第一章 悪魔が学校にいます
物語が始まります。
季節は6月。まだ涼しいだろうと思いきや、日中はサンサンと照らしつける太陽のおかげでじんわり汗ばむ。季節が移り行くのを感じる。
「あーちぃー・・・・・・」
駅の入り口の段差に座りこむ制服姿の少年。腰まで伸びた黒い長髪。ワイシャツのネクタイを緩め、だらしなく出したシャツを指でつまんで内側を扇ぐ。
駅から出てきた人々が座りこむ少年をチラリと見ては何食わぬ顔で去って行く。
「・・・・・・あ?」
ふと、少年の目と鼻の先にあるタクシー乗り場に一台の白いスポーツカーが停車した。助手席の窓がゆっくり開くと、小さな少女が首元で押さえつけるシートベルトを握りながら顔を出した。
「ごっめーん、おまたせガーくん」
「おっせぇ!!」
罵声を飛ばすと同時に勢いよく立ち上がり、スタスタと車に寄って行く。
助手席の窓を覗くと、落ち着きのある男の声。
「すみません、少し用事が長引いてしまって」
えへへ、と楽しげに少年を見上げる少女の先、運転席に座っていたのが声の主。ニコニコと笑顔を振りまき、謝罪と理由を少年に告げた。
「いいから乗りなよ、う・し・ろ」
少女が窓から顔を出しながら、後部座席の窓を外から指でつついた。
少年は舌打ちをすると、気に入らない様子で後部座席に乗り込んだ。
乗り込んだことをミラーで確認すると青年は車を出した。少年は、走り出すと窓に頬杖をついた。
「そんな不機嫌な顔しないでくださいよ、本当に反省しているんですよ?許してくださいよ」
「そーだよそーだよ、たった1分の遅刻くらい水に流す寛大さがないと社会の荒波にもみくちゃにされちゃうよ?」
後部座席を振り向いて言った。
「1分じゃねぇ、1時間だ」
「あれ、そーだっけ?」
首をかしげた少女に深く頷く。
「にゃはは、細かいことは気にしない気にしないっ」
親指を上に立ててほほ笑んだ。
「おい、折居、お前の娘は反省してませんよと主張してるぞ」
「私は本当に反省してますよ、そう怒らないでください、牙鳥」
後部座席で少女を指さして、どや目を細める少年、来生 牙鳥をミラー越しに見て、信号を曲がりながらほほ笑む木戸宮 折居。
「チッ、ニコニコしやがってこのペテン師」
二人の笑顔が気に食わないと言った様子で、窓の外に視線を外した。
「あとで何か冷たいものでもおごりますから、なだめてくださいよ。もちろん、いつもの麦茶ではなく、ちゃんとしたお店です」
「パパ、ウチにはー?」
「お前までいらんだろ」
「こらこら、私の可愛い娘をいじめないでください。大丈夫ですよ、もちろん霄も一緒ですから」
牙鳥を余所に「パパ大好き」「私もですよ愛しています」と親、子離れできない二人はえへへ、うふふな愛情を見せつける。
見せつけられた当人は、付き合い切れない、と呆れてふっ、と鼻でため息をついて再び窓の外に視線をはずした。
「それより牙鳥、どうでしたか、評議員の方々は」
その言葉に少年牙鳥の眉がぴくりと動いた。
「別に・・・・・・責任はうちのオーナーになすりつけてくれ。俺は仕事をしたまでだ。なら、お前らはあのまま逃がしてもよかったのか?逃がしても騒いだだろう。やり方?空飛ぶ敵を翼もない“俺”が地面に落としたんだ褒めてもらいたいね」
評議員の方々という人達に、牙鳥が本当に答えた内容を話した。肝心の評議員への感想は「別に」とたった二文字に収まる。
牙鳥の言葉に少女、霄は口をあんぐり開けて、
「さすがガーくんだねー、上層部にそんな態度でゆったんだ。さすが問題“十字架を背負う者”」
と呆れるように呟いた。
「私が責任を負うのは、立場上構わないのですが、いくらクルセイダーといっても、神を崇拝する上層部の方々に邪険にされているとは言っても、その盾突く態度はまさに火に油ですよ?」
「寝耳に水みたいな?」
「おしいですが少し違いますね」
「おしくもなんともねーよ親バカ」
ふむ、と霄は首をかしげた。
「でも、俺を認めてくれるやつがいる限り、こんなゴミみてーな世界でも生きていける」
素っ気なかった態度から一変。そう言った牙鳥の目が、鏡を通して折居と目を合わせると、すぐにむすっとした表情でまた外に視線を外した。
「それ名台詞だねー、ウチは好きだよそれー」
「牙鳥の・・・・・・お父さんの言葉でしたよね」
表情には素直にでないが、少し照れてしまっていると察した言葉。
「ああ・・・・・・俺を最初に認めてくれた・・・・・・親父だ―――」
そう、寂しげに言って、車内から見える移り行く街並みの風景から、雲一つない、静止した空を見上げた。
*
季節は6月。気温も、日差しも日に日に強くなって、体の芯まで焦がし、それに応じて汗がじわじわと吹き出す。
ベタベタな体。あたしはそんな夏が嫌い。暑くて、じめじめしてて息苦しい。自然とイライラしてしまう。
「あーっつーい」
背中を曲げて気だるそうに歩くキャミソールにミニデニム、ヒールの高いサンダルを履いた少女。無数のヘアピンでくせのある髪を無理やり留めて、形を整える力技を行使したくせの多い跳ねた茶髪。
一歩一歩、おもむろに重い足取りで商店街から持参のトートバックに買い物の中身を入れて出てきた。
「汗は体の涙だよ・・・・・・」
