1.人生に娯楽はつきものです
人生には娯楽が付き物である。娯楽のない人生などつまらないことこの上ない。
これから紹介するのは我が国の有名なロマンスの話だ。我がレインズワース王国の現国王陛下は美しいお妃様と3年前に結婚した。お妃様は伯爵家の出身でお二人は幼い頃に婚約していた。
この国の貴族子女にはかつて、16才から18才の間、王立学園に通わなければならないという、阿呆らし…ごほん、ごほん、とっても素晴らしい義務教育があった。お二人も慣例に従ってかつては通ってらっしゃった。しかし、そこで、とあるご令嬢の謀略でお妃様に冤罪がかかり、あわや婚約解消という危機を迎える。国王様はお妃様の冤罪を晴らし、二人は危機を乗り越え、ゴールイン。「白百合と黒薔薇の闘争」として、今も熱く語り継がれているレジェンドだ。
私が回想にふけりながら、ちびちびテーブルの上の料理をつまんでいると、コバルトブルーのドレスの金髪美人が国王ご夫妻の元に向かう姿が見えた。彼女の動きに合わせてドレスに散りばめられた星を模した装飾品が照明を反射して、キラキラ光る。
あら、やだ。噂をすればなんとやら。今、国王ご夫妻に件の元ご令嬢がご挨拶に行かれたようだ。まぁ、今日も見栄の塊のような素敵なドレスだこと。装飾品をじゃらじゃらぶら下げて歩く姿は移動式の宝石箱といっても過言ではない。
心なしか二人のバックに龍と虎が見えるような気がするのはきっと目の錯覚だろう。だって、お二人とも、とっても素敵な笑顔を浮かべてらっしゃるもの。まるで、ここであったが百年目と言わんがばかりの、思わず陛下が固まってしまう程に素敵な…。
「レイチェル」
誰かが私の名前を呼んだような気がするけれど、きっと気のせいね。あぁ、それにしても手に汗を握る展開だわ。これからどうなるのでしょう?想像するだけでぞくぞくしちゃう。
「レイチェル」
「アンドレ、少し静かにしていて下さい。今、もの凄く良いところなの」
私は視線を上げて、隣で呆れたような顔をしている男を睨みました。
「良いところって。どうせ相変わらず、頭の中で下世話な妄想を繰り広げてるんだろう?それと俺はアンドレという名ではない」
黒髪の猫毛の男は眉根を寄せて、否定した。
「アンドレみたいな顔だから、アンドレで十分です。それより、集中できないから静かにして下さい」
「そうしたいのは山々だけど、俺は俺で君の兄さんに君の夜会デビューのエスコートを頼まれてるんだ。大体、君は何をしに夜会に来たの?」
彼の意見はもっともである。夜会は成人した紳士淑女の唯一の交流の場である。
白百合と黒薔薇の闘争以降、王立学園という貴族子女対象の義務教育制度は廃止された。今は一部の専門学術機関があるのみだ。
なぜ、廃止されたのか?実は例の事件以前にも周期的に高位貴族の嫡子が下位貴族のご令嬢にたぶらかされて、婚約解消するという事件が発生していた。逆もしかりで、過去には公爵令嬢と男爵子息が駆け落ちなんてこともあったらしい。この一件で事態を重く見た国は義務教育を廃止し、代わりに家庭教師による単位制を導入した。
元々高位貴族は領地経営に跡継ぎ教育で多忙な身なので、わざわざ学園に集めて学ばせること自体、ナンセンスだし、貴族間の必要な繋がりは社交場で作れば良い。
え?ツテがなければ社交場に招待されないって?それが最大の目的なのだ。利のある者との結び付きを作り、害になりそうなものは徹底排除するためにはこれが一番有効な手段だ。いわゆるシンデレラストーリーや逆玉の輿なんてもってのほかなのである。
え?夢がない?婚約は家同士の契約なのだ。相手が高位の場合、長い時間をかけてそれに見合った教育を施される。それを惚れた腫れたなどの事情であっさり破棄されれば家同士の関係に亀裂が入りかねない。
「おーい、レイチェル。聞いてる?」
私がうんうん、としたり顔で頷いていると視界が大きな掌で遮断された。
「アンドレ、何をするんですか?」
「だーかーらー、俺はアンドレじゃなくてグウェンダルだってば。大体アンドレみたいな顔ってどんな顔だよ?」
