29.恩賞
「わたくしはふたりの弟とひとりの妹を殺して女王の座についたのです。そんな権力闘争を戦ったわたくしは、今まで二十四人の刺客に命を狙われて生き延びました。たとえ、アナタが二十五人目の刺客になったとしても、わたくしには驚かない覚悟と、殺されない自信があります」
そう告げる陛下の表情は、今までの柔和な雰囲気から一転して息を飲んでしまうほどの凄みがあった。
だが、一呼吸置いた頃には元の柔和な表情に戻っていた。
「脅かしちゃってごめんなさいね。こう見えても、お飾りのおばあちゃんじゃないことくらいはわかってほしかったの。もとよりわたくしは、アナタがたに信頼を置いた上でここに座っています。そうでなければ、部下に救出の指示なんて出しませんよ」
「それでは、僕らを助けてくれたあの人たちは……」
「花の名を持つわたくしの子供たち……つまるところ、王室の私兵です。彼らは、孤児や棄児、望まれなかった子供といった者たちを集めて編成された、建前上は存在しない秘密部隊なんです」
「ええと、そんなことを僕らに明かしてしまって大丈夫なんですか?」
「秘密と言っても、少しくらいは彼らの存在と活躍を知る者がいた方が報われるでしょう? アナタがたが心配するほどのことはありませんよ」
そう告げた陛下は、再びお茶に口をつけて一旦話を区切る。
「それじゃあ、どうしてわたくしが私兵を使ってまでアナタがたをここまで連れてきたのか、その理由をお話ししましょう……その前に、せっかくのお茶が冷めてしまうわよ?」
私とアラドは急いでティーカップを傾け、味わう余裕もなくお茶をすする。
強いて感想を言えば、この一杯で銀貨一枚くらい消えてしまいそうな味がする気がした。
そして、私たちがティーカップを置くと同時に、陛下はゆっくりと話を切り出した。
「救助指示を出したのは、戦場で素晴らしい活躍を見せたアナタがたが我が国にとって必要な人材だと判断したから、という理由につきます。それに加えて、秘密裏にここまで移送したのは、アナタがたが暗殺される危険があったからです。その首謀者に、心当たりはおありですか?」
あの状況下で、私たちの暗殺を目論む人物と言えば一人しか思い当たらない。
うんざりするほど嫌な縁があるその人物の名を、アラドが告げてくれた。
「まさか、ハイン兄さんが……」
「そうです。今回の征伐作戦で、ハイン・フォン・ファルマンは多くの犠牲を払いつつも自らの手でミノタウロスを討伐したと主張しています。彼は、自らが指揮する軍を包囲殲滅されたという致命的な失敗を、ネームドの討伐という功績で覆い隠そうとしているのでしょう。しかし、そう主張しようとした時、邪魔になる人物がいる……それが、アナタがたです」
その言葉を聞き、アラドは悔しそうに己の膝を叩いた。
「あんな兄さんでも貴族としてのプライドくらいはあると思ってたけど、戦功を偽装するために暗殺まで企てるなんて……申し訳ありません。ファルマン家の者として、兄に代わってこの場で謝罪いたします」
「アナタが気に病む必要はありません。もとより、ハインの器量を見抜けず指揮官就任を承認したのは、このわたくしです。彼は、わたくしが責任を持って処断いたします」
「それじゃあ、兄さんは……」
「これから開かれる裁判の結果次第ですが、よくて王都追放、悪くて強制労働といったところでしょう。ここにアナタがたを連れてきたのは、その裁判で証言台に立ってもらうまで身の安全を確保する、という目的もあります」
正直に言って、私からすればハインの処断はいい気味だと思ってしまったが、アラドはどこか複雑な表情を浮かべている。
あんな兄でも、兄弟としての義理があるのだろうか。
陛下もその様子に気づいたようだ。
「アナタは、その優しすぎるところが強みでもあり弱みでもあるのでしょうね。とは言え、わたくしもアナタのそういう面に惹かれたのかもしれませんが……さて、ここからは良い話をしましょうか」
そう切り出した陛下は、屈託なくニコリと微笑みかけて雰囲気を一変させた。
「ハインの主張が嘘であると証明された今、ミノタウロス討伐の功績はアナタがたのものとなります。当然ながら、軍の派兵責任者であるわたくしは、その活躍に報いる義務があります」
私はついつい顔をほころばせそうになったが、こういう時は前のめりにならないのが礼儀というものだろう。
期待を高めつつも、平静を装いながら黙って続く言葉を待った。
「実は、少し迷ったんです。女王としてのわたくしは、アナタがたに相応の地位と資本を与えて、ファルマン家の家督相続合戦を勝ち抜いてもらいたいと考えていたのですが、アナタがたのファンとしてのわたくしは、もっと別のプレゼントがいいと考えました」
アラドに箔をつけてハイン不在のファルマン家で家督を争わせようとはまた大胆なアイディアだが、どうやらその他の考えがあるらしい。
「わたくしは、権力闘争ほど無意味で残酷なものはないと考えています。貴族でありながら生い立ちに振り回されたアナタがたはなおさら、そんな闘争を望んではいないでしょう……ならば、一からスタートできる地盤を与えてはどうか考えたのです」
「一からスタートできる地盤、ですか?」
アラドのオウム返しに対し、陛下は静かに頷く。
