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英(はなぶさ)

作者: 楠 海

お題は

・柿

・英英辞典

・四つ葉のクローバー

でした。

和英辞典にも英和辞典にも飽きて、自然と手に取ってしまうのはきまって英英辞典だ。ずっしりと勉強机の片隅に鎮座しているそれは、僕にはまだ難しい。

手持ちぶさたにめくっていたら、使い込まれた分厚い英英辞典は何故か今日はある箇所で自然にぱたりと開いた。

二つ折りにした白い薄い紙が挟まっている。そっと開くと四つ葉の白詰草が挟まっていた。すっかり厚みと水分を失って、自身を挟んでいた紙よりもよほど辞書に同化している。

clover、呟く言葉もまだ舌に馴染まない。

触れると乾燥したそれが脆く砕けそうで、一度伸ばした指を引き戻す。

彼女は、これを押し葉にする途中だったのだろうか。そのうち挟んだことを忘れてしまったのだろうか。それとも故意に。

僕ではない人の手でくたびれた辞典はまだ僕の手に馴染もうとしない。僕もまた、使いこなせはしない。

――あげる。きっと役に立つから

この辞典を僕に渡した彼女は、お裾分けの柿が入った袋を除き込んで嬉しそうに笑った。そうしてすぐに飛び立った。この半端な時期に、と思うのは僕が日本人だからだろう。英国の大学は秋に始まるというから。

その柿は家で食べたものと同じで、けれど彼女に渡した瞬間素晴らしく美しく照り映えたのだろう。彼女が最後に僕にくれた柿の静物画は、簡素な筆致ながら今でもくっきりと艶やかだから。

秋の夜長。家中で起きているのは僕だけで、あまりにひんやりと静かだからページをめくる音も自然密やかになる。蛍も雪もない季節に蝋燭を灯して、今夜は半月にも届かないから月の光も星の灯も少しばかり足りない。窓の雨戸の隙間から蠱惑的に、甘い金木犀の香りが夜風を真似て入り込む。

――金木犀の花言葉は、初恋

歌うように記憶の中の彼女が言う。ぼろぼろの画板と筆を手に。

――この香りを塗り込められたらどんなに甘い色になるかしらね

隣家の生垣は今も小さな花をびっしりとつける。初恋は毎年繰り返す。けれど彼女はここにいない。それは誰の初恋か。

英英辞典は僕にはまだ難しい。英国には行けない。今は、まだ。

それでもいつか――


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― 新着の感想 ―
[一言] 手持ち無沙汰にはなぶさで検索した偶然に感謝 わずか850字だけれど素敵な話でした その後彼は初恋の人に会えたのかな
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