17 盗難事件
「よし、偵察だ霧生!」
旧友の白瀬がそう言ってきたのは、僕が部屋に戻ってすぐのことだった。
偵察って…さっき終えたばっかりだろ。
「今から何を偵察するんだよ。結局、暇になって部屋に戻るのがオチだ」
「いやいや、霧生。今回はマジなんだよ」
「だいたい、入浴時間まで部屋で待機してろとさっき言われたろ? 遊び半分で部屋を出て、もし盗難にでもあったらどうする―――」
「盗難。さすがだ霧生、俺が言いたいのはそれなんだよ!」
「えっ」
若干脅せばやめるかなって思って言ったのに…この様子だとどうやら逆効果だったみたいだな。
しかし、盗難に何か関係があるのか?
「とりあえず聞くが、盗難がどうかしたのか」
「話が早いな霧生。この修学旅行、事件が起こってるぜ」
「事件?」
僕が知っている事件といえるようなものは市橋の件だけだが…。
それ以外にも何か起きたのか…?
白瀬は話を続けた。
「ああ。頼田が生徒手帳、あと柴木口ってやつがしおりをやられたらしい」
「…二人もやられたのか」
それも、しおりと生徒手帳…。
しかし一度の修学旅行でそんなに盗難事件が起こるものか?
もし本当に盗まれたとしたら、同一犯の可能性が出てくるな。
「それ、誰から聞いたんだ?」
「頼田だ。部屋に戻る途中で出くわして、いろいろ話した」
「信憑性は?」
「間違いないと思うぜ。失くなる前はちゃんとあったって言ってたからな」
「おいおい、それってもしかして千葉寺と同じなんじゃないか!?」
横から耕也が入ってきた。
そういえば、千葉寺ってやつも将棋が盗まれたんだったか。
「なんだ、千葉寺と同じって」
「千葉寺は将棋をやられたらしい」
「マジか! これは、ますます面白くなってきたぜ!」
一人で盛り上がる白瀬。
どうにも関連性が生まれつつあるな……これは言うべきか言わざるべきか。
「…他言無用だぞ。市橋も手鏡を盗まれた」
「えっ、いつだよ?」
「バスの中の時点で既になくなってた。だが何か関連があるかもしれない」
「よーし、ちょっと待ってくれ」
そう言ったかと思うと、白瀬は紙を取り出し、シャープペンシルを握った。
市橋が盗まれたというのは、完全に僕の推測なわけだが…可能性が高い以上はやはりそう考えた方が都合がいいかもしれない。
白瀬はペンを走らせ終えると、紙を僕と耕也に突き出した。
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いちはし 手かがみ
せんよーじ しょうぎ
らいた せいと手ちょう
しばきぐち しおり
―――――――――――――――――
「……もう少し丁寧に書けなかったのか?」
「いや、急いでてさ」
『手』だけはちゃんと漢字で書いてやがる。
しかし実際に四つも盗まれているとなると、これはもう事件だな。
自作自演の可能性もないではないが、全員がそうとはさすがに思えない。
なんにせよ、先生に届けた方がよさそうだ。
しかし、白瀬はそういうつもりは無さそうだった。
「俺たちで調査しようぜ。犯人を探すんだ!」
「おお、面白そうだな!」
耕也も次いで盛り上がる。
「まあまあ、晃平は俺たちについてくるだけでいいんだよ」
「まだ何も言ってねえよ…。なんで僕が行くの前提なんだ」
「そりゃお前、今までの功績から考えて、お前がいた方が効率がいいだろ」
今までの功績って何なの。
こいつらをどう巻こうかと考えていると、後ろから雅野の声が掛かった。
「その必要はないぞ」
「何?」
「この件は既に先生に届け出ている。先ほど一組の頼田から相談を受けてな、それで先生に届けたのだ」
なるほど。すでに先生に届けられているのなら、もう僕たちがどうこうするでもないだろう。
現に盗まれた品は大した被害も無さそうだし。
「聞いたろ。僕たちが動く必要はないし、せっかくの修学旅行にそんなことしなくたっていいだろ?」
これで大人しくなるか、と思っていたのだが、やはり白瀬はこれくらいではめげなかった。
「いいや、俺はやるぞ。なぁ竹内」
「おう。このままじゃ気になって楽しめないからな!」
「…勝手にしてくれ」
僕は決めたぞ。絶対に何もしない。
スキーだけやって楽しく過ごすんだ!!
・・・・
Side:SHIRASE
入浴時間になり、三組の生徒は移動を開始し始めた。
ようやく来たか…一日の疲れをぶっ飛ばせる唯一の癒しの時間が!
