28 おやすみ
さんざん漫画を堪能した僕たちは旅館へと戻ってきていた。
やれやれ、もう夕方になっている。
今夜泊まってから、明日帰る予定だからな…今夜こそはゆっくり寝かせてもらおう。
とりあえず部屋でゆっくり本でも読もうかと思っていると、旅館の玄関でいきなり優が言った。
「はい、では入浴タイム!」
「えっ、もう?」
驚いた様子でみなみが振り返る。
いやそりゃそうだ、まだ夕方だし、昨日と比べるとかなり早めの時間だ。
「お前まだ早いんじゃないか。馬鹿なのか」
この一言が気に障ったのか、ムッとして返してくる優。
「馬鹿とは失礼な。これでも学年で七十番台くらいには入ってるんだから」
「やっぱ馬鹿だろお前」
「馬鹿じゃないってば」
もうこのやり取りが馬鹿らしい。
もうやめようと手で制止すると優はすぐに切り替えた様子で言う。
「ま、お風呂じゃなくてもいいけど。まだまだ時間はありそうだし! 何する?」
「じゃ、ゲームが良い。結局昨日はやってなかったからな」
「お、いいねゲーム!」
ゲームと一口にいってもいろいろなものがあるな、ボードゲームやトランプなどのカードゲームなど。
だが白瀬が言っているゲームというのは、このうちのどれにも当てはまらない。
こいつは旅行に来てまで携帯ゲーム機で遊ぼうというのだ。
「お前、みんなでできることじゃないとダメだろ」
「何だよ霧生。じゃお前は何がしたいんだ」
「そうだな、部屋で読書」
「みんな揃って部屋で読書するのか…」
「じゃトランプ」
「そんなものあったら昨日やってるぜ」
誰も持ってきてないのか…僕も持ってきてない以上責め立てることはできないが。
するとそこでふと思い出した。
「……怪談」
「お、季節外れの怪談! いいねー!」
夏菜が喰いついた。昨日そんなことを誰かが言ってたような気がしたけど、まさかここまでとはな。
「でも晃平、怪談とかできるの?」
「まさか」
できたらもうちょっと前に誰かに披露してるところだ。
うちの家に住む凶悪な女子中学生の話ならできるが…それは怪談とは違うだろうし。
「ほらー。やっぱりやることないでしょ? お風呂にしようよ」
にやにやしながら優が言う。この女、勝ち誇った顔をしやがって。
今夜寝ている間に布団剥ぎ取って風邪引かせてやる…。
・・・・
そんなわけで早めの時間に浴槽に浸かる。
昨日はよく見られなかったが、窓から見える景色がいいな、ここは。
ふむ、そういう点では優の発言も意味があったということか…なんか悔しいな。
先に湯船に浸かっていた僕の隣に白瀬があとから入ってくる。
「いやー、いい眺めだな」
「お前も趣を感じる事なんかあるんだな。女にしか興味がないかと思ってたよ」
「しれっと失礼なこと言うな。確かに女にしか興味は無いが、俺にも趣ぐらいある」
なんか矛盾が生じているような気がするが。
「やれやれ、お前と初めて話した時はまだ普通のやつだったと思うんだが」
「霧生と初めて話した時って、いつくらいだったっけな」
「そうだな……」
しばらく考える。…どうだったかな、あいつと初めて話した日。
学年が上がって初めて白瀬と同じクラスになって、教室であいつが何か探してたんだっけ。
「……運動会の前日」
「運動会?」
「ああ、確かその時に初めて話した気がするな」
その年は確か雨が続いていたせいで、運動会が日曜日から火曜日まで持ちこされていたはず。
そんあことがあったのは六年間の中でその年だけだったからよく覚えている。
「そんな中途半端な日に喋ったのか俺たち」
「まあもともと僕は人と話すような性格じゃないし、当然かもな」
「俺、そこら辺の記憶は全然覚えてないんだよな」
「お前、何か探してたんだよ教室で。思い出せないか」
「…運動会の前に探すようなもんっつったら帽子とかじゃねえの」
その辺は僕も覚えていない。まあ思い出す必要もないとは思うが…気にはなるな。
こいつがいつから変人と化したのか分かるかもしれんし。
「いやいや、もうすぐ冬休みも終わりですなぁ」
突然、俊介が浴槽へと入ってきた。
話し込んでいて忘れていたがそういえば俊介もこの場にいたな。