アーケードの中の蒸し風呂からの解放。と思いきや、特に風もなく涼しくもないためか、あー、と大きなため息が垂れ流される。
強い日差しが、白い肌を焼こうと悪意も、善意もなく照らしつける自然の摂理。
「あー、アイス食べたーい!!」
彼女、柳沢 篠が人目もはばからず大声で夏の空に叫んだ。
住宅地の向かい側にあるコンビニから篠は出てくると、出るや否や買った氷菓子の棒を袋から引出し、口にくわえた。
「こふぇよこふぇ、ふうぇひゃしゃがしゃあんあいあ」
訳すと「これよこれ、冷たさがたまんないわ」と、氷菓子が入っていた袋をコンビニに設置されたゴミ箱に捨て、先の気だるさとは違う、満足そうな顔で横断歩道の信号を待つ。
コンビニの店員に袋要りません、と地球温暖化対策につながる資源節約に協力した気でいるためかいささか、気分よくコンビニを出て、アイスの冷たさで気分は快調。精神の嵐は去り、春が来たようだ。
「ただいまー・・・・・・」
住宅地を抜けると、古い家が並ぶ住宅がある。正方形の敷地に並ぶ住居の真ん中に少し広い庭がある家。それが柳沢篠の家。そして、玄関の引き戸をガラガラと昔ながらの音を響かせ、帰宅した。
「ホント家の中は天国よねー・・・・・・」
と、言いながらまだ灼熱地獄のままの表情で、手で仰ぎながら台所へ。買ってきたものを冷蔵庫にしまうと、ふぅ、とため息。
落ち着いた顔で畳が敷かれた居間へ。入ってすぐにテーブルのリモコンの電源ボタンに指をかけた。
旅番組が流れるが、チャンネルを変えることなく隅にある仏壇の前へ行き、ゆっくり膝をついた。
「ただいまー、外熱かったよー」
仏壇に置かれた写真。優しくほほ笑む着物姿の老婆。手を膝に立てて、前のめりで淡々と嬉しそうに話、話しては笑い、話しては笑う。
―――あたしは、祖母を一年前になくした。
突然のことだった。ある日、おばあちゃんが倒れて病院に運ばれた。それは、あたしが中学3年の6月で、今日のような暑さ。学校から帰ったあたしは悲惨な現実を突きつけられた。
下校途中のあたしは、周りが騒がしく、人が倒れたと聞いて、朝の出来事を思い出した。
おばあちゃんは、朝、急にうずくまった。でも、病院には行かないと言って、あたしは学校があるから布団に寝かせ、一人にして出てきてしまったのだ。
元々、この家にはあたしとおばあちゃんの二人暮らし。あたし意外に気づける人なんていなかった。おばあちゃんはただの立ちくらみで、年だからこのくらいはあるよっていつもみたいにほほ笑んだ。
あたしは、急いで家に走った。救急車が止まっていて、近所の住民の人だかりができていた。
その光景を茫然と見ていたあたしに気づいた近所のおばさんが、「おばあさんが倒れたのよ」と告げ、初めて自覚した。
隣のおばあちゃんが、訪ねてきた時に倒れてるのを窓から発見してくれたらしい。
あたしは、意識をなくし、救急隊員が人工呼吸器を口にあてて抑えているのを見ながら一緒に病院へ行った。
意識がもどらないまま数時間。寿命がきたのかもしれない、と担当の医師に告げられた。他にもいろいろ言われたけど、その言葉だけで理解できるし、それ以前に耳に入ってこなかった。たった一人の家族が死ぬかもしれないということを聞いて動揺していた。あたしは、母親も父親もいないのだから。
両親の職業は立派なクルセイダーだったそうだ。悪魔に殺されたどころか、遺体すらも残さず消されたそうだ。それもあたしがまだ1歳の時。もう写真でしか顔もわからない。そして、おばあちゃんは、悪魔が次々と魔界の門から魔獣や、死神を連れて世界に侵攻してきた時代を戦った。”デビル デトネイション”・・・・・・”闇に喰われる世界”と呼ばれる歴史の中で、押されていた人類が反旗を翻した”人類生還戦争”を戦い抜いたクルセイダーだ。
正直、悪魔もだけど、魔法も憎かった。あたしからこんなにも大事なものを奪って、一人にさせようとする。あたしは一人が怖い―――
だから、あたしは、同情を求めていたずるい子で、ずっとおばあちゃんや、他人に甘えて生きてきたんだと思った。それでも、おばあちゃんが好きで、大好きだったから、がんばるからって何度も、何度も願った。怖くて仕方なかった。
でも、そんなあたしの願いが届くことなく、おばあちゃんは2日後に静かに息を引き取った―――
「ダメだ・・・・・・もう1年経つのに」
脱力して背中が丸まる。自分の情けなさを嘆いて大きなため息をついた。
「・・・・・・おばあちゃんにはホント甘えてたんだなって、今ならわかるよ・・・・・・」
ふぅ、と小さなため息をつくと、立ち上がって、両頬をパンッと叩いた。居間の隣にある台所へと行くと、トートバッグからパックに詰められたみたらし団子を取り、再び居間へ。
「おばあちゃんが好きだったお団子っ、おいしそうだから買ってきちゃったっ」
そう暗い気持ちを吹き飛ばそうとするかのように明るく笑みを浮かべた。団子を大胆にもパックのまま仏壇に供えた。
「お団子おいしっ!」
そう満面の笑みで親指をぐっと立てて仏壇の写真に向けてピンと腕を伸ばして突きつけた。
「もう、怖いなんて言ってられない。一人でも強く生きていかなきゃっ」
脇を締め、両の拳を胸元で握った。