プロローグ
冬の間じゅう山里を覆っていた雪雲が退き、ようやく太陽が顔をのぞかせた。
キンと晴れた空の上を、ひばりが高鳴きしながら飛んでいる。
ピーチュク、ピーチュク、リュリュリュリュリュ。
ピーチュク、ピーチュク、リュリュリュリュリュ。
上空からは、冷たい風に乗って、細かな雪が舞い降りる。
――冠山から落ちてきた風花か。
透は、その綿アメの切れ端のような淡い雪を手のひらに乗せると、つと鼻を近づけた。
冬の到来を知らせるそれとは違い、春の雪どけとともに落ちてくる風花は、ふんわりと柔らかい。
遠くで雪崩の音がする。となりの能郷岳でも、雪どけが始まっているのだろう。
福井県と岐阜県の県境に位置する能郷岳は、奥美濃の最高峰として、春から秋までは多くの登山客を楽しませるものの、ひとたび雪が降れば、冷淡な荒山へと姿を変える。分厚い雪に囲まれた豪雪地帯と化すからだ。
だが、透の住む冠山は、そこまで雪は深くない。
現にいまも、足元では茶色い雪がジャクジャクと音を立てている。
透は肩からずり落ちそうなリュックを背負い直すと、高い空に向かって、ふうっと息を吐いた。
――背中が果てしなく重い。
今日は四月七日。透がこの春から入学する中学の学校説明会の日であった。
説明会といっても、田舎の公立中学のそれは、入学者名簿の本人確認と、入学式までに必要な提出書類と学用品の配布が主な目的だ。
家庭調査票などの書類はかさばるものではないが、そこに全教科の教科書とワークブック、地図帳、書道セット、美術の絵の具と画板、彫刻刀、体操服、ジャージ、体育館シューズと上履きが加わると、かなりの重さになる。
総重量10キロといったところか。
しかも、透の自宅は冠山の中腹にある。
十数年前までは、登山家たちの避難所として使われていた丸太小屋を改装したというのだから、交通の便は遭難レベルで悪いのだ。
それでも、山のふもとにある小学校へは片道8キロ、往復16キロ。透の足でも、どうにか四時間程度で往復できる距離だった。
だが、中学校は山のふもとの集落から、さらにバスを二回乗り継いだ先にある。それゆえ、片道一時間が加算される。透の家からは、往復六時間の道のりだ。
そして、当然のことながら、帰りは山道を登ることになる。
上り坂などという可愛らしいものではない。登山である。
足元の湿った雪と格闘しながら、透は盛大な愚痴を吐き捨てた。
「ちくしょう、クソ親父! バカ親父! ハゲ親父!
なんで、こんな山奥に住むんだよ!」
せめてソリでもあれば、少しは楽になるのだが、なぜか透の家には、いや、透には、幼い頃から文明の利器というものを与えられた試しがない。
あれは、小学二年の頃だったか。通学の往路だけでも楽をしようと、空になった米袋の中にダンボールを詰めて簡易ソリを作ったことがある。
だが、翌朝、透が目覚めた時には、ソリは跡形もなく消えていた。
その後も、透はめげずに試作品を何度も作ってみたが、結果は同じであった。
確たる証拠はないものの、透は父の所業と踏んでいる。息子の渾身の力作を、あのクソ親父はゴミと一緒に捨てたのだ。
山のふもとには集落があって、友だちは皆そこに住んでいるにもかかわらず、人里離れた山奥の避難小屋に居を構えたのも、父である。
足元の湿った雪と格闘しながら、透はやっとの思いで自宅にたどり着いた。
玄関で泥だらけの靴を脱ぎ捨てて、今ごろ暖炉の前でぬくぬくしているであろう父親に文句の一つでも言ってやろうと、勢い込んでリビングの扉を開けた。
「おい、クソ親父、どこにいる!?」
ところが、その直後、聞こえてきたのは、母親の妙に間延びした声だった。
「あらぁ、透。どこに行ってたのぉ?」
「どこって、説明会だよ! 中学の!
保護者いねえの、うちだけだし。荷物は多いし、家は遠いし、足元グチャグチャだし!
まったく、うちの親はどうなってんだよ!?」
「あら、やだぁ。龍ちゃんから聞いてない?」
「えっ……? 何を?」
「明後日から東京に行くのよ、私たち」




