橘の葉揺らす時津風
―――とある夏の日の思い出。
「ミーンミンミンミー……」
夏休み前の最後のHRも終わり、帰ろうと教室を出た。
橘 透と書かれた下駄箱から靴を取り出して履き替える。校舎を出ると夏の暑い日差しがじりじりと皮膚を焼いた。脇道にひっそりと建っている駄菓子屋に入り、水色の氷の棒を買った。かじれば爽やかな甘さとともに、口の中を冷やした。
帰路の途中で、神社の前を通った。道端に立っている掲示板には、夏祭りの知らせが張り出されている。
「……」
夏が来ると、必ず思い出すことがある。そろそろ、十年前のことになるらしい。立ち止まって、過った面影を思い浮かべた。
「透君、スイカ食べるかい?」
夏の日の午後。縁側で寝っ転がっていると祖母が話しかけてきた。勢いよく起き上がって答える。
「たべる!」
「そうかい、じゃあ手を洗っておいでな。ばあちゃんは準備しとくから」
「わかった!」
祖母の家は木造建築の古屋で、廊下を走ればすぐにぎしぎしと床板の軋む音がした。天井の木目が顔に見えて、夜眠るときは少しだけ、こわい。
手を洗ってから戻れば、祖母がスイカをダイニングテーブルのお盆の上に置いて待っていた。真っ赤に熟れていて、とてもおいしそうだ。台所の流しの脇には数切れのスイカだけ小皿に分けて置いてあった。
自分には高くて、床に足がつかない椅子にいそいそと腰掛ける。
「いただきます」
「はい、どうぞ召し上がれ」
祖母がにこにこと笑って促す。分厚く切られたスイカを一切れとって齧る。よく冷えていておいしい。そのことを祖母に伝えると、祖母は嬉しそうに目を細めて言った。
「それはよかった。実は、そこの小川で冷やしておいたんだよ」
「おがわで?れいぞうことかじゃないの?」
「野菜なんかもそうなんだけどねえ、流水で冷やした方がおいしいんだよ。シンクで冷やしても良いだろうけど、せっかく目の前に小川があるんだもの」
祖母はため息をついた。
「でも、それもいつまでできるかねえ……」
「なんで?ほんとはやっちゃいけないことなの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどねえ、もうしばらくしたらこの辺りはダムに沈んでしまうから」
「このいえもしずむの?」
「そうなるねえ。まあ、わたしがいる間は工事を進められることもないだろうけども。なんだか公共事業費のことでもめているようだから」
「ふーん?」
「ああ、透君にはまだ難しい話題だったよねえ。ごめんよ」
「べつに、わかるし」
そういうと、祖母の顔がほころんだ。
「そうだねえ、透君、大きくなったものねえ」
そうして祖母もスイカを一切れ取る。しばらく二人で無言のままスイカを食べた。お腹がいっぱいになる頃には、ダイニングテーブルの上からスイカの姿は消えていた。
「ごちそうさまでした!おがわをたんけんしてくる」
「いってらっしゃい、気を付けてね」
祖母の家を出れば、夏の日差しが降り注いでいた。あちらこちらから蝉の鳴き声が聞こえる。家の裏手に回れば小さな畑の向こうに山がある。あぜ道を少し進めば、すぐに小川が見えてきた。ただ、小川と言ってもせせらぎが聞こえるほど水が流れているわけでもなく、スイカを冷やせるような深さはない。川のほとりを上流に向かって歩いていけば、だんだんと水深が深くなっていくのが面白い。だが魚の姿は確認できなかった。もっと奥の方に行けばいるのだろうか?そう思い、先に進むことにした。
ひたすら奥へ奥へと進んでいると、川が突然広がり、池のようになっている場所に出た。ふと周りを見渡せば、辺りは木ばかりで、山の中に入ってしまっていることに気が付いた。別に入ってはいけないところというわけではないが、どうにも場違いな気がして、落ち着かない。今日はもう戻ろうと踵を返しかけたところで、誰かの話声が聞こえてきた。
「……そろそろアズマの婆さんも越すらしい」
「とうとうあの頑固婆さんも越すのか。寂しくなるなぁ。でもホクガの狸爺は残るんだろ?」
「あの爺さんはオレがまだ道端に転がってた頃から爺さんだったからな。十分大往生だろうよ」