「ご自分の顔を鏡でご覧になれば?」
私がべっと舌を出すと、グウェンダルにはしたない、と頬を摘ままれた。確かに夜会の場での令嬢の振る舞いとして相応しくないかもしれない。だが、群衆は今、広間の中心で優雅にダンスを踊る国王夫妻に夢中で誰も見てないんだから良いではないか。いつの間にか修羅場は終わってしまったようだ。あぁ、一番の見所だったのに残念だわ。この恨み、はらさでおくべきか。
踊る国王ご夫妻に目を向けながらも、グウェンダルに対する意趣返しを考えていると、隣のグウェンダルが思い出したように「そういえば」と言った。
「レイチェルは踊らなくて良いの?」
グウェンダルの空気を読まない発言に、私は頬を膨らませます。
「グウェンは性格が悪いですね。私がダンスは苦手と知っているくせに。それに…」
そこで、私は一旦言葉を区切る。グウェンダルは首を傾げて先を促す。
「まだ誰からもお誘いを受けていません。貴方はまさか私に一人で踊れ、と」
二人の間に気まずい沈黙が流れた。そうなのである。社交界デビューの令嬢と言えば、その初々しさ、可憐さから一人ないし、二人くらいはダンスのお誘いがあるのが通例だ。だが、私レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢の元には未だ誰からもお誘いがない。これは一体どういうことなのか。いや、理由はわかりきっているから皆まで言うな。
「やっぱり滲み出る加齢臭が原因じゃない?」
「うら若き乙女を捕まえて失礼なことを言わないで下さる?」
私はすんすん、とドレスを嗅いだ。お母様のクローゼットの奥から引っ張り出してきたのだけど、そんなに匂うのかしら?
私の挙動を見て、グウェンダルは苦虫を噛み潰したような、何とも言えない複雑な表情になる。
「レイチェルは見た目は若くても中身は枯れてるからなぁ。それにさっきは矢鱈とギラギラした熱視線を送っていたし」
「あら、貴方だって他人のことは言えないじゃないの」
先程から見ていればグウェンダルに声をかける者もいなかった。下品な表現をすれば、目くそ鼻くそを笑うというやつだ。
「俺は今回ただの付き添いだもの」
グウェンダルは鼻歌を歌いながら上機嫌でワインに口をつけた。
一般的に言うと、グウェンダルはイケメンだ。彼は私の従兄であり、4才年上の侯爵家の嫡子だ。将来安泰の有望株であり、実際ご令嬢方からのアプローチが絶えないそうだ。爆発しろ。
先程から、ちらちらと令嬢方の視線を感じるが、誰も寄り付かないのは不本意ながら私が防波堤の役割を果たしているからだろう。
グウェンダルを爽やかイケメンとするなら、私は腰までの長い黒髪の縦ロールに猛禽類を思わせる鋭い眼光をしている。よく何も企んでいないのに企みフェイスと言われるのは何故だろう。泣きたくなってくる。
「それなら私も今夜はグウェンの付き添いだわ」
付き添いなのだから、別にいいんだ。誰からもお誘いがないことなど気にしない。気にしたら負けだ。
「ふうん?なら、折角だし、俺と一曲踊っていただけませんか?お嬢様」
グウェンダルがおどけて私の手を恭しくとると、遠くで黄色い悲鳴が上がる。わかってやっているから質が悪いと思う。
私はグウェンダルを冷めた目で見て、その手を容赦なく振り払った。
「グウェン?周りの反応が面白いからといって、からかわないで下さいね」
「でも、後学のために一曲くらいは踊ったらどう?」
「そんないつかは来ないから大丈夫です。私、お花を摘みに行って参ります」
私はグウェンダルにそう告げるとその場を後にした。
心なしか早足になるのは断じて漏れそうというわけではない。私は後ろについてくる気配を感じながら、浮き足立つように人気の少ない場所を目指す。中庭に続く廊下まで来て、足を止めた。
確かリエラの話だと、そろそろだ。
「ちょっと。そこの貴女」
高飛車な声で呼び止められて、私はわざとらしく、びくっと肩を震わせた。内心では、待ってましたとガッツポーズをする。
