書庫で見つけたのは、異世界の水の魔石の研究だった
書庫の古びた段ボールから出てきたのは、水の魔石だった。
え……?
手に取ると、横に昭和の研究報告書も添えられている。
タイトルは――『水の魔石の構造と応用に関する研究』。
私は呆然として、しばらくその場に立ち尽くした。
「柏木さん、ちょっといいかな」
「はい主任、何でしょう」
主任に呼ばれ席を立つと、鍵入れの引き出しまで連れて行かれた。
「そろそろ年度末だから、書類の整理をしておきたい。書庫を空けておいてもらえるかな」
そう言って、鍵を渡される。
執務室のキャビネットはいっぱいだ。日々の書類で埋まっていた。
新年度の書類を入れるために棚を空け、書庫へ移す必要がある。
その書庫も古いものが積み上がっているから、溶解処理に出して欲しいと頼まれた。
「え、葵さん、あそこの整理を頼まれたの? 力のある男子に任せればよかったのに」
隣の部署の同僚に、しばらく席を外すと声を掛けたら同情された。
ということは、かなりの量なのか。
「皆忙しいからね。運ぶのだけはお願いするつもり」
少し困った顔でそう言うと、腰だけは痛めないようにねと気遣われる。
仕方がない。誰かがやらないと書類があふれてしまう。
私は腕まくりをしながら、書庫のある三階へと階段を降りた。
私は書庫のドアを開け、壁際にそろそろと手を這わせて、照明スイッチをパチンと入れる。
「うわっ、これはやりがいがあるわね」
そこには巨大な城壁のように積み上げられた、書類入り段ボールが並んでいた。
書庫の中身は想像以上に膨大だった。
キャビネットがずらりと並び、キッチリと段ボールが収められている。
「ええと、保存期間が七年だから、それ以前の分を……」
つぶやきながらラベルを見ると、かなり古いものまである。
「どう見ても、前任者が廃棄してないわね」
十数年前の日付を目にして、クラリとめまいがする。これを一度に片付けるのは大変だ。
仕方なく踏み台をセットして、一番古いものから床に下ろし始めた。
「一年に15箱だから、五年で……75箱」
ひとつずつ下ろし、廊下に積み上げていくけれど、十箱運んだところでもう腕が痛い。
「前任者め~」
呪いの言葉を吐きながら、作業を続ける。
けれど伸ばした手が、ふと止まった。
「何これ? ひとつだけサイズが違う」
他はA4サイズの書類を入れる、専用の文書保存箱だ。縦長で側面には年月や内容を書き込む欄が印刷されている。
しかしそれは、宅配便で送る段ボールのように横長で、何も書かれてはいなかった。
「仕方ないなぁ」
私はバランスを崩さないように、それを慎重に下ろした。
踏み台から降りてしゃがみ込み、段ボールを破らないようにゆっくりと蓋を開ける。
ほこり臭いにおいと共に中から現れたものは、黒く硬い表紙を紐で綴った、昔ながらの綴じ込み表紙の書類だった。
「えっ、昭和って、いつのよ。三十年代……って」
予想外の物が出てきてしまった。まさに歴史の遺物だ。
「研究報告書……あ~永年保管か。仕方ないなぁ」
ここにある廃棄処分の書類とは訳が違う。必ず残さなければならない重要書類だ。しかも社外秘マークまで付いている。
中をパラリと開くと、なんと縦書きだった。それだけならまだしも、墨文字。
一文字一文字、墨を擦って筆で書いたのだろう。
「初めて見た」
書道の展覧会で見かけるようなものではない。
後世に残すための永年保管で、消えないようにとの配慮だろう。
よく見ると、綴り紐を通した穴もパンチで開けたのではなく、千枚通しを使ったようだ。こんなものは今の社会ではなかなかお目にかかれないだろう。
タイトルは――『水の魔石の構造と応用に関する研究』と書かれていた。
魔石? 魔石ってゲームや小説に出てくるあの魔石を研究したの?
私は驚いて思わず声を漏らしてしまった。
つい先日、異世界の鉱山の街へ行ってきた。そのような、夢を見た。
観光気分で歩き回り、風の魔石も手に入れた。まだ私の部屋にある。
でもまさか、昭和三十年代にその魔石の研究をした人がいたなんて。
興味津々でページをめくってみた。
……化学式と数式が並んでいる。
ちょっと今の私にはレベルが高い。
概要に目を通すと、
本研究は、特定の鉱物構造体が周囲の空気中に含まれる水分を選択的に吸着・濃縮し、一定条件下において液体水として放出する現象について、その構造的特性および応用可能性を検討したものである。
などと書かれている。本当に水が出る石の研究のようだった。
そう言えば。
研究報告書から目を離し、段ボールの中を見る。
もう一つ小ぶりの箱と、ビニールに包まれた石が入っていた。
「これが――水の魔石」
こぶし大ほどの青い石だ。サファイア、いや、ラピスラズリか?