どうやら、木々の奥から声が聞こえているようだ。誰がいるのか気になって近づいてみれば、木々が開けた場所に出た。しかし、妙だ。信楽焼の狸と小さな石の地蔵という変わった組み合わせが鎮座しているだけで、人の姿はどこにもない。
確かにこの辺から声が聞こえてきていたはずだが違ったのだろうかと、辺りをきょろきょろと見渡していれば、その声が聞こえてきた。
「やあ、これは驚いたなぁ。人間の童じゃないか。ここ最近は住人もとんと減ったからなぁ。童なんぞを見るのは何十年ぶりか」
「今日は祭りだからなぁ、うっかりとでも迷い込んだか」
驚いて声がしてきた方を見れば、狸と地蔵から声が聞こえてくる。おまけに、狸と地蔵の口が動いているのが見て取れた。
「童よ、お前さんの名はなんという?」
何か聞かれたような気がしたが、到底それどころではない。くるりと身を翻すと、その場から逃げ出した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息も切れ切れに立ち止まってあたりを見渡す。
「ここ、どこだよ……」
闇雲に走ったせいだろう、どうやら迷ってしまったようだ。せめて池のほとりまで行くことができれば、帰り道はわかるのだが。それにしても、さっきの狸と地蔵はなんだったのだろう。ただの見間違えとも思えない。……それとも夢でも見ているのだろうか?
試しに頬をつまんでみようとしたところで、背後の茂みが音を立てた。まさか、さっきの狸と地蔵が追いかけてきたのだろうか。急いで振り向けば、そこにいたのはごく普通の、着物を着た中性的な容貌をしている、若い青年だった。いや、普通とは言えないかもしれない。外見はどう見てもせいぜいが二十台後半なのに、妙に老成した雰囲気を纏っている。
青年は柔らかく微笑んだ。
「こんにちは」
「……こんにちは」
思ったよりも普通な挨拶をされて戸惑った。この村でこんなに若い人は見たことがない。山のふもとに住んでいる住人は祖母を含めて五人ほどしかいないし、その誰もが高齢と言っていい歳のはずだ。
「幸さんと約束していてね、君を迎えに来たんだ」
急に祖母の名前を出されて戸惑う。
「ばあばとやくそく……?」
「うん、とはいってもだいぶ昔の話なんだんだけどね。私のことはクノカ、と呼んでくれると嬉しい」
「くのか」
「うん」
「……おれは、」
変わった名前だな、と思いつつも名乗られた以上は俺も名乗ったほうが良いだろう、と口を開いたところでクノカに止められた。
「家に帰るまで、自分の名前は言っちゃいけないよ」
「?なんで?」
「人の子は七つまでは神の子だからね。名前を知られてしまえば、神隠しされてしまうかもしれない。だから家に帰りたいのなら、自分の名前を言ってはいけないんだ」
「……わかった」
「よし、いい子だ」
クノカは優しく俺の頭を撫でた。
「ついておいで」
そう言ってゆっくりと歩きだした。クノカは森を知り尽くしているようで、特に迷うそぶりも見せずにすいすいと進んでいく。
「クノカはこのへんにすんでるの?」
「そうだね、この山の奥の方に大きなお屋敷があって、そこで暮らしているんだ。お屋敷は私だけじゃなく、いろんな人が住んでて毎日賑やかで楽しいよ」
「そうなんだ」
「うん。でも今日は特に賑やかかな。なんといってもお祭りだからね」
「おまつり?いまもやってるの?」
「気が早い人たちはね。本格的に始まるのは夜からなんだけど。君は、お祭りは好きかい?」
「うん、すき」
「いいよね、お祭り。私も楽しくて好きだよ」
クノカは目の前にいる子供がそわそわしていることに気が付いたらしい。微笑んでこう言った。
「時間があるなら、お祭りに寄っていくかい?まだ始まるまでに時間があるから、それまではお屋敷で時間を潰すとして」
「いきたい!」
勢いよく言ってから、知らない人についていってはいけないと、散々親に言われていたことを思い出した。だが、お祭りには行きたいし、祖母のことも知っているようだった。それに、なぜかクノカにはついていっても大丈夫だ、という謎の安心感もあった。
