09.決闘
アラドと婚約を交わしてから一週間が経ち、いよいよこの日が訪れた。
初夏を思わせる日差しが照り付ける今日は、アラドとハインの決闘が行われる日だ。
会場は、名門六貴族のひとつであるベリエフ家が管理する兵練所となり、当主のアレクセイ・ベリエフ侯爵がそのまま立会人を務めることになった。
アラドいわく、ベリエフ家はファルマン家と仲が悪いらしく、ダメ元で「派手な兄弟喧嘩をするから見世物にしてくれ」とベリエフ家に頼んでみたところ、なんと二つ返事で承諾してくれたらしい。
一族から冷遇されているアラドにとって、この決闘によってファルマン家の地位が失墜しても知ったことではない。そこでベリエフ家と利害が一致したのだ。
そんなわけで、私とアラドは馬車に揺られて会場へと向かっている。
車内で、私はずっとアラドの手を握っていた。アラドが命を張る決闘なのに、震えているのは私の手の方だ。
「ごめんなさい。こういう時は励ましてあげるべきなのに、怖くて……」
「そんなに心配してもらえると、むしろ気合が入るよ。心配ない、なんて無責任なこと言えないけど、君のために勝つってここに誓ったじゃないか」
アラドは私の指にはめられた婚約指輪を優しくさする。
そうしてプロポーズされた晩のことを思い出すと、少し落ち着くことができた。
「ご到着いたしました」
御者の声と共に馬車が止まり、目的地への到着を知らせてくれる。ふたりきりの時間は、ここで終わりだ。
いまだ恐怖は拭い去れない。だから最後の瞬間まで、アラドを求めてしまった。
「お願いアラド。生きて帰るって誓って」
その誓いは、重ねがけではない。勝ち負けにかかわらず、生きて帰ってきてほしいという、私からの願いだ。
「……僕は幸せ者だな。君みたいな人に生きることを望まれるなんてさ」
「そんな言い方しないで。まるで死にに行くみたいじゃない」
「ごめん……安請け合いかもしれないけど、誓わせてもらうよ。僕は必ず生きて帰る。それから、式を挙げよう」
そんな言葉を交わし、私とアラドは慎ましい口づけで誓いを立てた。
馬車を降りると、練兵場の周りは見物人でごった返していた。
ファルマン家の嫡男と末子が決闘するという一大イベントの話題性はバツグンのようだ。
群衆をかきわけて会場の中へと足を踏み入れると、立会人を務めるベリエフ侯爵が出迎えてくれる。
アラドは恭しくひざまずき、丁寧に挨拶を述べた。
「ご機嫌麗しゅうございますベリエフ卿。本日は、決闘立会人を務めていただくどころか、会場までご用意していただき、感謝の言葉もありません」
すると、丸眼鏡の乗った鼻に髭を生やしたベリエフ侯爵は「ホッホッホ」と気さくに笑って応じてくれた。
「そうかしこまらんたってよい。こんなに面白そうなイベントを任されてわしも鼻が高いわ。立会人という立場上、君を応援することはできんが、あのハインがボコボコにされるところを楽しみにしとるよ」
「あぁ? 誰をボコボコにするって?」
と、ベリエフの背後からいきなりハインが姿を現す。その隣にはメルセデスの姿もあった。
まさか近くにハインがいるとわかっていて、ベリエフは飄々とそんなことを言ってのけたのだろうか。だとしたら、とんだ胆力の持ち主だ。
「いやぁ、観衆はお主のような大物が最弱の騎士にやられる大逆転劇を見たがっとるだろうなぁと話しておったんじゃよ」
「テメェは仮にも立会人だろ。アラドの肩を持つってのか」
「わしゃなーんも思っとらんよ。観衆の意見を想像したまでじゃ」
「はっ、クソジジイが……おいアラド。立会人のいるこの場で改めて言っておくぜ。テメェに騎士としてのプライドがあるなら、叙勲式でやったようなズルはなしだ。わかってンだろうな?」
叙勲式でやったズルとは、加護魔術のことを言っているのだろう。
それを聞いて立ち上がったアラドは、ハインと向き合って堂々と応じる。
