◆01 ごく普通の
どうも、瀬川しろう(サイキック)です。お忙しい中、このような作品を見に来てくださりありがとうございます。超魔法や錬金術がといったファンタジーがこの物語に出てくることはありませんが、最後まで付き合っていただければ幸いです。
「彼女が欲しい!」
春の陽気さえ吹き飛ばしかねない大声で、男は言った。朝の教室、いきなり大声を上げた人間が注目を浴びないはずもなく、クラスの視線が一斉にこちらに注がれる。僕の隣の席に着く男を一瞥しながら軽くため息を吐くと、僕はこう返した。
「…そうか、頑張れよ」
「頑張れとはなんだ!つれないな、霧生!」
隣の席の男、白瀬浩太は不満そうにそう言うと、こちらに身を乗り出してくる。つれないと言われても。
「…どうせ、いつもの戯言なんだろ?」
「何を言うか。俺は本気で彼女が欲しいんだよ!」
目を輝かせながら言う白瀬。ああ、こいつ…間違いなく本気ではない。間違いない。こちとら小学校高学年の頃から一緒にいるのだ。それぐらい判る。
「…彼女欲しがってる割に、その頭 放置して学校に来たんだな?」
「…頭?」
不思議そうな顔をして、白瀬は己の頭頂部に手を当てる。
「ハッ!」
気付いたらしい。そう、やつの髪の毛はそれはもうボッサボサの状態だった。それもどういう寝方をすればそんな寝ぐせがつくのか気になるレベルである。日頃からもう少し身だしなみに気を遣っていれば恋人の一人や二人、こいつならすぐに出来るだろうに。それを分かっていてやらないということは、こいつに恋人が欲しいという願望など毛頭ないということだ。
「…しかし、すごいなその頭。もはや新手のファッションだな」
「ははっ、そんなに褒められても困るぜ」
「まったく褒めてないから安心しろ」
そんなどうでもいい、いつも通りのやり取り。普段ならこれで一通りの区切りが付き、話題はこの後の授業のことにでも切り替わるのだが、今日の白瀬はいつもとは少し違ったようだった。
「だが、霧生。俺たちももう二年生だ…。そろそろ彼女が出来ても良い頃合いじゃないか?」
「なんだ、今日はずいぶん引っ張るなお前」
「あったりめえよ。考えてもみろ霧生、同じクラスに恋人が居たら…なんて考えたら授業中だって空も飛べそうじゃないか?」
もちろん、僕だって健全な男子高生だ。もし自分に恋人が居たら…なんて妄想は何度かしたことがある。僕自身、恋人が居ない人生に満足こそしているが、恋人が居たら居たでそれは良いものなのではないかと思うのも事実である。
だが、さっきも言った通りこの男にそんな願望がないのは明らかだ。ということは、この男がこの話を引っ張り続けるのには何か別の目的があるということになる。
その目的とは何か―――。
「おはよ、晃平っ!」
刹那。思考を遮るかのように、僕の背中が強く叩かれた。僕は振り返り、背中を叩いた女子生徒…浅井夏菜を一瞥すると、こう返した。
「……いたい」
「あれ?痛かった?ごめん」
けろっとした顔で謝罪する浅井夏菜。いや、お前…。割と痛いぞ、本当に。もちろん彼女に悪気などないのだろう。浅井夏菜は昔から加減という言葉を知らない女だ。それにしても痛い。
「あ、白瀬くんもおはよー!」
「おう、おはよ」
夏菜は僕の右斜め前の席に鞄を置くと、ぱたぱたと女子生徒の集団の方へ駆けていった。やれやれ、朝から元気いっぱいなのは良いことなのか悪いことなのか。
「今日も元気だなー浅井は」
「まあ、あいつの取り柄は元気と成績ぐらいのものだからな」
「それ完璧じゃね?」
白瀬の素のツッコミが入る。言われてみれば確かに…。夏菜は常に元気溌剌としていてクラスのムードメーカーたる存在だ。アニメや漫画の世界ではそういうキャラは得てして成績が良くなかったりするものだが、そんな創作の掟は夏菜には当てはまらなかった。
「浅井はすげえよな。周りを笑顔にするし、成績も良いし、顔だって悪くない。非の打ちどころがない女だ。そう思わねえか?」
「…………」
やたらに夏菜を褒めちぎる白瀬。ここでさっきまで白瀬としていた話が蘇る。なるほど、朝から白瀬が彼女彼女と騒いでいたのはその事か。
「どうした霧生、なんで一人で頷いてんだ?」