だが、今の俺には疲れを癒すよりも重要な任務がある。
「この時間がチャンスだ。千葉寺に話を聞いてみようぜ」
「千葉寺に? …なるほど、まずは情報収集ってわけか」
「ああ。まあ、あくまで風呂に入るついでとしてだけど」
霧生の協力が得られない今、俺は竹内と組んで犯人捜しをするしかない。
幸い竹内も乗り気だ。
犯人候補はかなり大人数だが、そこは気合だ。気合で何とかする。
しかし脱衣所に来てみたが、かなり広いな。これは浴場にも期待が高まるぞ!
・・・・
「…ふぅ」
体を洗い終えて、俺はしばし湯船でのんびりとしていた。
いやー、やはりこういう場所での風呂は最高である。
家だと足を伸ばして風呂に入るなんてことができないからだろうかね。
若干ぼーっとしてきたところで、竹内が浴槽へ入ってきた。
「あー…いいな、温泉は。で、浩太。聞き込みはどうしたんだ」
…そういえばそうだったか。すっかり忘れてたぜ。
「まあ焦るなよ。こんなに人が居ちゃ誰が千葉寺か分かんないだろ?」
それに浴場内には湯気が満ちていて、視界が悪い。
たった今気づいちまったぞ。
この場所はひょっとして聞き込みには向かないんじゃね?
「いや、そうじゃなくてな。千葉寺ならさっき出て行ったぞ」
「…え?」
「やっぱり気付いてなかったか」
呆れたように竹内は言うのだった。
いかん、あまりに湯船が気持ちよかったものだから気が行ってなかったか。
…仕方ない、俺も早めに出るか。
「…今出れば間に合うよな、たぶん」
「外にいる人も少ないし、探しやすいとは思うぞ」
竹内も俺と同じことを考えていたようで、入ったばかりの湯船から体を引き上げた。
着替えを済ませ、脱衣所から出たのはそれからほんの数分後のこと。
慌てて着替えたために着衣が若干乱れているが…まあこれくらいなら後で直せるだろ。
「…で、だ。千葉寺はどこにいると思う?」
俺が問うと、竹内は即答した。
「そりゃもちろん自販機だ。風呂上りは喉が渇くだろ?」
「確かにな」
実際に、俺も喉が渇いている。
千葉寺とか関係なく自販機行きたい。いや行こう。
「じゃあ自販機のとこまで行ってみようぜ」
「だな。ところで晃平はどうする? 置いて行くか?」
竹内は俺にそう問う。俺はこれに即答してやった。
「ああ、置いて行く。協力してくれそうにないし」
何より霧生の姿が見当たらないしな。あいつもう部屋に戻ったのか?
いや、今はとりあえずジュース…千葉寺が優先だな。
俺たちは自販機のあるロビーへ向かって駆け出した。
・・・・
Side:KIRYU
「…なんだ、居ないな」
風呂にのんびりと浸かっていた僕はほかの生徒よりも一足遅く脱衣所から出た。
しかし、あいつらもしかしたら待っていてくれているんじゃないかと思ってたんだが、そんな期待をするだけ無駄だったようだ。この人でなし!
…あいつらのことだ、どうせ例の盗難の捜査でもしてるんだろう。
ロビーにある扇風機の前で涼んでいると、後ろから声がかかった。
「あ、霧生くん」
聞き慣れたこの声は青野優のものだと、振り向く前に分かった。
「奇遇だな」
「いやいやー。霧生くんが出てくるの待ってたんだよ」
長いお風呂だったねぇと悪態づきながら優は微笑んだ。
僕と同じく風呂上がりなのか、優の髪は若干濡れている。なんだか妙に色っぽいな…これも魔法の力なのか、それとも風呂の力なのか。
「しかし僕が出てくるのをわざわざ待ってたとは…すれ違ったらどうするつもりだったんだ?」
「まあそん時はまた明日張り込むかな。こうでもしないと、男女間の部屋の行き来は禁止だしね」
そこまでするからには僕に何か用があるのだろう。
「で、どうかしたのか?」
「あ、うん。これ」
優は右手を差し出した。右手には生徒手帳が握られている。
…これ、昼間に拾ったって言ってたやつか。
「まだ持ってたのか。届けなくていいのか?」
「へ? やだなぁ、一緒に先生に届けに行く約束したじゃん」
いや、約束はしてないよ?