「言われなくたって、卑怯な真似をする気はないよ。ベリエフ卿も、魔術の行使が認められたらすぐに止めてください」
「うむ、心得ておる。わしもこう見えて昔は戦場に出ておったからな。お主らこわっぱを止めるくらい、わけないわい」
もとより私たちは、この決闘で加護魔術を使うつもりはない。
正々堂々と対等な条件で勝たなければ、名誉を守るための戦いという前提が崩れてしまうからだ。
ただし、緊急時は別だ。なにかあれば、私は魔術を使ってでもアラドを助けるつもりでいる。そのための用意もしてきたが、できれば魔術が飛び交い危険が増すような展開は避けたかった。
そんなことを考えていると、メルセデスが派手な扇子をはためかせながら私のもとに近づいてくる。
「あらあら、思いつめた顔しちゃって。そんなにカレのことが心配? もとはと言えば、ぜーんぶアナタのせいだものね」
想像通り嫌味を言いにきたようだ。
私は聞き流そうとしたが、続く言葉は無視できそうにもなかった。
「もしこの決闘でアナタが未亡人になったら、今度はお偉い様の妾にでもなって床の上で踊っていればいいのよ。そうすれば誰も文句を言わないわ。むしろ笑えそう」
そんな侮辱を聞いてアラドが真っ先に庇おうとしたが、私はそれを制止する。
舞踏会の時も、アラドが私を庇ったことで大事になってしまったのだ。
アラドの支えでありたいと誓った私は、もう庇われるだけではいられない。
そう意気込むと体の震えは止まり、堂々とメルセデスの正面に立つことができた。
「メルセデスお姉様。ロワール家のご婦人がそのように他人の不幸を願うようでは、品位が疑われてしまいます。どうか我が家の名誉のためにも、謹んでいただけますか?」
そのあとニコリと微笑んだのが効いたらしく、メルセデスは顔を真っ赤にして扇子を手に叩きつける。
「アナタはいつから私に指図できるくらい偉くなったのかしら? せいぜい強がってなさい。あとで後悔しなければいいわね」
「これこれ。わしは嫁さん同士の決闘に立会うつもりはないぞ。ここに集まっていてもいがみ合うだけじゃろ。さっさと準備しに行かんかい」
ベリエフの言葉に促され、ハインとメルセデスは揃って鼻を鳴らし、その場をあとにする。
「やれやれ、絵に描いたようなバカ者共じゃな。界隈でもハインの評判はすこぶる悪いし、名門ファルマン家も次の代で終いじゃな。まあ、わしにとっては望むところ……おっと、アラドくんの前で言うべき本音ではないな」
ベリエフの言うとおり、ハインはあの性格だけあって貴族界での評判はすこぶる悪い。
だからこそ、今日集まっている観衆もハインをヒールに見立て、アラドを応援する者が多い印象を受ける。観衆が味方についているのは、少なからずプラスに働くだろう。
だが、ハインは嫌われていてもなお好き勝手に振舞えるだけの権力と実力を兼ね備えた人物だ。特に魔術の扱いに長けており、若い頃には魔物との戦いで数多くの戦功を上げている。
そんな経験を持っているからこそ、アラドとの決闘にも堂々と応じたのだろう。やろうと思えば権力を振りかざして決闘をうやむやにすることもできたはずだ。それでも応じたのは、負けない自信があるということだ。
そんな相手に、アラドは勝てるのか。
私は勝利を願うことしかできないのがもどかしかった。
いや、願うだけじゃダメだ。もっとできることがある。そう自分に言い聞かせ、私はアラドの手をとる。
「応援もがんばるけど、なにかあったらすぐに力を貸すから安心して戦ってきて」
「うん。だけど、本当になにかあるまで手を出しちゃダメだよ。叙勲式の時とは違うんだから」
「わかってるわよ!」
そんなかけあいをしてからわざとらしく頬を膨らませると、アラドはクスクスと笑ってくれる。
これで少しは肩の力が抜けただろうか。つられて私も笑うと、少しだけ安心することができた。
「がんばってね」
「うん。行ってくるよ」
それが最後の言葉となり、アラドは決闘の舞台へと向かっていった。