「お前、結局浅井と何もないままなのか。今夜もやるのか?」
「いや、もう今回は諦める。次こそは決める…修学旅行で!」
冬休みが終われば割とすぐにそのイベントはやってくる。
そしてそれが終わればもうすぐに受験を控えることとなるだろう。
時が流れるというのは早いものだな…このままだったら卒業なんて案外すぐかもしれない。
卒業するまでも、そして卒業してからもこいつらと今の関係性を築いたままいければいいなと、
密かにそんなことを考えていた。
・・・・
さすがに出かけて疲れたのだろう、騒がしかった優や夏菜も食後はおとなしく部屋に戻っていった。
そのまま全員が自分の部屋に居るまま、時刻は十時、僕たちは就寝準備に入っていた。
だが今朝は遅くまで寝ていたこともあってか、まったく眠くならない。
困ったな、明日はもう帰る予定だから寝坊するわけにはいかないし…。
さてどうしたものかと悩んでいると、
「ね、ねぇ…?」
隣の布団に入ったまま、みなみが口を開いた。
「……どうしかしたか」
「…えっと、眠れないなって思って」
「ああ……まあ仕方ないな、眠れないんじゃ」
とはいってもそれは僕に解決できる案件ではない。
眠れるまで何かみなみと話でもしていようか…と言っても何を話せばいいのか。
こんな状況を経験したことが無い僕には、やはりそれも分からない。
「………恋人らしいことって、何かな」
「……え?」
急にそんなことを言われても…、というかなんでそんなことをみなみが…。
もしや俊介が言ってたことが影響して……。
そんなことを思っていたのだが、それはどうやら考えすぎだったようだ。
「優がね、昨日から言ってて………『付き合ったからには恋人らしいことくらいしないと』って……」
…優か。しかし優がそんなことをねぇ…、しかし恋人らしいことって、本当に何なんだろうな。
夏休みに白瀬が言っていたような、そういうことなのだろうか。
分からない。
「私はなんとなく分かるんだ、優の言ってたこと。…俊介くんも、そんなこと言ってたし」
「……みなみはその、そういうことをしたいとは…思うのか?」
「え……うーん…えっと」
否定しない…ということは別に興味がないわけでもないということか…。
みなみがそんな風に思っていたとは、正直意外だ。
結局僕はみなみのことをまだ全然理解できていないのか。
「……霧生くんが、したいなら、まあ」
「え…」
「…って言ってあげたいけど、やっぱりちょっと、不安かな……」
「……まあ、そうだよな」
そうはいったものの、僕にはそんなの分からない。
ただ理解できないわけでも無くて、そんな曖昧な返事になってしまったのだ。
「霧生くんはどう思う…?」
みなみの声は若干震えていた。
久々だ、こんなみなみは…文化祭の時以来じゃなかろうか。
僕はどうしたいのか…夏休みのときにも考えたが…その答えは…。
「僕は……どっちでもいい」
「どっちでも?」
「まあ、みなみが望むんだったら応えるつもりではいるけど……今はまだ、なんというか……僕にもよく分からん…」
何と言えばいいか分からない。興味が無いわけじゃなくて、でもただ闇雲にやってみたいわけでもなくて、いったいこの感情は何なのだろう。
みなみはこんな僕の答えに何を思うのだろう。
「……ふふ」
「え、今笑った?」
僕、結構まじめに考えて話してたのよ?
どこかに笑う要素あった?
いや、あったのかな、もうそうだったらすごい恥ずかしいんだけど。
「ふふ…なんでもない。ちゃんと考えてくれてるんだな、って思って」
「…いや、まあ……伝わったんならいいんだが」
「うん」
「……寝るか、なんか一気に疲れた」
おやすみと、そう言いいながら顔だけみなみの方へ向けると、
…
…
…
…
何かが僕の頬に触れた。それは二、三秒ほどの少しの間僕の頬に触れると、やがて離れていった。
今の感触は……。
起き上がろうとすると、みなみが少し荒い呼吸をしてから言った。
「今できるのは、これくらい…」
「あ、みなみ…」
「…おやすみ」
突然の出来事に僕は何も言えないまま、何もできないまま、ただ布団の中でじっとしていた。