第3話 「悪役令嬢もの」
三作目のジャンルを考えていた。
領地経営、追放ざまぁ、ときた。クロードさんはどちらも絶賛してくれたけど、読者層を広げるなら次は女性向けを意識したい。
——悪役令嬢もの、いこうかな。
貴族の令嬢が主人公で、宮廷の権力争いを知恵で切り抜けていく話。web小説では鉄板のジャンルだ。ただ、問題がある。
私、貴族社会のことを何も知らない。
前世で書いた悪役令嬢ものは、全部テンプレの継ぎ接ぎだった。「社交界」「派閥争い」「婚約破棄」——言葉は知ってるけど、リアルな描写ができない。だからいつも設定が薄いと言われた。
でも今は違う。目の前に、本物の貴族がいる。
「クロードさん」
執務室を訪ねると、クロードは書類から顔を上げた。
「どうした、澪」
「次回作の取材をお願いしたいんですけど」
「取材?」
「貴族の令嬢が主人公で、宮廷の権力争いを知恵で切り抜けていく話を書きたくて。社交界って、実際どんな感じなんですか?」
クロードの表情が、一瞬だけ変わった。
何かを考えている顔。計算している顔。でもすぐに、いつもの穏やかな表情に戻った。
「ああ、もちろん。何でも聞いてくれ」
◇ ◇ ◇
取材が始まった。
クロードさんは驚くほど詳しく教えてくれた。まるで、私が聞きたいことを先回りしているみたいに。
「宮廷に派閥ってあるんですか?」
「大きく分けて宰相派と軍務卿派がある。宰相派は文官中心で穏健路線、軍務卿派は武官が多く対外強硬——」
メモを取る手が止まらない。
「おお、めっちゃリアル。これそのまま使えますね」
「社交界のパーティについても話そう。王都では季節ごとに大舞踏会がある。席順が派閥の力関係を表す。上座に近いほど王家との距離が近い」
「席順が権力の可視化! 最高じゃないですか。これ第二章の舞踏会シーンに使おう」
私は興奮していた。異世界の貴族社会って、web小説の設定よりずっとリアルで面白い。
クロードさんも、なぜか興奮しているように見えた。私のメモを覗き込みながら、目を輝かせている。
「他に知りたいことは?」
「えっと……派閥の切り崩し方とか。主人公が弱小令嬢だから、正面からぶつかっても勝てないんですよ。だから搦め手で——」
「なるほど。では、不満分子の見つけ方から話そう」
クロードさんは語り始めた。派閥内で冷遇されている者の特徴。噂の流し方。第三勢力としての立ち回り。
全部、私の小説に必要な情報だった。まるで、私の頭の中を読んでいるみたいに。
「すごい……クロードさん、詳しいですね」
「貴族として生きていれば、自然と身につく」
「取材協力、本当にありがとうございます。これで面白い話が書けそう」
クロードさんは微笑んだ。
「君の作品が読めるなら、いくらでも協力しよう」
——この人、本当にいい読者だな。
取材にここまで付き合ってくれるなんて。前世では考えられなかった。
◇ ◇ ◇
取材を元に、気合いを入れて書いた。
タイトルは「悪役令嬢に転生したので、破滅フラグを叩き折ります」。
第一章は社交界での情報収集術。誰と組み、誰を切るか。お茶会での会話から相手の本音を引き出す技術。
第二章は舞踏会を利用した派閥の分断工作。席順の操作、ダンスの相手の選び方、噂の流し方で勢力図を塗り替える。
第三章は婚約破棄を逆手に取った同盟構築。「捨てられた」立場を利用し、同情票を集めながら複数家門と関係を結ぶ。
第四章は二大派閥の対立を第三勢力として利用。どちらにも属さず、両方から求められる位置を取る。
クロードさんの取材のおかげで、今までで一番リアルな貴族社会が書けた気がする。キャラの心理描写も、関係性の描写も、手応えがある。
「できた……」
数日かけて書き上げた原稿を、クロードさんに渡しに行った。
「今回は女性読者を意識して書きました。感想、厳しめにお願いします」
クロードさんは原稿を受け取りながら、目を細めた。
「……もちろんだ」
◇ ◇ ◇
王都。王宮の大舞踏会。
社交シーズンの幕開けを告げる夜会に、クロード・ヴァン・ヴェルムンドの姿があった。
ヴェルムンド辺境伯家。かつての名門だが、先代の失政で衰えた家。これまでの社交シーズンでは、目立たない存在だった。
だが——今夜は違う。
クロードの礼服の内ポケットには、澪の小説から書き写したメモがある。第二章「舞踏会の席順操作」。そのまま実行する。
開場直後、クロードは各テーブルを回って挨拶した。一見すると礼儀正しい社交辞令。だが小説第一章の「お茶会での本音の引き出し方」を応用し、各派閥の不満分子を正確に特定していく。
——軍務卿派のブレンハイム伯爵夫人。ご主人の冷遇に不満を持っている。
——宰相派のクライス子爵は昇進が止まって焦りがある。
澪の小説の通りだ。不満のある人間は「聞いてほしい」というサインを出す。それを見逃さなければいい。
舞踏会の中盤。クロードは巧みにダンスの相手を選び、宰相派と軍務卿派の中間にいる貴族たちに接触した。双方の派閥に「あちら側が貴方を軽視している」という情報を、自然な会話の中で流す。
小説の第二章そのまま。「噂は断定ではなく疑問形で流す。"あら、○○様は宰相閣下にお会いになれなかったの?"——この一言で相手は自分で不安を膨らませる」