してないけど、風呂上がりの女の子を長い間待たせてしまっていたわけだしな…断るわけにもいくまい。
「…行けばいいんだろ」
「よろしい! じゃっ、行こう!」
優はそう言って歩き出した。
・・・・
優が持ってきた生徒手帳は『白井』という生徒が落としたらしい生徒手帳だ。
だが写真も貼られていないし、名前も書かれていない。
まあそんな生徒自体は少なくないし、別に校則上問題があるわけでも無いのだが、この修学旅行で風呂に入れないという事案が発生する。
早めに届けた方が良かったんだけど…もう風呂の時間終えちゃってるよね。
「白井ってやつ、風呂はどうしたんだろうな」
「さあー……。あ、そっか。手帳が無いとお風呂入れないんだっけ」
「お前…忘れてたのかよ」
昼間僕に説教垂れたのはどこの誰だったのだろうか。
「ところで、先生の部屋ってどの辺にあるんだっけ?」
「え? 僕は知らないぞ」
「え? 私も知らないよ?」
ほえ? おっかしいな。言い出しっぺの優さんのことだから知っているものかと思っちまったぞ。そうか知らねえか、かはは。
ちくしょう。
場所が分からないんじゃどうしようもない。
一旦戻って誰かに聞くかしおりを見るしかないじゃないか…。
「…戻るか」
「えー。せっかくここまで来たのに」
「いや、ここから先に進めないんだから戻るしかないだろ」
教師陣の部屋が六階にあるのは知ってたからここまでは来れたが…ここから探すには部屋の数が多すぎる。
駄目だ、完全に詰んだ。そう思って立ち尽くしていると、
「なんだお前ら。こんなところで夜間デートとは、色気の欠片もねえな」
またしても後ろから声をかけられ、びくりとする。
振り向くと立っていたのは我らが担任である相田だった。
今の台詞、仮にも教え子にかける言葉じゃねえだろ…。
「ふふ、気づいちゃいましたか先生。私たちの関係に―――」
「悪ノリするな」
ていうか僕、一応恋人いるからね。
自分で一応とか言ってるあたり自覚無いのが丸出しだけども。
しかし先生に会えたのはラッキーだ。
僕はそう思い話を切り出した。
「先生。実は落とし物を拾ったんですが」
「落とし物?」
相田が尋ねると、優が生徒手帳を差し出す。
「これです」
「…生徒手帳か。どこで拾った?」
「あー…学校に行く途中の道端で」
「なんで届けるタイミングが今なんだよ…」
悪びれる優に追い打ちをかけるように言う相田。
いや確かに僕も思ったけどそんなこと言うのはやめたげてよお!
「はは、すみません…。…ところで、これ写真が貼ってないんです」
「ああ、あれだろ。たぶん頭髪検査に引っ掛かって、写真が撮れなかったとかそんなんだ」
「なるほど」
それなら合点もいく。
「でも、手帳がないと困りますよね」
「ん?」
「入浴できないんじゃないですか?」
「…ああ。まあ何だかんだ言って入浴させないわけにはいかないから、風呂には入らせる。だがこってりと絞られるぞ」
「おお…」
落とした者にはおそらく何も罪はないはずなのだが、これも神の定めか。
まあ、落とすというのもある意味自己責任と言えるし、怒られるのも仕方がないのかもしれない。
「それより、お前らこの修学旅行中に何が起きてるか知ってるか」
「え?」
「将棋やら、しおりやら。あちこちで紛失してるみたいじゃねえか」
「ああ、そのことですか。僕たちもよくは知らないです」
どうやら先生も報告を受けているらしいな。
将棋やしおりが無くなったくらいで先生に報告するのも律儀というかなんというか…。
「調査とかしてるやつもいるみたいだが、馬鹿なことはやめてスキーの練習でもしとけよ」
相田はそれだけ言うと、生徒手帳を受け取って行ってしまった。
仮に今の台詞を伝えたところで白瀬たちがやめるとは思えないし、別に言わなくてもいいか。
「? 何か起きてるの?」
「え?」
優がそう訊ねてきた。
…そうか、優が知らないのも無理はない。なくなった品は市橋の手鏡を除いて全部男子部屋で起きたことだからな。女子までは話が行ってないんだろう。
まあ、せっかくの修学旅行なのにわざわざ面倒なことに巻き込むことも無いだろ。
僕は適当に誤魔化した。
「…何も起きてないよ」
「そう……?」
めちゃめちゃ不思議そうに顔を覗いてくる優。
我ながら誤魔化すのが下手過ぎだ。
「むぅ、怪しい」
「そんなことないぞ。何も起きてない」
「…まあいっか。じゃあ、手帳も届けたし、戻ろう」
「ああ、そうだな」
誤魔化せたかは分からないが、優はそれ以上追及しては来なかった。
そのまま僕たちは部屋へ戻るべく階段を降り始める。
その途中であることに気付いた。
それは『盗難が起きたのはすべて男子部屋だった』ということ。
…つまり、この事件に犯人がいるのなら、それは男子である確率が高いということだ。