震わせて、目を擦った。
「へ…平気だ」
強がってみたものの、声が掠れて鼻声になって格好悪いと思った。誰かはわからないが、今顔を見られたくない。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
僕にとっては同性も異性も等しく優しくない。むしろ、女の子の方が残酷だ。彼らにとって僕は普通の人間ではなく、「気持ち悪い」、「みっともない」部類の人間だからだ。触れようとすれば嫌がられる。
あれはいつのお茶会だったか。父の知人の子爵家で同年代の女の子に挨拶をして手をとった後のことだ。「べとべと」と陰口を叩かれて手を洗っているのを聞いてしまった時は自分を呪ったものだ。
この子もきっとそうだ。そう思った。
「構わないでくれ」
しゃくりあげながら言った。
声をかけられて、涙が止まらなくなったがハンカチを忘れてきていた。
「でも、辛そう」
気づいたら、その子は真正面にいて、心配するように僕の顔を覗きこんでいた。
どうでも良いことだが、視界に入ったその子は凄く可愛い女の子だった。驚きすぎて涙と鼻水が引っ込んでしまった。
「はい」
彼女は僕の方にハンカチを差し出した。
「どうして?」
「忘れたのでしょう?」
小首を傾げながら不思議そうに彼女は言った。
手を伸ばしてハンカチを受け取る時に指が当たったが、彼女は全く嫌そうな顔をしなかった。
「あげます」
彼女はポケットから飴玉を取り出して、僕に渡した。それから黙って僕の隣に腰を下ろした
詳しいことは何も聞かず、ただただ傍に座る彼女に僕はこの日、恋をした。
※※※
一緒にいられるだけで、或いは口をきけるだけでも満足だった。そんな僕の世界が崩壊したのはティルナード=ヴァレンティノが現れてからだ。
彼はレイチェルを目の仇にした。ことあるごとに彼女を馬鹿にしたり、つまらない悪戯をした。
花が萎れるように彼女が元気をなくしていくのがわかって激しく憤った。それに、彼女の気持ちはよくわかった。馬鹿にされれば辛いのだ。
ティルナード=ヴァレンティノと僕たちは住む世界が違うんだ、と慰めてもレイチェルは元気にならなかった。その内、笑わなくなった。
彼からレイチェルは逃げるようになった。この頃にはルーカスがティルナードに言ったのだろうか。レイチェルへの嫌がらせはぴたりと止まっていた。しかし、ティルナードがレイチェルを追い回すのは変わらなかった。
ルーカスもルーカスだ。レイチェルがあんなに恐がっているのに屋敷への出入りを許すのだ。ただ、それ以上に不甲斐ない自分が許せなかった。自分がもし、レイチェルの好きな絵本に出てくる勇敢な男だったら、と思う。
そうしたら、ティルナードなんか追い払って彼女を守ってやれるのに。
ティルナードが婚約したと聞いた時はほっとした。これでレイチェルは隠れる必要はなくなったのだ。
屋敷で久しぶりに会ったレイチェルと喜びを分かち合おうと何気なくその話をしたら、彼女の顔が凍りついた。その後は脱け殻のように何を言っても上の空だった。
それでも、暫くしたら元通りになると思っていた。また元気に笑ってくれるに違いない、と。しかし、それ以降レイチェルは屋敷の奥から出てこなくなったのだ。
考えられることは一つだけ。あいつがレイチェルに何かをしたのだ。もしかしたら、それこそ笑えない冗談で彼女をからかって傷つけたのかもしれない。
弱い自分を責めた。僕が強ければ彼に果敢に向かっていっただろう。
何よりレイチェルが塞ぎこんでいるのに、彼女を不幸のどん底に突き落としたティルナード=ヴァレンティノは綺麗な婚約者を連れて笑っている。これは許されることではない。
僕が彼女を幸せにしようと思った。ティルナードに傷つけられた心を癒すのだ。そのためには。