先日手にした風の魔石より随分大きい。
光に透かしてみたけれど、照明が暗くて判然としない。けれどズシリと重く、触れた指先に、わずかな水膜のような冷たさを感じる。
水は出てこなかった。
万が一本物だとしても、こんなところで不用意に水を垂れ流されても困るだろう。
この研究報告書も他の書類も、水浸しになってしまう。
「エネルギーがないのかな」
魔石はどうやらエネルギー源の一種のようだ。なので役目を終えるとただの石になってしまうらしい。
それでも。
それでもこんな石から水が出るなんて画期的だ。
飲料水に使えるなら、非常時用の水の置き場も少なくて済む。
「こっちは何だろう」
私はもう一つ入っていた小さな箱に手を伸ばす。
蓋を開けてみると――四角い箱型の機械のような物が入っていた。
製品番号も何も書かれていない。取扱説明書もないから、研究者が自作した物なのだろう。
「ふぅん」
私はそれをひっくり返したり横から見てみたけれど、使い方がわからなかった。
それは仕方がない。製品ではなく実験用の物なのだから。
その時、コンコンコンとドアがノックされた。
「は、はい? どうぞ」
ガチャリとドアが開けられ、入ってきたのは一年後輩の研究員の男性だった。
脇には大きな箱台車と呼ばれるものも置かれている。
「柏木さん、書類を運ぶのを手伝います。大丈夫ですか」
私が段ボールに埋もれているのに気づいて、書庫に入ってくる。
「ああ、うん。大丈夫」
オウム返しに応えながら、立ち上がる。
「それは何ですか?」
私が手にしている綴じ表紙に視線を落とし、疑問を口にした。
「ああこれ? 昔の研究報告書よ。なぜかここにしまわれていたの」
「へぇ。面白そうだな。ちょっといいですか」
彼はいかにも古そうなそれに興味津々で、腰を屈める。
表紙を覗き込み、タイトルを口にすると、私の手からそっと取り上げた。
「本当に古いですね。僕達が生まれるよりずっと前のものだ」
言いながら、文字を指でそっとなぞる。
「湿度七十パーセント、摂氏二十四度に維持したところ、空気中の水分が三十四パーセント減少。内部の構造と特殊な吸着材を組み合わせて、水分を取り込み、時間を掛けて凝縮させる仕組み――」
彼が読み上げているのは、報告書の内容の一部だ。
意味のわからない呪文のような言葉が、静まり返った書庫に響く。
私は床に置かれた箱型の物体をそっと撫でる。金属の冷たさの中に、あの異世界で感じた空気が宿っている気がする。
彼の声を聞いていると、なぜか――一緒に入っていた水の魔石が、水分を含んだような気がした。
「課長、受付から来客とのお電話が入っています」
遠くから、上司を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
途端、パチンと音がして、さきほどの幻想めいた雰囲気が弾け飛ぶ。
「あ、えっと、何してたっけ」
「書類の片付けですよ。あの段ボール、どこへ持っていきますか」
彼はもう何事もなかったかのように、廊下に出した箱を指差し指示を仰ぐ。
「溶解処理に出して欲しいの。外の小屋に積んでおいてくれれば、業者が持って行くから」
「わかりました。トタン屋根の小屋ですね。鍵を取ってきます」
そう言って研究報告書をしまうと、一旦書庫から姿を消す。
私も足元の段ボールに蓋をして、書類整理を進めていった。
「これで全部ですか?」
彼は文書保存箱を台車に積んで、私を振り返る。
「今日のところはね。またお願いします」
頭を軽く下げたあと、拝むように手を合わせた。
後ろ姿の線の細さが、遠い国の誰かを思い起こさせる。
照明に照らされて透けるような色の髪、肩から腕へのなだらかな線。そして穏やかな声。
同じ学者のせいなのか、それとも年齢が近いからなのか、雰囲気が異世界の学者――フィロに似ているな、と思った。
私はひとつだけ残った段ボールを抱えて地下へと向かった。
途中、総務に立ち寄り、鍵を借りる。
貸し出し簿に名前を記入してエレベーターに乗ると、普段誰も立ち入らない書庫の前に降り立った。
鍵を回しゆっくりとドアを開ける。
金属製のドアは重く、ギィという嫌な音を立てた。開けるだけで全力が必要だ。