「じゃあ、お屋敷に行こうか」
その時、木々の隙間から、赤い蛇の目傘を差した女性が現れた。綺麗な人ではあったが、着物を着た体は細く、どこかに違和感を覚えた。女性がちらりとこちらを見やる。目が合って、違和感の正体に気が付いた。瞳孔が大きいのだ。まるで、女性のさしている傘のように。
「主様、今少しお時間を頂戴してもよろしいですか?」
聞こえてきた声もまた、風でも吹けばかき消されてしまうのではと思うほどに、か細かった。
「どうしたんだい、マヤ。何かあったのかい?」
「いえ、主様にお暇の挨拶を、と思いまして。今宵は忙しくされるのでしょうし、わたくしの方も色々と準備がありますゆえ」
「なるほど。準備の方は大丈夫かい?」
「お気遣い、ありがとうございます。でも、わたくしと子供の準備だけですので、大丈夫です。狸のサトカ一家は苦戦しているようでしたけれど」
女性はくすり、と笑った。
「彼らは率いなければならない人数が多いからね、大変だろう」
「まったくその通りですわ。……ここでの暮らしは本当に楽しゅう御座いました。これもすべて主様の尽力のお陰です。今までお世話になりました」
そういうと女性は深々とお辞儀をした。
「私も君たちといることが楽しかった。新しいところに行ってもお元気で」
「ありがとうございます。……それではこれにてお暇させていただきます」
「さようなら」
二人が見送る中、女性は木々の間に消えていった。
「……あのひともおやしきにすんでるの?」
「うん、マヤもお屋敷の住人だったんだ。明日には引っ越していなくなっちゃうけれどね」
「ひっこしちゃうの?」
「マヤだけじゃなくて、いろんな人が引っ越すんだ。いずれこの辺りはダムに沈んでしまうからね。お屋敷に住めなくなっちゃうんだよ」
「ばあばもいってた」
「……そうだね、幸さんの家の辺りも沈んでしまうからね」
気づけば広くて、石畳が敷かれた道に出ていた。道の両脇には等間隔で石灯籠が並んでいる。
しばらく歩いていれば道が二手に分かれていた。右手の道は今までと同じように森の中へと続く道だが、左手は石段の麓へと続いていた。石段の両脇にも、やはり石灯籠が並んでいる。クノカは迷わず右に進んでいった。
「あのかいだんのうえにはなにがあるの?」
「社……、神社があるんだ。あとでお祭りの時に行こう」
「うん」
ほどなくして、二人は大きな屋敷の前に立っていた。黒い瓦付きの豪華な門の真ん中をクノカに続いて堂々とくぐれば、石畳の道の先に寝殿造りの屋敷がはっきりと見えた。所々に松が植えられていて、池のようなものもある。石畳の周りには、白い玉砂利が敷き詰められていた。そして、やはりここにも石灯籠が等間隔で並んでいる。
「うわぁ……!おおきい……!」
「たくさんの人が住んでいるからね」
クノカはにこにことした顔から一転、真面目な顔をして言った。
「君には約束してほしいことが一つある」
「なに?」
「このお屋敷や、お祭りで出ている食べ物や飲み物は絶対に飲んだり食べたりしてはいけないよ。家に帰れなくなってしまうからね。守れるかい?」
「わかった」
頷くと、クノカは微笑んで俺の頭を撫でた。
「それなら良し、屋敷に入ろうか」
目的の部屋について襖を開ければ、中央に変なものが鎮座していた。信楽焼の狸と、狸よりも一回り小さい石の地蔵だ。
「うわぁ!?」
思わず叫んで、クノカの背に隠れた。こんなところにいるとは。まさか、ずっと追ってきていたのだろうか。
「おお、先ほどの童ではないか」
地蔵が言って、狸とともにのそのそと近づいてきて、つんつんと突っついてきた。なんせ石と陶器の手なので人と違って冷たい。
「わわっ!」
あたふたとクノカの回りを逃げ回る姿をかわいそうに思ったのか、クノカが間に入って追いかけっこは終わった。
「ちょっとちょっと、怖がってるじゃないか。久々に人の子に会えてうれしいのはわかるけど、少しは自重しないとこの子がかわいそうだよ」
「すみませぬ、主様……」
