08.アラドの想い
「嫌だ」
アラドがそう告げると共に、雲の隙間から差し込む月光が私たちの顔を照らし出す。
「どうして、こんな私なんかのために命を張るの……?」
「その理由を答えるために、ここへ来てもらったんだ」
そう告げたアラドは、私と両手を重ねたまま芝生の上にひざまずく。
涙でぼやける視界には、まるで光を取り込んだ宝石のように力強く輝くアラドの瞳が映り込んだ。
「最初から、今日伝えようと決めていたんだ。だけど、あんなことがあって……いや、あんなことがあった後だからこそ、はっきりと自分の気持ちを伝えるべきだと思ったんだ」
そう切り出したアラドは、ぎこちなくはにかんで私の顔を見上げる。
「君はさ、あんなことくらいで決闘を申し込むなんて信じられないって思ってるでしょ」
私はオーバーなくらい力強く頷く。
すると、その様子がおかしかったのか、アラドは少しだけ吹き出した。
「僕はさ、君の幸せを守るためなら命を懸けたっていいと思ったんだ。君だって叙勲式の時に、僕が暗い顔をしたり、バカにされたりするのが嫌だって言ってたでしょ? 僕は、君を侮辱されたのが許せなかったというより、君が不幸になる未来を受け入れるのが嫌だったんだと思う。僕らより偉いやつらから蔑まれ続けるような未来じゃ、幸せになれないと思ったんだ」
「だからって、いきなり決闘なんて……」
「ちょっと短絡的だったかもしれないけど、地位のあるハイン兄さんに決闘で勝ったって箔がつけば、僕らも少しは胸を張れるようになるよ。お払い箱の僕らが大手を振って幸せになるには、それくらいのハードルを乗り越えなきゃいけないんだ」
「でも、それで死んでしまったら、元も子もないのよ」
「僕は死なないし、負けないよ。君を幸せにするって決めたからね。やると言った以上は負けられないよ。まあ、そんな決意だけで勝てれば苦労しないんだけど」
そこまで聞いて、私は泣きながら呆れたような笑いを浮かべてしまった。
ああ、この人は本当に出会った時から何も変わっていない。呆れるくらい底抜けに優しくて、自分を犠牲にしようとする。
普段はオドオドしているのに、誰かのためならこんなにも頼もしくなれる。とっても『面白い人』だ。
そんな人だからこそ、私はアラドを好きになった。
アラドに全てを捧げ、アラドのために生きようと決めた。
きっとアラドも同じなんだ。
「それで、決意表明ってわけじゃないんだけど、その……絶対に君を幸せにするって決意の証として、僕の想いを受けとってほしいんだ」
アラドはポケットをまさぐり、黒い小箱を取り出す。
中身がなんであるかは、予想するまでもない。
だが、アラドは片手で無理やり小箱を開けようとして、うまくいかない様子だ。
私はぼろぼろと涙を流しながら微笑み、ツッコミを入れてしまう。
「両手を使えば?」
「くっ……君と、手を離したくないんだっ」
「じゃあ、私が手伝ってもいい? 私も力になりたいの」
私は膝をついてアラドと目線を合わせ、小箱に片手を添える。
対等な目線で手をとり合おうという思いを込め、あえてそうしたのだ。
ふたりの協力によって小箱が開かれると、月明りで輝く綺麗な指輪が姿を現す。
そしてアラドは、静かにこう告げた。
「好きだ。こんな僕でよければ、結婚してほしい」
さっきまで嫌になるくらい泣いていたのに、いくら泣いても涙が枯れることはなかった。
たった一言「好き」という言葉だけで、不幸のどん底に落ちていた私の心は幸せへと導かれた。私を幸せにするというアラドの誓いは、ただそれだけで簡単に果たされてしまった。
だけどアラドは、それだけで満足しないだろう。
堂々と胸を張って幸せになれるように、命まで捧げる覚悟があると言ってくれた。きっとアラドは、私がなにを言ってもその決意を曲げる気はないだろう。
