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07.ソミュアの想い

 仮面舞踏会で騒ぎを起こした私とアラドは、ハイン夫妻に続いて逃げるように会場をあとにした。


「ソミュアさん。少し話したいことがあるんだけど、帰る前に僕の家へ寄ってもらえないかな」


 帰りの馬車に乗る前に、アラドは淡々とそう告げた。

 提案を承諾した私は、黙々と馬車に乗り込んだ。


 夜道を走る車内は暗闇に閉ざされており、アラドと肩を並べていても表情をうかがうことはできない。

 そんな空間で、私たちは沈黙を共有していた。


 はしゃいでしまうほど楽しかった舞踏会は、意図しない巡り合わせによって完膚なきまでにぶち壊されてしまった。


 メルセデスにさえ会わなければ――そんな『たられば』を思う一方で、元よりお払い箱の私は表舞台に上がれるような貴族ではない。

 外の世界に出ていれば、いずれこうした侮辱を受けていただろう。


 それでも、悔しかった。

 乱暴されそうになったのも、罵られたのも、蔑まれたのも、幸せな時間をぶち壊されたのも、アラドに体を張らせてしまったのも、全部悔しかった。

 今すぐにでも泣き出したいくらいに悔しかった。


 だけど、私のために命を懸けるとまで言い張ったアラドに対して、泣きつくことなんてできなかった。

 悲劇のヒロインになってアラドに助けてもらうだけの存在になるのは嫌だった。


 ならば私は、どうすればいいのだろうか。アラドになにをしてあげられるのだろうか。

 そう考えた時に、ひとつ思い当たることがある。


 アラドは「話したいことがある」と言った。

 もしかしたら、アラドは再び破談を提案してくるかもしれないと思った。

 

――僕と一緒になれば、ソミュアさんもきっと不幸になる。


 かつてアラドは、私との顔合わせでそんな言葉を告げてきた。

 対する私は、もともと不幸な者同士が一緒になっても、さらに不幸になることはないだろうと暗に伝えた。


 しかし、今になって思えば、その考えは間違っていた。

 アラドと出会うまで幸せとは無縁だった私は、その間違いに気づかなかった。

 私は、アラドと出会い、本当の幸せを得たことで気づいてしまった。


 もっとも大きな不幸とは、()()()()()()()()()()()()だったのだ。


 きっとアラドも、そのことに気づいただろう。

 これ以上の幸せを求めても、不幸になった時の反動が大きくなるだけだ。だからこの関係はおしまいにした方がいい――優しすぎるアラドが再びそう考えたとしても、不思議ではない。

 それに、今回のトラブルだって私と一緒にいたからアラドが命を張るはめになったのだ。私の存在が、アラドを不幸にしているとも言えるだろう。


 そんな理由で別れを切り出された時、私はどう答えればいいのか。

 結局、馬車がアラドの邸宅につくまで、その答えは見つからなかった。


 馬車を降りたアラドは、優しく私の手をとって先導してくれる。

 ちょうど月が雲に隠れて足元が見えなくなっていたので、気を遣ってくれたのだろう。


 心なしか、アラドの手はいつもよりひんやりとしている。

 そう思えるのは、私とアラドがこうして平然と手を重ねられるような関係になったからだ。

 今さらそんな事実に気づくと、心が締め付けられるような心地がした。アラドとの別れを意識しているからだろう。

 だから今だけは、この手を離したくないと強く願ってしまった。


 気がつけば、赤いバラのトンネルを抜けて庭へと足を踏み入れる。

 こぢんまりとしているこの庭は、まるで外の世界から切り離されたかのように華やかで、心安らぐ空間だ。

 そして、私とアラドが初めて出会い、もっとも長くの時間を共有した場所でもある。


 エスコートはここで終わり、アラドは手を離すだろう。

 それが当然のことだとわかっていても、震え上がってしまうほどの不安が心を支配する。

 この手を離してしまったら、二度とアラドに触れられない気がしたからだ。


 しかし、いくら待ってもアラドは私の手を離そうとしなかった。

 それどころか、もう片方の手も添えて、優しく私の手を包むように覆ってくれる。


「こんなに震えてる手を、離すわけにはいかないね……そうだよな。あんなことあれば、ソミュアがどんな気持ちになるかなんて、わかりきってるのに……」


 まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいたアラドは、ぎゅっと手に力を入れて私の震えを止めようとしてくれる。

 だが、嬉しいはずのアラドの気遣いは、なぜか私の心を締めつけた。


 ああそうか。私はもう、アラドのことを諦めているのかもしれない。

 諦めなくてはならないと、自分に言い聞かせようとしているのかもしれない。


 馬車の中であれだけ悩んでいた結論は、もう出ていたのだ。


「アラド……私は、大丈夫。大丈夫だから……だからね、決闘なんてやめて。お願い……だって私たち、夫婦でも、なんでもないじゃない……だから、私とは、もう……」


 途中から嗚咽が混じり、堰を切ったかのように涙があふれ出てくる。

 流れ落ちた涙の雫は私の手に滴り、アラドの手へと伝っていく。


 口に出してみれば、私の願いはとても単純なものだった。


「私なんかのために、命を張らないで……決闘なんて、死んじゃうかもしれないのよ。私の名誉なんてどうだっていい。私たちが夫婦にならなければいい。そうすれば、アナタは妻の名誉を傷つけられたことにならない。そうよ、最初から私たちはなんでもなかったのよ。偶然、仮面舞踏会で会っただけ。そうすれば、なんの問題もない……だからお願い。命なんて張らないで……」


「嫌だ」


 たった一言アラドがそう告げた時、雲の隙間から差し込んだ月光が小さな庭先を照らし出した。

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