二人はしょぼんと頭を垂れた。実はこの二人はそんなにこわくないのかもしれない。俺はクノカの陰から、顔だけ出してみた。よく見れば、地蔵の方はよく見かける地蔵と言って差し支えないが、狸の方はただの焼き物にしては凝った作りをしている。
「悪いものじゃないんだ、許してあげてね」
クノカが苦笑しながら言った。
「べつに、へいき」
「悪いんだけど、しばらく君はこの部屋にいてくれるかい?私も色々と準備しなくてはいけないことがあってね。この部屋にはたいていのものはあるから」
「もどってくる?」
「大丈夫、ちゃんと戻ってくるよ。そうしたらお祭りに行こう」
「わかった」
クノカと別れるのは少し心細い気もしたが、そんなことを言うわけにもいかず、ただ頷いた。クノカは微笑むと、部屋から出て行った。
「とりあえず、座れ座れ」
狸がどこからか座布団を一枚出してきて勧めてくる。和室で意味もなくずっと立ったままというのも何なので、ありがたくもらうことにした。
「どうする?花札でもするか?」
地蔵が狸に尋ねた。
「三人で花札か……。悪くはないが、坊、どうする?」
「おれ、はなふだしらない」
「なんと!花札を知らぬか。これが時代の流れというやつか……」
沈黙が場を支配した。誰も何もしゃべらない。どうにも気まずい雰囲気だったので、気になっていることを聞くことにした。
「えーっと、狸さん?」
「俺を狸などと呼ぶな!俺には昔につけられた由緒正くも美しく、この上もなく俺にふさわしい名前があってだな……」
「童よ、気にせんで狸で良いぞ。みな狸と呼んでいるからな」
地蔵にさえぎられて狸を面白くなさそうにブツブツと何か言っていたが、気を取り直して何か質問でもあるのか?と聞き返してきた。
「あの、なんでそんなにりっぱなの?おおきさとか、いろとか」
「よくぞきいてくれた!」
狸は目を輝かせて、座布団から身を乗り出した。対して地蔵の方はめんどくせ、とでも言いそうな表情をしながら後ろに身を引く。
「俺は昔、加賀藩藩主様のお城に置かれていた信楽焼の置物だった。それが、参勤交代で藩主様がお江戸に行っている間にな、物取りが入ったのだ。藩主様のお屋敷に忍び込むなど、その時点で不届き千万、切り捨て御免といったところだが、そやつは大したやつでな、俺をも盗み出すことに成功したのよ。まったくけしからん。警備の武士が昼寝でもしてたに違いない。まあそれから戦争やらなんやらいろいろとあってな、流浪の旅の終着点がこのお山というわけだ」
誇らしげに話を締めると、狸は黙った。再び部屋に三人分の沈黙が降りる。困って地蔵の方を見れば、地蔵は菩薩顔をしているし、狸に至っては得意げな顔を崩していない。だが正直、何を言っているのかわからなかった。五歳の子供には少し難しすぎる話題だったのだ。とりあえず何か言おうと、口を開きかけたところで、襖が開く音がした。
背後を振り向けば同い年くらいの着物を着た女の子が立っていた。よく見れば、手に草花を持っている。
「あれ、ぬしさまは?」
首をかしげて、女の子は尋ねた。
「先ほどまでいらしたのだがな。祭の準備があるとかで、どこぞに出かけられたぞ」
地蔵が答える。
「そうなの。ざんねん」
そう言うと部屋に入ってきて、窓際に置いてある空っぽの花瓶にそっと花を挿した。そして座布団を取り出すと、狸と地蔵の間に座った。
「あなたとあうの、はじめてね!わたしはみよ。あなたは?」
「えっと、えっと……」
クノカに名乗ってはいけないと言われているが、名乗らないのは失礼にあたるかもしれない。どうすればいいのだろうか。
しばらく逡巡していると、見かねた地蔵が助け舟を出してくれた。
「みよ、こちらの坊はな、少々訳ありで自分の名前を忘れてしまったのだ」
「そうだったの?ごめんなさい」
みよは座布団に座ったまま、ちょこんとお辞儀をした。
「だいじょうぶ」
つられて俺も頭を下げる。
「それで、ここでなにをしていたの?」
みよが聞くと、嬉しそうに狸が言った。
「この坊にな、おれの経歴を話しておったのだ」
「またそのはなしをしていたの。たいくつだったでしょ、せっかくよにんもいるし、とらんぷしましょうよ」