「閉じ込められないでしょうね」
少し不安になりながら、照明を点けた。
かび臭くてひんやりと底冷えがする。天井の照明もLEDではなく蛍光灯だ。
ほぼ誰も来ないこの場所は、時に忘れ去られた異空間だった。
「……まるで洞窟の中みたい。コウモリとか棲んでいそう」
どこからか、ピチョンという水の音がして、書庫の中に反響する。
壁はじっとりと濡れ、コンクリートの色が暗く変色していた。
「ああ、結露ね。厄介だわ。書類がカビる」
冬に部屋のガラスが濡れるあの現象だ。こんな空気が動かないところでもそれは起きている。
けれど人のこない場所に、空調を入れる予算は割かないだろう。
「えっと、昭和の棚はっと」
段ボールに記入されている文字を辿りながら、奥へと進む。
製本された研究報告書以外にも、様々な研究に使われた物が入っている箱が並んでいた。
「ここでいいか」
一番奥の空いたスペースに、持ち込んだ段ボールを押し込んだ。
側面に見やすく年度と研究報告書の文字を書き込むのも忘れない。
「そういえば、あの結露」
水の魔石は水を出す。壁の結露も冷えたコンクリートが水を集める。
洗濯物を乾かす時に使う除湿機だって……
「……まさかね」
異世界と現実、同じことが行われているのが、ちょっとだけ不思議だった。
地下の空気が、ふっと静まり返った気がした。
その時地面からドンッと突き上げるような感覚が私を襲う。
「キャッ! 地震?」
危ない。棚から物が落ちて当たったら怪我をする。
誰も来ないこの場所で、そんなことになったら命取りだ。
助けも呼べず、冷たくなるまで誰にも発見されないだろう。
パラパラと埃の粒が棚の上から降ってくる。
キャビネットが揺れて、ギシギシと軋む不気味な音を立てていた。
すぐに振動は収まって、私は壁に手をついて立ち上がった。
辺りを見回したけれど、どこも崩れていない。
流石に国の規定通り補強されたキャビネットは、強固だ。
私はホッと息を漏らした。
一瞬のめまい。今ここにある現実。
私は地下書庫に別れを告げるように、ドアを押した。
――動かない。鍵は掛かっていないのに。
足を踏ん張り力いっぱい押しても、ビクともしない。
まさか先程の地震でドアが歪んでしまって、閉じ込められたのか。
ど、どうしよう。
スマホは机に置いてきてしまった。
内線電話もここにはない。
ドアを強く叩いても書庫に反響するばかりで、何の反応も返ってこなかった。
血の気が引く音と共に、グラリと視界が揺らいだ。
いつまでしゃがみ込んでいたのだろう。
不意にドアが開いて、声を掛けられる。
「あっ、柏木さん、大丈夫でした? 今地震があったから」
「……この通り無事よ。ありがとう」
心配した後輩の彼が、覗きに来てくれたようだ。
爽やかな風が吹き込んで、嫌な空気を吹き飛ばす。
私はホッと息を吐き、ようやく新鮮な酸素を吸い込むことができたのだった。
「揺り返しが来ないうちに、戻りましょう。それにしてもこの書庫、やけに乾燥してますね」
その言葉に私はえっと、声を上げた。
本当だ。さっきまではあんなに湿気っていたのに、振り返ると目が痛いほど乾燥している。
「書類が多いからかな。水分を吸うから」
そんなことを言いながら、ドアを閉める。
ああ、あの魔石が湿気を吸ったのか。
そうして力を溜めるのだろう。
なぜか、そんな気がした。
私はドアにカチャリと鍵を掛けた。
そしてエレベーターを避け、彼と一緒に階段を登る。
指にはめていた銀の指輪が一瞬チカリと光って、なにか告げたようだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この世界を舞台にした短編を、ほかにもいくつか投稿しています。
また違った視点のお話もありますので、気が向いたときに覗いていただけると嬉しいです。
※補足
本短編は、拙作『異世界投資でゆとり暮らし始めます~45歳の私が積み立てたのは第二の人生~(長編)』と同一世界に位置づけています。
葵の行動や選択が、長編で描かれる産業構造や経済発展に間接的な影響を及ぼす形で構成しています。
物語としては独立して読めるように仕上げています。