「そうです。ファルマン家の貴族ではなく、アナタがたが始祖となる新たな一家の立ち上げ……そのために必要な『名』と『領地』と『資本』を、わたくしから与える用意があります。もちろん、ファルマン家の子として成り上がる道を選んでも構いません。いかがかしら?」
私とアラドは視線を交わし、互いの意思を共有する。
もはや、言葉を発して確認する必要などなかった。
「僕たちは、一からのスタートを望みます。ファルマン家に未練はありません」
陛下はまるでその答えがわかりきっていたかのように微笑み、そして瞬時に女王の表情を作り出した。
「わかりました。わたくしは女王の名において、アナタがたにかつて途絶えた王家の名のひとつ――『ヘンシェルス』を授けましょう。併せて、戦功に伴う恩賞金と、此度の戦いで得た土地の一部を領地として貸し与えます」
「ヘンシェルス……」
アラドはその名を自然と口にする。
「そうです。アナタがたは今日から、アラド・ヘンシェルスとソミュア・ヘンシェルスとなり、新たな一家の始祖となるのです。決して、楽な道ではありません。しかし、その道は希望に満ち溢れているでしょう」
その言葉に応じ、私とアラドは再び席を立って跪く。
そして、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べた。
「ありがたく、拝領いたします」
「喜んでいただけたようで嬉しいわ。ひとりのファンとして、アナタがたの末永い幸せを願わせてちょうだい。色々とやるべきことは多いでしょうけど、困った時はベリエフ侯爵を頼るといいわ。彼には、ヘンシェルス家の後見人を務めてもらうつもりでいるの」
まさかここでベリエフの名が出るとは思わず、私たちは安堵の笑みを浮かべて頷き合う。
もしかすると、陛下の発案にはベリエフが一枚噛んでいるのかもしれない。名門六貴族の当主なら王室とのパイプもあるだろうし、あの抜け目ない彼ならやりかねない話だ。
「もちろん、ベリエフとて好意だけで後見人を務めるわけではありません。頼りきらず、時には報いるよう努力なさい。とは言え、もうすでに仲良くやっているみたいだから、余計なお世話かもしれませんね。わたくしも彼とは古い友人なの」
そう告げた陛下は、軽く息を整えてティーカップを脇へと寄せた。
話はこれで終わりという合図だろう。
「さて、あんまり話していると名残惜しくなっちゃうから、そろそろ私はおいとまさせてもらうわね。アナタがたもお疲れでしょうから、情勢が落ち着くまではここでゆっくりしていってちょうだい。わたくしが直接おもてなしするわけにはいかないけど、それなりの待遇を保証するわ」
そう告げて椅子を立った陛下は部屋を出るかと思いきや、なにかを思い出した様子で両手を合わせ、私に視線を向けてきた。
「そういえば、気づいていないようだからあのことも教えてあげた方がいいかしら。アナタはお体をいたわった方がいいでしょうし」
なんのことだろうかと呆けてしまったが、陛下は構わず私に向けて言葉を続ける。
「アナタがたが戦場で衰弱した時、わたくしの部下は伝心魔術の受信によってアナタがたの居場所を特定することができました。しかし、アナタがたはふたりとも伝心魔術を使った覚えはないそうですね」
私は素直に頷く。
白ユリさんもそんな話をしていたが、陛下の言うとおり私たちは伝心魔術を使っていないし、そもそもふたりとも伝心魔術を授かっていない。
では、誰が伝心魔術で助けを呼んだのか。あのか細い声のようなものを放った人物が、その正体なのだろうか。
「あの場に、私とアラド以外の人物がいたということでしょうか?」
私の問いに対し、女王陛下はゆっくりと立ち上がって私の前まで歩み出る。
驚いた私は急いで立ち上がろうとしたが、陛下はそれを制止し、私のお腹に向けて手をかざすような姿勢をとった。
そうして一息置いてから、陛下は屈託のない優しい笑みを浮かべ、こう告げた。
「やっぱり。ここにもうひとり、ちゃんといますよ」
その瞬間、私はすべてを理解してとっさにお腹を抱きしめた。
そんなことが、あり得るのだろうか。仮に私のお腹に命が宿っていたとしても、それはあまりに小さな命だ。
そんな命が、魔術を使って私に声をかけ、そして助けを呼ぶなどということがあり得るのだろうか。
「この子の放つ声のようなものは、きっと小さな命に宿る魔力が自然放出されたものに過ぎないのでしょう。ですが、その声がアナタを助けたのです。たとえそれが偶然の積み重ねだったとしても、人はそれを奇跡と呼ぶでしょうね」
不思議と、その言葉に疑いの余地はないと思えた。
我が子の声がわからない母親などいないだろう。言われて気づいたことかもしれないが、あのか細く弱々しい声は、間違いなく我が子のものだったと、今になって確信が持てた。
我が子の存在に気づいた私は、お腹を抱えながらうずくまり、床に滴ってしまうほど涙を流した。
そして、嗚咽を漏らしながら何度も「ごめんね」と謝った。
戦場での戦いは怖かっただろう、痛かっただろうと、我が子を宿したこの体をいたわることができなかった自分を責め、何度も何度も謝り続けた。
だがきっと、この子が求めている言葉は謝罪などではないのだろう。
だから私は、「ありがとう」と言葉を変えた。
助けてくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
そんな気持ちを込め、涙が枯れるまで、私は我が子に感謝の言葉を捧げ続けた。