「……いや、お前の意見に同意したまでだ。夏菜はたしかにいい女だ。あいつを好きにならない男なんていないわけがないな」
そう言いながら、わざとらしく頷いてみせる。すると、
「そうだろうそうだろう!やっとお前らにも浅井さんの良さが理解できたようだな」
満足げな顔で、白瀬の後ろからもう一人の男が現れた。その男、渦木俊介はまるで自分が褒められたかのように嬉しそうな顔をしていた。
「浅井さんのような子が彼女になってくれたら…俺はすごく幸せだ、霧生」
「…そうか。頑張れよ」
「…なんか冷たくないか?」
特に冷たく接したつもりはないが、渦木がそう言うならそうなんだろう。渦木は教室の真ん中で女子生徒と談笑する夏菜を見つめる。
「…浅井さん、可愛いなぁ」
この男は夏菜に惚れている。今そこで大笑いしている白瀬が、今朝からやたらと恋人の話や夏菜の話を振ってきていた理由は、判ってしまえば何のことは無い。ただ単に、渦木をからかいたかっただけなのだろう。
と言っても、白瀬は別に渦木の恋心をバカにしているわけじゃない。渦木をからかったのはただのおふざけで、心の中では友人の恋を応援しているはずだ。たぶん。
「なあ、霧生…あと白瀬。浅井さんと幼馴染みのお前らに、どうしたら浅井さんと付き合えるのかをレクチャーしてほしいんだ」
「お前今俺のこと、ついでみたいに言いやがったな!?」
「だって、浅井さんが挨拶するときもそうじゃないか。先に霧生に挨拶してから、お前に挨拶してるだろ?」
「ん、何だと…?」
「それに、浅井さんって霧生のことは名前で呼ぶけど、お前のことは名字で呼ぶじゃないか」
「なるほど、たしかに…」
ふむふむと頷く白瀬。それで納得してしまっていいのか幼馴染よ。それに、夏菜が僕のことだけを名前で呼ぶのは、単純に仲良くなった時期が問題なだけで距離感は関係ない気もするが…。
「とにかく、浅井さんとどうやったら仲良くなれるのか…それを教えてほしいんだ」
「そうは言っても…あいつと仲良くなるのなんかそう難しいことじゃないだろ」
夏菜は基本的に誰とでも打ち解けられる性格だ。むしろ、あいつと仲が悪い人間なんてこの学校に居るのか分からないほどである。いや、あいつも人間である以上、馬の合わない人間は存在するのだろうが…それでも少なくとも僕はこれまでの人生で、あいつが特定の人間を毛嫌いしている様子は見たことが無いというのが現実だ。そういう意味では渦木は既に夏菜と仲良くなっていると言えるだろう。だが、渦木が言いたいのはそういうことではないらしい。
「違うんだ。俺は浅井さんと男女の関係になりたいんだよ!ただのクラスメイトなんて、そんな現状じゃ満足できないんだ!」
「朝から教室で何を言ってんだ、お前…」
「告白でもしてみたら良いんじゃねえか?」
白瀬が横から言う。渦木は腕を組みながら唸る。
「うーむ…やはり、それしかないのか?」
「やめとけやめとけ。いきなり告白なんかしても、上手くいくわけが…」
ない、と言いかけて止める。恋愛に疎い夏菜のことだからな…案外、いきなり告白するぐらいじゃないと渦木の好意に気付きもしないかもしれない…。やれやれ、厄介な相手に惚れたな渦木。
「…なんだ、霧生。どうかしたか?」
「…いや。とにかく、いきなり告白なんかしても丁重にお断りされるだけだと思うぞ。もう少し仲を深めた方が良い」
「…その方法が分からないから、聞いているんだが」
シュンと項垂れる渦木。そんな渦木を見て、僕と白瀬は顔を見合わせた。移動教室の授業の際に声をかけたり、同じ委員に立候補したり、思えば渦木は渦木なりに夏菜と距離を縮めようと奮闘している。それこそ夏菜以外の人間なら、誰でも渦木の好意に気が付くだろうというレベルで。
しかし、奮闘すれど夏菜との距離が縮まる様子は見られない。その努力の上で、こいつは僕たちのもとへ助けを乞いに来ている。そんな友人の力になってやりたいと、思ったのは隣に立っている白瀬も同じだったようで…。
「…よし。だったら、俺たちで場をセッティングするしかないな!」
「…セッティング?」
力なく渦木が聞き返す。白瀬はいつものような自信ありげな表情で語り始めた。
