05.仮面舞踏会
叙勲式が終わってから数日後、私とアラドはいつものように庭でお茶を楽しんでいた。
「はぁ……なんだかあの日からずっと寝つきが悪いよ」
「もう過ぎたことじゃない。堂々としててカッコよかったのに」
「気分がよかったのは認めるよ。あんな経験ができたのも、君がいてくれたお陰だからね。まあ、それだけならよかったんだけど……」
今の会話が示す通り、アラドが叙勲式で演じた奇跡は巷で反響を呼んでいた。
一部の人間はアラドが加護を受けてズルをしたことを見抜いていたが、証拠がない以上は色々な噂が立つものだ。
特に、「最弱だった少年が実は最強の騎士だった」という噂は尾ひれがついて広がっており、女王陛下が興味を示しているなんて話まである。みんな、そういう夢のある話が好きらしい。
「あー、戦いに招集されてから実は全然魔力ないんですなんて言ったらどうなっちゃうかなぁ……」
「その時は責任持って私がサポートするわよ。それに、アナタだけを戦場に送って私はここで待ってるなんて、たぶん耐えられないわ」
「君はきっと、僕がなんと言おうと戦場までついてくるんだろうね。本音を言えば君を危険な目に遭わせたくないけど、きっと僕じゃ止められないね」
「……」
貴族の妻が戦場でも夫を支えるというのは、よくある話だ。
特に、魔術の扱える貴族婦人は聖女隊として戦場に駆り出されることがあり、中には攻撃的な魔術で前線に立つ者までいる。
アラドと婚約さえ済ませてしまえば、私も騎士の妻として従軍が可能だ。当然ながら、アラドが戦場に行くなら私もついて行くつもりでいる。
近年は魔物との戦争も下火になりつつあるが、近いうちに女王陛下が魔物征伐のための遠征軍を派遣するなんてうわさも立っている。
私たちが戦争に行くという話は、それなりに現実味があるのだ。
とは言え、平和な日々を送っていると、あまりそういうきなくさい話は考えたくないというのが本音だ。
アラドもそう思ったか、ふと表情を崩して話題を変えてきた。
「そう言えば、今晩ちょっと付き合ってもらいたいところがあるんだけど、どうかな?」
「ところ、というと出かけるの?」
「うん。一緒に舞踏会でもどうかなと思ってね」
その提案を聞いて、私はあまり乗り気がしなかった。
舞踏会は娯楽と社交の場を兼ねる貴族のイベントだが、お払い箱の令嬢に最弱騎士というコンビの私たちは、貴族の中でも最下層の存在だ。
大きな舞踏会に顔を出しても、後ろ指をさされるだけだろう。
「うーん、気持ちは嬉しいけど、私たちが出られるような舞踏会なんてあるかしら」
「それがあるのさ」
そう告げたアラドは、いったん邸宅に入って白い板のような物体を手に抱えて戻ってくる。
その物体を見て意図を察した私は、たまらず笑いをこぼした。
「確かに、それがあれば私たちも舞踏会を楽しめそうね。そんなもの、どこで手に入れたの?」
「街の雑貨屋でたまたま見つけたんだ……どう、似合うかな?」
そんな言葉と共にアラドが顔にかざしたものは、派手な装飾の施された『仮面』だった。
* * *
その日の晩、私とアラドはとある大貴族のお屋敷で開催された仮面舞踏会に参加した。
仮面舞踏会は、その名の通り仮面を被って参加する舞踏会のことで、地位を気にせず参加できる舞踏会として密かな人気を集めている。
ただし、身分を隠して誰でも参加できるという性質からトラブルも多く、貴族の間では「ちょっと危ない遊び」という認識が一般的だ。
だが、いざ参加してみると、そのアンダーグラウンドな雰囲気が魅力でもあるように思えた。
会場のホールは仮面人間で埋め尽くされ、参加者は思い思いに舞踏会を楽しんでいる。素顔を晒していない分、人目があまり気にならないのも魅力のひとつなのだろう。
そんな会場で、きらびやかなドレスを纏い大きな羽の装飾がついた仮面を被った私は、改めて仮面姿のアラドを見て笑いをこぼしていた。
「フフ、なんだかアラドったら大悪党みたい。ちょっとセンスが派手すぎるんじゃない?」
「せっかくなら派手な方がいいと思ったけど、確かに君も悪役令嬢って感じだね。では、悪名高き誰とも知れぬお嬢様。どうか僕と一曲悪巧みに付き合っていただけませんでしょうか」
「これはこれは、どこぞの大悪党とお見受けします仮面騎士様。わたくしのお相手はお高くつきましてよ」
などと冗談を言い合ってクスクスと笑い合った私たちは、手をとり曲に合わせてダンスを始める。
アラドとダンスをするのはこれが初めてだ。というより、私は今まで華やかな場にあまり顔を出さなかったので、ダンスの経験自体があまりない。
手ほどきは受けていたが、少しぎこちなくなってしまう。
対して、アラドの身のこなしは見惚れるくらいに完璧だ。比較されると少し恥ずかしくなってしまう。
「アラドったらじょうず。私はもうちょっと練習しな――きゃっ!」
へたくそな私はつまずいてアラドの体にぶつかってしまう。
しかし、アラドは動じることなく体を密着させたままオリジナルのターンを披露してくれた。
「ダンスは少しハプニングがあった方が面白いよ。気にせず気楽に踊ってごらん」
「もう。手玉にとられるみたいで悔しい」
などと言いつつ、アラドを頼って気楽に踊れるダンスは本当に楽しかった。
周囲の人たちも、初々しい私たちのやりとりを見て笑みを送ってくれる。顔が見えないからこそ、こうやって分け隔てなく笑い合えるのだろう。
きっと私たちも普通の貴族でさえあれば、仮面なんてしなくとも堂々と舞踏会で踊ることができるのだろう。そして、私たちが夫婦となれば素直に祝福されるのだろう。
そう考えると、まっとうな貴族として扱われる兄や姉たちが羨ましく思う時はある。
だけど、孤独もそんなに悪いものじゃない。
誰からも相手にされない私たちは、周りの目を気にせず私たちだけの世界で過ごすことができる。
この仮面舞踏会がまさにそうだ。これだけたくさんの人がいても、互いの顔を知っている者同士で、私たちのように独自の世界に入り込むことができる。
それはどこか、幻想を映し出す夢の世界のようだ。
私たちは、私たちだけの幸せを見つければいい。今日この日のように。
などと考えていると、楽しい時間はあっという間に終わってしまった。
ダンスの楽曲が終わると会場は拍手で締めくくられ、演奏曲は穏やかになり歓談の時間が始まる。
少し息の上がった私たちは、目を見合わせて楽しそうに笑い合う。
今日のことは、きっと一生忘れることのできない思い出になるだろう。
だが、そんな私の思いは、偶然の巡り合わせによってぶち壊されてしまった。
「あらアナタ……もしかしてソミュア?」
聞き覚えのあるその声を聞いた瞬間、背筋が凍りつくような心地がした。