これこそが私の今回の最大の目的であった。そうでないと、わざわざ自分には不似合いな母の若い頃の派手なドレスを着てきた意味がない。主に胸周りがすかすかで、私の絶壁っぷりを強調している。巨乳よ、爆ぜろ。
期待で胸を高鳴らせながら振り返ると、そこにはサファイアブルーの瞳を吊り上げたプラチナブロンドの美少女が取り巻きをつれて立っていた。彼女はサフィニア=ヴァレンティノ公爵令嬢。社交界の華と呼ばれ、彼女の着るドレスは絶対に流行ると言わしめるまでの女性だ。
間近で見ると、本当にため息が出るほどに美しいし、その視線に射すくめられると、ドキドキする。あぁ、なんて素敵なんだろう。まるで月の女神のよう。
「貴女、サフィニア様に呼び止められた理由はおわかりになって?」
嘲笑するように取り巻きの一人が言う。
そんなのわかりきっているが、私は敢えて訳がわからないと言わんがばかりに小首を傾げた。
サフィニア様と取り巻きの眉がつり上がる。恐らく馬鹿にしているように見えたのだろう。よくあることだ。別に悲しくなんかない。
「白々しいわ。サフィニア様と同じ色のドレスを着ているだけでもおこがましいのに、グウェンダル様の隣を独占するなんて!余程面の皮が厚いのね」
「そうよ。それに公の場でグウェンダル様とあんな…」
そこで取り巻きのご令嬢は顔を真っ赤にする。あんな…とは何のことを言っているのか。グウェンダルには貴重な人間ウォッチングの邪魔をされ、頬肉を掴まれ、手を握られてからかわれた記憶しかない。まさか、あれをいちゃついていたと思われたのなら、遺憾の意を表さざるを得ない。
あと、かぶっているのはドレスだけではない。実はこの髪型もサフィニア様を意識して、3時間以上かけてセットしてきたのだが、気づいてもらえなかったようだ。
屋敷に迎えに来たグウェンダルが私の気合いの入った髪型を見た瞬間、奴は大爆笑、笑いすぎて腹筋をつったそうな。私は禿げろと心の中で呪いをかけてやった。彼の毛根に幸あれ。
私が心の中で嘆けば、サフィニア様の取り巻きの一人が私の髪の一房を掴み、引っ張った。びろん、とロールがほどけた。
「聞いてるの?」
勿論、一言一句聞き漏らさずに聞いてますとも。わざわざ派手なドレスを着て、目立つ従兄を伴って来たのはこのためなんだから。そうでなければグウェンダルと夜会なんて頼まれても願い下げだ。あいつがいると、目立って仕様がない。
私は黙りこみ、サフィニア様を見つめた。何故か、私を取り囲んでいたサフィニア様と取り巻きの方々はたじろいでいる。意味がわからない。
「と…とにかく身の程を弁えなさいな」
そう言うと、取り巻きのご令嬢にどん、と突き飛ばされた。壁に寄りかかるような格好で私はその場に尻餅をついた。
私の間抜けな様子に満足したのか、サフィニア様達はそのまま、立ち去っていった。
後ろ姿を見送って、私は満足げな笑みを浮かべる。
「ふふ。くふふ。実際にあるのね」
勘違いなさっている方もいるかもしれないが、これは取材の一環だ。
私ことレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢は本の虫だ。
私は幼い頃から活字を読むのが好きだった。小説は素晴らしい。恋愛小説から果ては歴史書まで、ありとあらゆる本を読み漁った。不可能を可能にするフィクションには心踊ったし、史実の舞台や裏側を想像するのは楽しかった。
その内にそれを生業としてみたくなった。私は今年16になるが、浮いた話の一つもない。私くらいの年になると、婚約者の一人くらいいてもおかしくない。原因は私の顔面にある。手に職をつけたいと切実に思った。
お見合いの話が全くなかったわけではない。だが、皆、私を前にすると固まるのだ。私はその内に恋愛や結婚を諦めた。
壁にもたれかかったまま、空を見上げた。夜空に瞬く星を見て、ふと件のご令嬢の凝った装飾のドレスを思い出した。
「やっぱり、本物の方が美しいわ」
星空を模したドレスは美しかったけれど、本物にはかなわなくて。夜空を眺めながら、私はため息をついた。