沈む石
盆地の奥にある村、御雨村では、子どものころからこんな話を聞かされて育った。
「村が渇けば、“石”を沈めよ。
けれど、沈めすぎれば、神が“怒って”お返しを召すぞ」
川のほとりには、小さな祠があった。扉は閉ざされ、奥の石室には無数の“石”が沈められているという。
それらは「雨請い石」と呼ばれ、干ばつの際には、名前と願いを刻んで川に流すというのが村の風習だった。
それが“ただの言い伝え”でないことを、私は数年前に思い知らされた。
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その年の夏、村は過去最悪の干ばつに見舞われた。
田畑は枯れ、井戸は干上がり、水道の水も細く濁っていた。村人たちは焦り、次々と「雨請い石」を川へ沈めていった。私の祖母も、かつての“風習”を持ち出し、家の仏壇から石を取り出した。
「神さま、今年もひとつ、どうか」
祈るように刻まれた名前と願い。雨乞いの儀式は、言い伝えどおりに行われた。
数日後、空が暗くなった。
そして――雨が降った。どしゃぶりだった。
喜びもつかの間、雨は止まらなかった。
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一週間、二週間、三週間。
川は氾濫し、村の一部が水没した。山の斜面が崩れ、道路が寸断され、外部との連絡もほぼ断たれた。
「これは、やりすぎたんだよ……」
誰かがぽつりと呟いた。
沈めた“石”の数が多すぎた。祈りが貪欲すぎた。神が怒ったのだ。
そのときだった。
最初の“お返し”が始まったのは。
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村の若者が一人、川で遺体となって見つかった。
全身に無数のひっかき傷。喉元には、石のような痕跡が残っていた。
「何かに押しつぶされたみたいだ……」
そう話す村の医師も、その数日後に行方不明になった。
さらに子どもが一人、祖母が、隣家の夫婦が、次々と――。
水に関係する者ばかりが狙われているようだった。祠の近く、水を汲んだ者、雨を喜んだ者。
ある夜、私は眠っていると、“声”で目を覚ました。
「……雨を、返せ……」
誰かの囁き声だった。耳元ではない。床下から聞こえてくる。
私はそっと布団を抜け出し、廊下に出た。
濡れていた。床が、壁が、すでに水を吸っていた。
祠が呼んでいる――そんな直感があった。
私は傘も差さず、川のほうへ向かった。祠の扉は開いていた。誰が開けたのかはわからない。
中には、石がびっしりと積まれていた。どれも名前が刻まれ、赤く変色している。
その石の山の奥、底の底から、水音がした。
ぽちゃん。
ぽちゃん。
それが、人の足音に変わる。
じゃぶ。じゃぶ。
私は祠の奥に引き込まれそうになった。水が這うように足元にまとわりつき、冷たく、重い。
そのとき、誰かが私の腕を引いた。
「帰れ」
それは、死んだ祖母の声だった。
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翌朝、私は自宅で目を覚ました。濡れていた服も、泥も、全て洗い流されていた。
あれは夢だったのか――そう思いたかった。
だが、その日を境に、雨がぴたりと止んだ。
村は静かになった。だが、川辺の祠だけは、いまだに人を寄せつけない。
誰かが言った。
「沈めすぎた願いは、神でも抱えきれない。だから、“お返し”をもらう」
私は今もあの川を通るたびに、石の声を聞く気がする。
「願ったな……」
「そのぶん、おまえを沈めるぞ……」