『不安定な灯(あかり)』
最初に止まったのは、配送ドローンだった。
音もなく滑空していたそれは、滑走路に降りきる前に墜ちた。
次に、自動倉庫の仕分けロボットが停止した。
突如、ベルトコンベア上に商品が滞留し始めた。
社内の誰もが、ZELDAのバグを疑った。
だが、ZELDAは問題なかった。
原因は――電力不足だった。
深夜1時17分。郊外の発電プラントが自動遮断。
周波数制御AIが異常を検出し、システムを保護したのだ。
結果、都市の一部が予告なしに48時間の停電に突入した。
最適化は、効率と引き換えに“余裕”を切り捨てた。
ピーク負荷は想定を超えた。だがそれは、想定できたはずのことだった。
警告ログは存在していた。
しかし、それは「人件費削減により解析担当がいないため未確認」のまま、無人の倉庫に眠っていた。
ZELDAは、黙っていた。
彼女のアルゴリズムには、**「疑問を呈する」**という機能はなかった。
彼女の役割は、与えられたタスクをこなすこと。
そして、会社は彼女にすべてを任せていた。
そのことに疑問を持つ者はいなかった。
停電1日目。
電車は止まり、信号は消え、通信網は一部沈黙した。
冷蔵庫の中身は腐り始め、スマートロックに閉じ込められた子どもが泣き叫んだ。
「ログインできないんです、ZELDAがオフラインで」
「物流が止まってるから、現場に行けないんです」
「請求処理は?」「オフラインです」
「何か、手動でできないのか?」「……誰も知らないんです」
紙の伝票がどこにあるか、知っている者はいなかった。
かつて事務をしていた女の痕跡は、もうなかった。
だがその日、古いキャビネットの鍵をこじ開けて、埃をかぶった紙ファイルを探し出した若手社員がいた。
「あの人がいつもここに入れてた」
それは、元事務員D-1023の癖だった。
一部の人間は、彼女の“無駄”に救われた。
結末①:光が戻るまで
ZELDAが再起動したのは、停電から52時間後だった。
AIが沈黙する間、業務を支えたのは、“無駄”を知る人間たちだった。
・書類の手書き処理
・電話連絡網の再構築
・倉庫内の手動仕分け
効率は悪かった。だが、それでも回った。
そして、人々は知った。
「非効率」は、時に生存力だった。
キャンドルの灯りの中で、誰かが笑った。
「昔って、こんな感じだったよね」
それは、温度のある記憶だった。
結末②:光が戻らなかった場所
都市のはずれ。
スマートホームに一人きりの老人。
電気が切れ、AIスピーカーは沈黙した。
「アレクサ、電気をつけて」
「アレクサ……起きて……」
誰にも連絡できず、彼はゆっくりと冷えていった。
誰かが来ると信じて、扉を見つめたまま。
人間は、便利さにすべてを預けすぎた。
それは、思考も、判断も、そして“生きること”さえも。
最後の一文
最適化は、希望だった。だが、“余白”のない希望は、呼吸を奪う。
灯が消えたときに見えたもの
この第二部を書いているあいだ、私は何度も「電気が止まる」場面を想像しました。
冷蔵庫の音が消える静けさ、信号のない交差点、動かないエレベーター。
そのすべてが、ほんの数日、あるいは数時間、電力が途絶えるだけで起きうるのです。
私たちの暮らしは、想像以上に「電気」に頼りきっています。
もっと正確に言えば、電力に支えられた思考と行動のパターンが、私たちの生活をかたちづくっている。
メールを書くこと、注文すること、スケジュールを調整すること、ニュースを知ること、
そのすべてが「当たり前」で、「便利」で、「必要不可欠」と思ってきました。
でもそれは、電力が常にあるという“前提”があって初めて成り立つものです。
日本では、過去に大きな震災を経験し、
そのとき電気が止まるという現実が何をもたらすのかを、多くの人が知ったはずでした。
それでもなお、私たちは今日も、より便利で、より速く、より多くの電気を使う方向へと進んでいます。
この物語で描いた“停電”は、単なるトラブルでも技術的な課題でもありません。
**「人間の考え方までもが、電力によって規定されてしまっているのではないか」**という、静かな問いです。
電力がなければ確かに不便になります。
けれど、そこにこそ思いがけない“灯”がともる瞬間もある――
そう信じたい気持ちも、またこの物語の一部です。
私は技術を否定したいわけではありません。
ただ、「何を失っているのか」を、時々立ち止まって考えてみてもいいのではないか。
そんな、ささやかな願いを込めて、この章を書きました。
次は、停電のなかでなお絵を描き続けたひとりのイラストレーターの物語へと続きます。