03.恋愛ごっこ
顔合わせを済ませてから、私とアラドは頻繁に会うようになった。
最初はアラドの家でお茶をするだけだったが、最近では街へ出かけたり、サーカスやお芝居を見に行ったりすることも多くなった。
本来なら、そういう遊びは正式に婚約してからするべきなのだろう。ふたりで外出する時は、悪目立ちしないよう夫婦のフリをしているくらいだ。
なぜそんな関係のままでいるのかと言えば、私たちが互いの気持ちを探り合う恋愛ごっこを楽しんでいるからかもしれない。「親の決めたことだから結婚しよう」と言えば片がつくのに、逢瀬のようなことを繰り返しているのは文字通り『ごっこ』に他ならないだろう。
ただ、『ごっこ』と称して楽しんでいるのは私の方で、アラドは誠意のつもりでやっているのかもしれない。
それでも、時折見せるアラドの笑顔は、私との時間を楽しんでいるようにしか見えなかった。
そんなわけで、今日も有名な楽団の演奏会を楽しんできた私たちは、アラドの邸宅で夕食を共にしていた。
アラドが気に入っているという慎ましい庭先で食事を終えてからは、薄暗くなった空の下でお茶をすすりながら屈託なく談笑を始める。
「このお庭は、執事のシュミットさんが手入れしているの?」
「ほとんど彼に任せているけど、僕もたまに手伝ってるよ。ちょっとかじってみたら意外に面白くてさ。綺麗に花を咲かせるのって結構難しいんだね」
話題に上がった執事のシュミットは、話に加わることなく笑みを浮かべて淡々と給仕をこなす。
こう何度もアラドの家を訪れていると、執事のシュミットはとても口数が少ないことなんかもわかるようになった。
私の前だけでなく普段から必要以上にしゃべらないらしいが、その実は気の利く笑顔の素敵な執事さんだ。おしゃべりメイドなブレダとは正反対のタイプと言えるだろう。
「私もたまに庭手入れの手伝いをするけど、大事な花はいじるなってブレダに叱られるのよ。バラなんか触ろうとすると、血相変えて飛んでくるんだから。きっと素人が手を出すのが気に食わないのね」
「ああー……もしかして、シュミットもそう思ってる?」
シュミットはニコリと微笑んで応じる。
否定しないところが面白かった私は、たまらず吹き出してしまった。
「やっぱり素人が気分で手を出しちゃダメね。アラドも私みたいに、枯らす方が難しいくらいの花から練習しないと」
「そ、そうだよね……いつか君に送れるような花が育てられるよう頑張ってみるよ」
「フフ、楽しみにしてるわ」
などと笑い合っていると、いつの間にかシュミットが姿を消す。
こうしていつも帰り際になると、シュミットはしばらく席を外すのだ。
私にはその意図がわかっているが、アラドの方はと言うと――
「あのっ、ソミュアさん。ええと、その、実は――」
なんと、普段は爽やかに別れを切り出すところなのに、今日は雰囲気が違う。
まさかようやく、待ちに待ったプロポーズをしてくれるのだろうか。
シュミットがあからさまに席を外すのは、まさにこのためにあるのだろうと私にはわかっていた。
もちろん、私の答えは決まっている。
もとより親の決めた相手なので断るという選択肢は最初から考えていなかったが、それは「彼となら結婚してもいい」という妥協の感情だ。
今の私は明確に、「彼と結ばれたい」と感じている。きっとこれが、恋心というものなのだろう。
今まで社交界にも顔を出さず別邸に引きこもっていた私は恋愛感情というものがよくわからなかったが、毎晩アラドのことを考えて胸が高鳴り寝つきが悪くなるこの気持ちこそが恋心なのだろう。ちゃんとブレダにも確認したから間違いない。
とにかくアラドは、私にとって魅力的な男性だ。
少し気弱でかわいらしいところに母性本能をくすぐられる一方で、意外にも大事なところでリードできる男らしさを見せつけてくるのはずるいと思う。
なにより、一緒にいても気負うことなく楽しいと思えるのが、最大の決め手かもしれない。
そんなわけで、私の方はいつでも準備万端だ。
毎晩どんなふうに返事をしようかブレダと相談して、現在は泣きながら微笑み「喜んで」と返事をする案が可決されている。ブレダは七十五点と評していたが、及第点だろう。
さあ、早くアナタの気持ちを――
「実は来週、王城で叙勲式が開かれて、その場でいよいよ僕も騎士号を拝命するんだ。一応、親からすれば僕らは夫婦ってことになってるし、ソミュアさんにも同席してもらいたくて……」
「喜んで」
「たぶん情けない姿を見せると思うけど……って、どうしたのソミュアさん! な、泣いてるの!?」
「ごめんなさい。ちょっと目にゴミが入っただけよ。アナタの叙勲式に立ち会えるなんて嬉しいわ。ああ、早く帰りの馬車が来ないかしら」
「ええと、その、なにか僕、気に障ることでも……?」
「いえいえ、今日もとっても楽しかったわ。じゃあ次は、叙勲式でお会いしましょ」
そうして私は無駄な涙でハンカチを濡らし、帰宅するのであった。
* * *
その日の晩、私は昼間のことを思い出しながら勢いに任せてブドウ酒を何杯も傾けた。
そして、いつものようにブレダを寝室に連れ込み、恋の悩みを打ち明けていた。
「ねえブレダ……気になる人に振り向いてもらうにはどうすればいいと思う?」
そう告げる私の姿を眺めるブレダは、メイド服を脱いだオフモードだけあって面倒くさそうにため息をついている。
「いい加減、恋愛経験ゼロの私に相談したって無意味だって気づいてもいい頃じゃないですか?」
「だって、アナタくらいしか相談できる人いないもん……」
「もうお嬢様の方から好きって言っちゃえばいいと思いますけど」
「それはダメ! 私だって乙女なんだから、ちゃんと殿方からプロポーズしてほしいの! きっとアラドは自信なさそうな顔をしながら勇気を振り絞って『好き』って言ってくれて、でも考えてきたセリフが噛み噛みになっちゃって――」
「その妄想、三百回くらい聞きました。おやすみなさいませ」
「やだやだ! もっとアラドのお話聞いて! ねえねえ!」
と言うわけで、私は既に十分すぎるくらいアラドへの好意を匂わせているつもりなのだが、今日もアラドはプロポーズをしてくれなかった。
そんなもどかしい時間も楽しくはあるが、政略結婚である以上はタイムリミットがある。どちらかの親が「話はついているからさっさと身を固めろ」と言ってきた時点で、私たちの恋愛ごっこは終わってしまうのだ。
もちろん結婚するという結果に変わりはないが、私も乙女なのでプロポーズには人並みの憧れがある。それに、「親が決めたから」ではなく、あくまで「私たちが決めた」という形のようなものが欲しかった。
ただ、私もアラドの心が全て見通せているわけではない。
ふたりの時間を楽しんでいたのは私だけで、アラドは気を遣っていただけかもしれない。
そんなことはないと思っていても、言葉にされなければ心の底から信じ切ることはできない。人とはそういうものだ。
アラドは、私のことをどう思っているのだろうか。
そんなことを考えながら眠りにつく日々を過ごしていると、あっという間に叙勲式を迎えることとなった。