社交シーズンの三週間で、クロードは宰相派でも軍務卿派でもない中立の小貴族たちを、次々とヴェルムンド家の影響下に引き入れていった。
澪の小説の第四章。「二大勢力が拮抗している場では、第三勢力こそが最も有利。どちらからも求められ、どちらの敵にもならない位置取りが最強」
一ヶ月後。
ヴェルムンド辺境伯家は、王国の宮廷において「第三勢力の中心」として無視できない存在になっていた。
◇ ◇ ◇
宰相の執務室。
レオンハルト・グリューネヴァルト。三十八歳。この国の政治を二十年見てきた男が、報告書を読んでいた。
「宰相閣下。ヴェルムンド辺境伯家についての調査報告をまとめました」
側近が差し出した書類に、レオンハルトは目を通す。表情が険しくなっていく。
「……読んだ。まとめると、こういうことだな?」
彼は指を折った。
「一つ。ヴェルムンド領の農業生産力がここ半年で倍増している。周辺領が凶作の年にだ」
「はい」
「二つ。領地の行政機構が大幅に刷新された。無能な管理者が軒並み更迭され、無名の平民が要職についている。しかも——その人事が悉く当たっている」
「はい」
「三つ。クロード・ヴァン・ヴェルムンド。弱小辺境伯家の、政治経験のない若い当主が、この社交シーズンで宮廷の勢力図を塗り替えた。まるで——全員の手札が見えているかのように」
「……はい」
レオンハルトは窓の外を見た。
「一つ一つなら説明がつく。天才的な当主が現れた、で済む話だ。だが三つ揃うと——話が違う」
沈黙が落ちる。
「農政、人事、宮廷工作。全く異なる三つの分野で、同時に、革命的な変化が起きている。一人の人間の仕業だとしたら——それは天才というレベルではない」
「……辺境伯邸の離れに、正体不明の女が住んでいるという情報があります。クロード卿が個人的に囲っているとか」
「愛人か?」
「わかりません。ただ、時期が一致します。その女が辺境伯邸に入った時期と、全ての変化が始まった時期が」
長い沈黙。
レオンハルトは書類を閉じた。
「…………王に報告する」
◇ ◇ ◇
同じ頃。辺境伯邸の離れ。
私は机に向かって次回作の構想を練っていた。
「スローライフ系、いこうかな……飯テロ描写は得意だし……」
扉を叩く音がして、クロードさんがお茶を持って入ってきた。いつもより少し疲れた顔をしている。
「あ、クロードさん。お疲れですね。最近忙しいんですか?」
「少し、社交の予定が立て込んでいてな。……澪、今回の作品の感想なのだが」
「あ、はい! どうでした?」
クロードさんの目が、輝いた。
「最高傑作だ」
「マジですか!」
「特に第二章。舞踏会での心理描写——あの緊張感は、実際に体験したかのような臨場感だった。登場人物一人一人の思惑が絡み合う描写が見事で……」
「いやー、あの章は取材のおかげですよ。クロードさんが社交界の話してくれたじゃないですか。あれがめちゃくちゃ参考になって」
「……ふふ。お役に立てたなら嬉しい」
「次も取材お願いしていいですか?」
「もちろん。何でも話そう」
——いい読者だなあ。
取材にも協力してくれるし、感想も毎回めちゃくちゃ丁寧だし。前世でこういうファンがいたら、私もっと早く上手くなれてたかもしれない。
クロードさんは私が次回作の構想を練る様子を見ながら、満足そうに微笑んでいた。
「楽しい」が、国策のためなのか、純粋に物語が好きなのか——その境界線が、少しずつ曖昧になっていることに、クロード自身も気づき始めていた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
目が覚めると、机の上に温かい飲み物と軽食が置いてあった。
「……え?」
扉の外から、クロードさんの声がした。
「起きたか。朝食だ。昨夜は遅くまで書いていただろう」
扉を開けると、クロードさんが立っていた。自ら朝食を運んできたらしい。辺境伯が、使用人を使わずに。
「え、なんでわかったんですか?」
「君の部屋の灯りが消えたのは深夜二時だった」
「……見てたんですか?」
「……たまたま目に入っただけだ」
たまたま? この人の部屋から私の部屋、見えないよね?
「あ、ありがとうございます。いただきます」
私が食べ始めると、クロードさんは満足そうに見ていた。
——この人、読者への気遣いがすごすぎる。
朝食まで持ってきてくれるなんて。前世では考えられなかった。神読者どころか、もはや神様だ。
クロードさんの視線は、私の顔にずっと向けられていた。その目は明らかに「読者」のそれではなかったが——私は気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
宰相の執務室。
レオンハルトが国王への書簡を書いている。
「陛下。ヴェルムンド辺境伯家について、至急ご報告したき儀がございます——」
ペンが走る。
「なお、この件は極秘裏に——」
宰相が動いた。
次に動くのは——王。
私はまだ、何も知らない。
スローライフ系の構想メモを書きながら、「次は飯テロ多めにしよう」と呑気に考えていた。
作品数:3
直接読者:3
間接的に作品を入手した人物:1(宰相)
感想:3件