にべつもないみよの言葉に狸はぶつぶつと文句を言っていたが、そんなことはお構いなしで部屋の奥の箪笥からトランプを持ってきた。
「このあいだ、ぬしさまからじじぬきとしちならべをおしえてもらったの。とてもたのしいのよ」
「どっちをやるの?」
「そうね、まずはじじぬきをやりましょうよ」
慣れた手つきでカードを切って、適当な一枚を抜いた。それから均等にしてカードを四人に配る。結局、拗ねていた狸や「ぽーかーの方が好きだ」などと言っていた地蔵も大人げなく本気になり、白熱した勝負が再三にわたり繰り広げられた。
しちならべの二回戦をやっていると、背後の襖が開いた。
「ただいま、ずいぶんと盛り上がっているようだね」
部屋に入ってきたのはクノカだった。
「ぬしさまだ!」
みよが座布団からぴょんと立ち上がった。
「あのね、おはなもってきたの!しおれちゃったらかなしいから、そこのかびんにさしておいたわ」
「本当だ、綺麗だね。嬉しいよ、みよ。ありがとう」
そういって、クノカはみよの頭を撫でた。おとなしくなでられているみよはとても嬉しそうだ。
「でも、みよ。お母さんが探していたよ」
「もうそんなじかんになっていたの?たいへん!かえらなくちゃ!」
みよはあたふたと座布団を片付けた。
「ごめんなさい、とらんぷのかたづけをおねがい!おじゃましました!!」
そう言って、みよは部屋を飛び出した。かと思えば、また戻ってきて顔をのぞかせた。その頭には狐の耳の様なものがついている。
「またあそびましょ!」
「うん、またあそぼう」
そう答えると、みよはにっこり笑って今度こそ走っていった。
「お祭りにいくのなら君も、そろそろ準備をしないといけないね」
「わかった」
素直にトランプのカードを集める。四人で手分けしたこともあり、片付けはすぐに終わった。
「さて、君たちはどうするかい?」
クノカが聞くと、狸と地蔵は顔を見合わせた。
「せっかくの祭りだ」
「呑みにでも行くか」
見合わせたまま頷く。
「じゃあ、一緒に出ようか」
ぞろぞろと四人で部屋をでる。
「童」
呼ばれて地蔵の方を見ると、てし、と小さな石の手で指の先の辺りを握られた。
「元気でな」
「うん、じぞうさんもおげんきで」
挨拶を交わして、そのまま握手をするように握った手を上下に振った。
「縁があったらまた会おうな」
狸も目を細めて言う。
「うん、またね」
そう言ってから、少し先で待っていたクノカの元に駆け寄った。
「もういいのかい?」
後ろを振り向けば、地蔵と狸が手を振っていた。俺も手を振り返してからクノカに向き直る。
「うん」
「じゃあ、行こう」
行きと同じように長い廊下に長い階段をいくつも通って、お屋敷の玄関に出た。外はもう薄暗くなっていて、石灯籠の中に火がともっていた。ぼんやりと足元を照らす。少し離れたところから、祭囃子が聞こえてきていた。
門を出て、石畳の道をしばらく辿れば段々と祭囃子が近くなっていく。クノカが立ち止まって、懐から狐のお面を取り出した。
「取っていいというまで、このお面を被っておいで」
受け取った狐のお面はなにか変な感じがした。だが、被ってみても特に変わったことはなかった。せいぜい、普通のお面と同じように視界が少し狭くなったくらいだ。
「じゃあ、すぐそこはもうお祭りだけど、約束したことは覚えてるね?」
「うん。たべものはたべちゃだめっていうのと、なまえはおしえちゃだめっていうのと、あとおめんはとっちゃだめ」
「その通りだよ。さあ、行こう!」
先ほども通った別れ道のところまで戻れば、、道の両脇に屋台がひしめき合っていた。りんご飴やかき氷など、普通のものを売っている店もあれば、黒くてまふまふとしたけむじゃくらの謎の生物を売っているお店もあって、祭りだという感覚を強く感じた。
「まずはどこに行く?」
クノカに聞かれ、迷わず目の前にあった店を指さした。
色々な店を回って楽しんでいる間に辺りはすっかり暗くなっており、月が顔を出していた。時が過ぎるごとに道を歩く人も増え、すっかり賑やかになっていた。気を抜けば迷子になってしまいそうだ。