「変わらなきゃならない」
※※※
食事制限とダイエットで普通の体型に戻った。加えて筋力もつけた。暴力的なティルナードから彼女を守るには必要だ。沢山勉強もした。
とはいえ、もうティルナードが彼女に関わることはないだろう。前の婚約者と破談になった後、あいつがルーカスにまとわりついているという噂は耳にするが、レイチェルに何かしているという話は聞かない。
あとは時期が整ったら彼女に求婚しようと決めていた。
ティルナードの婚約者が決まったと聞いた時は「へぇ」という感想しかなかった。彼の家は公爵で資産家、認めたくはないが本人も美形で優秀だ。女性は放っておかないだろう。
それでも二年もの間、新しい婚約者ができなかったのは本人が選り好みしたからに違いないと思っていた。
婚約パーティーの招待を受けた時も、相手の名前なんて確認しなかった。正直、もう彼にも彼の婚約者にも興味がなかった。本人の女性関係の噂は絶えないし、レイチェルのことなど忘れているに違いない。
婚約パーティーに出席して目を見開いた。
ティルナードに驚いたわけではない。あいつは八年経っても全く劣化しないどころか男前になっていた。
それよりも彼に居心地悪そうに腰を抱かれて現れたパートナーに驚いた。そこにはいるはずのない人物がいた。
八年経っても彼女だとすぐにわかった。女性らしく綺麗になったと見とれた。小柄で華奢な体つきはティルナードに潰されてしまわないか心配なぐらいだ。
ティルナードの隣でひきつった顔をしている彼女を見て、これは彼女の望まない婚約なのだと理解した。
彼女は恐らくティルナードに何らかの弱みを握られている。僕が彼女を助けなければならない。
ティルナードは外面が良く、意外と慎重な性格らしい。あれだけ女性にだらしない噂がありながら埃一つ見つからないのがその証拠だ。悔しいことに、今のところ婚約破棄に至るような決定的な証拠は掴めないでいた。
それに大した役者だ。レイチェルのことを何とも思っていないくせに婚約関係が良好であると周りに偽装している。
婚約指輪やドレスがそうだ。
しかし、あいつはレイチェルの好みを全くわかっていない。彼女は金に物を言わせた高級品よりシンプルなものが好きなのだ。ただ、趣味の良さには唸った。あいつが彼女に贈ったらしいドレスや装飾品は彼女によく似合っていて、彼女に見向きもしなかった奴等が今更魅力に気づくぐらいだ。
ただ、彼女があいつを気に入ってないのはわかった。昔と同じ反応だからだ。落ち着きなく、そわそわと逃げたそうにする姿を見て確信した。
どうにかして、救いだしてやらなければ可哀想だが、証拠が見つからない。
確信を得たのは彼女の身体に青あざを見つけた時だ。久しぶりに公の場に松葉杖をついて姿を現した彼女を見た時、ティルナード=ヴァレンティノは彼女に乱暴を働いているのだとわかった。
噂によればあいつは夜会でも嫌がる彼女に無理矢理キスをしたらしい。噂ではレイチェルが迫ったことになっていたが、彼女がそんなことをするはずがない。
広間では何か大立回りが起きたようだが、そんなことに構っている余裕はない。
こうなったら一刻の猶予もない、とせいた。
しかし、すぐに行動に移せなかったのは意気地のない自分の弱い心のせいだ。
レイチェルは迎えに行くのが遅くなった自分を怒っていないだろうか。そもそも昔のことを忘れられている可能性だってある。だけど、それならそれで最初からやり直せば良い。そう自分を奮い立たせた。
そうと決まれば、まずはあいつに手紙を送らなければならない。あいつが彼女に乱暴していることを知っていると送れば少なくとも抑止力になるはずだ。
それに、これは警告になる。この事実が明かになれば彼女は晴れて自由の身になれるはずだ。
「待ってて。レイチェル」