「要は、渦木の告白が上手くいくようにすれば良いんだろ?そのために、仲を深める必要があるってことだよな」
「ああ、そうだな」
「だったら、簡単だ。一緒にいる時間を増やせば良いんだ。旅行でもなんでもいい、とにかく渦木と浅井が一緒にいる時間を増やしてやればいい。そうすりゃ自然と距離だって近くなるさ」
そう言って白瀬は僕にウインクした。…なるほど。つまり、渦木がより動きやすくなるように、僕たちでそういう状況を創り出してやる、ってわけか。
「…でも、それって俺たち三人と浅井さんの合計四人で何かして遊ぶってことか?」
「まあ、そういうこったな!」
「…うーむ、どうなんだろうな」
再び腕を組み、唸る渦木。渦木の言わんとすることは理解できる。いくら夏菜が男女関係なく誰とでも仲良く遊べる人間だったとしても、年頃の男子三人と遊ぶというのは周りの視線だって良くはないだろう。いや、きっと夏菜本人はそんなこと気にも留めないとは思うが…幼馴染みが周りからそういう風に見られてしまうのは僕自身あまり好ましくない。
かと言って、いきなり渦木と夏菜を二人きりにするのも無理だろう。それが出来るなら、初めから渦木は僕たちに助けを求めに来ていない。とすると―――。
「おはよー」
ガラリと教室の扉が開く。
「あ、優!みなみ!おはよー!ごめん、ちょっと待ってて」
夏菜はそれまで談笑していたグループに断りを入れると、ぱたぱたと教室へ入ってきた二人の女子生徒の元へ駆けていった。あの二人の女子生徒…。
「そういや、夏菜ってあの二人と一緒にいることが多いよな」
「お?他人の顔と名前は覚えない主義の霧生がちゃんと覚えてるなんて珍しいこともあったもんだな」
「そんな消極的な主義を掲げた覚えはない」
僕はただ単に、初対面の人間の顔と名前を一致させるのが苦手なだけだ。そのおかげで僕は夏菜とは対照的に、新たな人脈を広げるということがほとんどない。二年生になって一新されたこのクラスになってから既に二週間が経過しているが、新たにできた友人は未だゼロである。
だが、あまり苦に感じてはいない。昔から自ら交友関係を広げようとしてこなかった僕にとって、もうこの環境は当たり前のものとなっていたのだ。
いや、今は僕のことはいい。それよりも―――。
「あの二人か。青野と鮎川だな。俺は去年から同じクラスだったけど」
渦木がそう呟いた。なるほど、青野と鮎川か。正直なところ、どちらの女子生徒が青野で鮎川なのが全く分からないがあの二人の女子生徒は、少なくとも僕が顔を覚える程度には夏菜と一緒にいることが多いということになる。だったら、それを使わない手は無いかもしれない。
「…あの二人、誘えないかな。そうすれば、男女三人ずつになるし、周りの目を気にする必要もなくなる」
「えっ!?」
白瀬と渦木、二人同時の反応だった。
「そ、そんなに悪い案じゃないと思ったが…ダメだったか?」
「いや、その案は俺も思いついてたが…。まさか、お前が真っ先に提案するとは思わなかったからよ」
「そうだよな。俺が知ってる限りじゃ、霧生は自分からわざわざ交友関係を増やすようなことはしなかったもんなぁ」
わははと、談笑を始める二人。えらい言われようだが、これまで交友関係を築こうとしなかったのも事実なので何も反論はできない。だが、白瀬も今の案を思いついていたというなら話は早い。後は行動に移すだけだ。
「じゃ、あの二人を誘うのは頼んだぜ、霧生」
「……え?」
言われて、思わず素の反応が出てしまう。僕が?誘う?あの二人を?どっちが青野で鮎川かも分からないのに?そんなバカな。
「だって、言い出しっぺは霧生だろ?」
「な…お前だって、二人を誘うって案は思いついてたんだろ」
「まあな。だが、こういう場合は誰が提案したか、ってのが重要なのさ」
「適当なことを…」
僕があの二人を誘うなど、到底無理な相談だ。これまで交友関係が広がらなかったのは、行動しなかったからではなく、行動できなかったから。それは僕自身がよく判っている。しかもその相手が女子となると…。
どうしたものかと考えながら、ふと夏菜たちの方を見てみると。
「…………」
その二人の女子生徒の片方と、目が合ったような気がした。