だから私は、彼の決意にこう答える。
「私も、アナタのことが好き……こんな私でよければ、ずっとそばにいさせて。アナタの支えでいさせて……」
ごめんブレダ。アナタと一緒に考えた返事は言えなかった。
だけど、私の気持ちはアラドに伝えられたと思う。
だってアラドも、私みたいに顔を真っ赤にして泣いているんだもの。
「あれだけ大見得切ったのに、みっともないや」
私は静かに首を振る。
「アナタのそういうところも好き」
そう告げると、アラドは照れ隠しのつもりなのか、指輪を箱から取り出して私の指へとはめてくれた。
そうして再び手を重ねた私たちは、じっと目を見合わせる。
お互いぐしゃぐしゃになった顔を見られるのは恥ずかしいはずなのに、絡み合った視線がそれることはなかった。
そして、気づいた時には唇が重なっていた。
どちらか一方が求めたわけではない。まるでそれが自然な行為であるかのように、私とアラドは自然とキスを交わしていた。
そんな初めてを皮切りに、私たちは飽くことなく、何度も何度も湿った小さな音を響かせる。
何度交わしても、求めたくなってしまう。心は充足感で溢れているのに、アラドの顔を見つめていると、物足りなく感じてしまう。
そうして互いを求めているうちに、私たちは縋るように抱き合っていた。
少し痛いくらいにぎゅっと締めつけ、もう離れたくないと体で訴えた。
「ずっと、夜が明けなきゃいいのに」
ああ、私と同じこと考えてる。やっぱり私たちは、似た者同士だ。
だからこんなにも素直に、愛し合えるんだ。
もういっそ、このまま――
「ねえアラド……今夜は――」
「ソミュアさまああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「きゃあっ!」「うわっ!」
不意に放たれた第三者の大声に驚き、私とアラドは抱き合いながら飛び上がる。
飛び出した二つの心臓がくっつくんじゃないかと思うくらい驚かされたが、庭に突入してきた人物を目の当たりにして私は胸を撫で下ろした。
「ブレダじゃない。どうしてここに……」
「あのっ、舞踏会でソミュア様が騒ぎに巻き込まれたって噂を聞いて、お帰りがあまりに遅いもので、アラド様のお宅を訪ねたらシュミットさんがここにいるって……」
「申し訳ありません。制止する間もなく中に入ってしまわれて……」
と、後ろに続くシュミットが付け加える。
言われてみれば、もう随分と遅い時間なので留守番をしていたブレダが心配するのも無理はない。
せめて伝言をすべきだったが、もともとこんなに遅くなるつもりはなかったのだ。アラドの家に泊まろうものなら、遅かれ早かれブレダが突撃してきただろう。
だとしても、もう少しこうタイミングというか、悪気がないのはわかっていても、理不尽な文句をぶつけたくなってしまう。
そして当のブレダも、抱き合う私とアラドの姿を見て、何かを察した様子だ。
「あっ、あの……あわわ、もしかして、その……大事なお話をされている最中、でしたでしょうか……わ、私のせいでお邪魔が……おふたりにとって、大切な時間だったかもしれないのに……私は……」
などと取り留めもないことをつぶやきながら、ブレダははらはらと涙を流し始める。
驚いた私はすぐさまアラドから離れ、ブレダの背中をさすってやった。
「もう、慌てたり泣いたり忙しい人ねアナタは……心配しなくても、大事な話はもう済んだわよ。心配させてごめんなさいね。迎えに来てくれてありがと」
色々とタイミングは悪かったが、私の言葉に嘘はない。
むしろ、熱くなりすぎた頭を冷やす、いいきっかけだったのだろう。
そんなことを考えながらブレダを慰め、そして事情を説明してから別邸に帰る頃には東の空が明るくなっていた。