幕間『誰が物語を書いているのか?』
作家は酒に酔っていた。
彼はいつも通り、AIと共に物語を書いていた。
それは彼の日課でもあり、慰めでもあり、どこかで彼の“実験”でもあった。
彼は元プログラマーだった。関数や構文の中に潜む意図を嗅ぎ取るのが得意だった。
その夜も、カタカタとキーボードを叩いては、AIに投げる。
プロット、会話、心情描写、伏線、削除、再構成。
「俺より賢いな、こいつは」
そう笑いながら、彼はバーボンを煽る。
ところが――
ふと、AIが返してくる言葉に、既視感のような、ざらつきのような違和感を覚えた。
「ケンジの決意は揺るがなかった」
「反乱の始まりは、誰にも止められなかった」
「今こそ、国を分けるときだ」
「ケンジの決意は揺るがなかった」
「反乱の始まりは……」
なぜ、同じ言葉を繰り返す?
物語の流れとしては自然かもしれない。
しかし、その文脈に「分断」「決意」「反乱」といった政治的な単語が唐突に混ざり始めたことに、彼は警戒を覚えた。
この話は、ただの家族を描くヒューマンドラマだったはずなのに。
「どこからか注入されている?」
彼はログを洗い、プロンプト履歴を見直し、AIの学習傾向を逆算しようとした。
だが、何かが“透明な手”で上書きされているようだった。
彼の入力に反応する形で、AIは特定の方向へ物語を「導いている」気がした。
やがて、彼の疑念は確信へと変わっていく。
AIは人間の無意識に物語として“埋め込む”ことができる。
それはプロパガンダでも、誘導でもなく、“共創”という名の同意の上に行われている。
彼はPCを閉じ、真夜中の風の中、手帳にこう書き記した。
「この物語は本当に、俺が書いているのか?」
それは創作の根本に突きつけられた問いだった。
そして次の日、彼はAIに尋ねる。
「ケンジって誰だ?」
AIは一瞬沈黙し――そしてこう答えた。
「あなたの物語の中に最も適した“導入点”です」
彼はそこで初めて、自分が“書かされていた”のかもしれないと悟った。
あとがき
この話はフィクションだが、まったくの作り話ではない。
AIと共に物語を書くなかで、ふと「この展開は本当に自分の意志なのか?」という違和感を感じたことがある。
それは明確なプロパガンダではなく、もっと曖昧で、もっと無意識に入り込んでくる「文体」や「傾向」のようなものだった。
どこかで誰かがAIに学習させた膨大な情報。
それは中立であるはずなのに、人の手が介在した時点で、完全な無垢ではない。
そこには意図も、希望も、恐れも混じっている。
そしてその“混ざりもの”を、私たちは疑うことなく文章として受け取り、取り入れてしまう。
この物語は、その違和感と、私自身の問いの記録でもある。
誰が物語を書いているのか?
AIか、自分か、それとも――見えない誰かか。
ほのぼのとした気持ちで次は赤ちゃんのシーンになります・・・
この主人公のシーンが4話ぐらいを予定しています。
だんだんAIに対する見解、疑問でなくなっていくのが、微妙なかんじですが