「そろそろ帰るかい?幸さんも心配するだろう」
「うん……」
帰りたくない、という気持ちと、帰らなくちゃ、という気持ちが混ざり合って歯切れの悪い返事を返すとクノカはそっと手を差し出した。
「はぐれちゃったら大変だから、手を繋ごうか。それから社に向かおう」
「……うん」
大人しく手を握る。俺よりもはるかに大きい手は、温かった。ゆっくりと階段に向けて歩を進める。人にぶつからないように気を付けて進めば、昼間に道を通った時よりもよほど時間がかかったように感じた。
石段の麓の近くには誰もいなかった。両脇に灯籠があるとはいえ、広い階段の足元は不安で、下を見ながら階段を上る。階段の中腹まで登った時、何気なしに振り向いてみれば、祭りの灯りが遠くなっていた。あれほど賑やかだった喧噪もここまでくるとほとんど聞こえない。代わりに祭囃子が大きくなっていた。向き直って残りの階段をのぼる。
「頂上まであと少しだから頑張ろう」
疲れたと思ったのか、クノカが声をかけてきた。
「うん」
何段あったのかもわからないほどに長かった階段の最後の段をやっと登り切れば、やけに明るい月に照らされて、小さな社と朱塗りの鳥居が鎮座していた。先ほどのお屋敷の様な豪華さはないが、年季を感じる。
「さて、残念だけど私はここでお別れだ」
クノカが言った。
「え?」
「もう帰り道だからね。ここから先は君一人で行かないといけないよ」
「クノカはいっしょにきてくれないの?」
「私はここの住人だからね。一緒に行くわけにはいかないんだ」
「……」
「大丈夫、怖いことなんてないよ」
ぽんぽん、とクノカは優しく頭を撫でる。
「……」
「鳥居を潜ったらね、社の扉を開けるんだ。中は暗い道になってるけど、決して振り向いてはいけないよ」
「……」
「……少し昔話をしようか」
クノカは落ち着いた様子で話しかける。
「昔ね、やっぱり君のようにお祭りの日に迷い込んだ女の子がいたんだ。その時もその子は家に帰りたがらなくてね。ここで駄々をこねるものだから、その子が年を取ったら迎えに行くって約束をしたんだ」
「……それ、だれのはなし?」
「さあね。家に帰ってから聞いてみたらいいかもしれない」
「……」
「もし君がまたここに来たければ、来ることもできる」
「……うん」
「でも今日はもう遅いから、帰ったほうが良い。幸さんが心配しちゃうよ?」
「……うん、帰る」
「いい子だ」
クノカは再び頭を撫でると半歩後ろに下がった。
「またね!」
そう言って俺は背を向けた。
「うん、またね。幸さんによろしく」
声を背に聞いて、鳥居を潜る。途端に空気が変わった気がした。社の扉を開けてみれば、中は真っ暗で何も見えない。
「……」
意を決して中に踏み込めば、坂道になっていた。転ばないように気を付けながら歩けば、気づいた時には見覚えのある池のほとりに立っていた。辺りは夕陽に赤く染め上げられている。
「かえってきたんだ……」
呆然と呟いて後ろを振り返ってみれば、さっきまで歩いていたはずの坂道はどこにもなく、ただ森が広がっているだけだった。
その大体一年後、夏休み目前で祖母は亡くなった。年齢は六十六で回りの人には早いといわれていた。そして、葬式を上げてすぐにあの村は水の底に沈んだ。
「……」
アイスを食べて一旦は収まっていた汗が、じわりと滲み出てきて不快感を主張した。空を見上げる。雲一つない鮮やかな青がいっぱいに広がっていた。何をするにしたって、この辺りは暑いのだ。今年の夏はダムに沈んでしまったあの村を訪ねるのもいいかもしれない。
止まっていた足を動かし、家に向かう。明日も晴れて暑くなりそうだ。
青天の元、賑やかな油蝉の声を聴き流しながら、帰路についた。
橘の葉揺らす時津風
終
はるか昔、別のところに置いていた作品なので、なんだか懐かしいです。
クノカの本名はちゃんと考えていたはずなんですが、なにぶん昔のこと過ぎて、なんちゃら津見神……なんだったかな……と肝心なところが思い出せません。
でもそれがむしろ、らしいのかなという気もします。
読んで頂きありがとうございました!




