27.涙の雨
マウザーを倒してから、私とアラドは互いの体を支えながら這うように茂みに身を隠した。
戦いが終わったあと、その荒れ果てた大地で息のある者は私たち以外に存在していなかった。
恐らく、マウザーが最初に放った範囲魔術によって多くが死に絶え、生き延びた者はすでに逃げおおせたのだろう。それは巻き添えを食った魔物にしても同じだ。
気がつけば、いつの間にか空は雲に覆われ、雨がはらはらと降り注いでいた。
まだ夜にはなっていないが、厚い雲のせいで時間感覚が失われてしまう。
そんな空間で、私とアラドは体を寄せ合って木の幹にもたれ、虚ろな目で互いを見つめ合っていた。
お互いに出血は少なかったが、体のいたる所で骨が折れ、まともに歩くこともできなかった。
加えて、限界を超えた魔術の使用により、私たちは極限まで体力を消耗してしまった。
息をしているのも辛いくらいなのに、それでも雨が容赦なく体温を奪い、お互いに衰弱していく様がよくわかった。
きっと、このまま待っていても私たちは助からないだろう。
ハインが本陣部隊を引き連れて戦線を離脱したということは、ファルマン軍は壊滅したと見るのが自然だ。
たとえマウザーの死により魔物たちが瓦解していたとしても、この地まで友軍が再侵攻してくるのは少なくとも明日以降になるだろう。
だが、私たちの命がそこまで持つ可能性はゼロに等しい。
体を動かせば痛みが走るのに震えは止まらず、それでいて眠気のようなものを感じてまぶたが重くなっている。
その眠気に似たなにかが、這い寄る「死」なのだろう。
「ねえアラド……アラドは、幸せだった?」
もう体力の温存は無意味だと感じた私は、微笑みながらアラドに語りかける。
対するアラドも屈託のない笑みで応じてくれた。
「もちろん。君と一緒になれた僕は幸せ者だよ」
「でも私は、アナタが戦死する運命を、変えられなかった……」
私の涙は雨に交じって流れていく。まるで、この雨すべてが私の涙であるかのように、全身を濡らして地面へと流れていく。
アラドはそんな私を慰めるかのように、痛む体を押してキスをしてくれた。
「いや、君は僕の運命じゃなくて、人生を変えてくれたんだ……たとえここで死ぬ運命だったとしても、僕は君とならその運命を受け入れてもいいと思えた。愛する人の隣で死ねるなら、それがいつだって僕は幸せさ」
私は嗚咽を漏らしながら何度も頷く。
「私も、アラドと一緒ならそれでいい……むしろ、一番幸せなうちに死んでしまった方が悔いも残らないわ。きっと、このまま一緒に暮らしていたら、いずれケンカするようになっちゃうもの」
「そう言えば、僕らはケンカらしいケンカをしたことなかったね。きっと君が怒鳴って、僕はムッとして口を利かなくなるんだ」
その様子がありありと想像できた私は、声を漏らして笑ってしまった。
「それでもアナタの方から謝ってくれて、私も謝って……その日の晩にはごめんねって言い合いながら愛し合うと思うわ」
「なんだ。それじゃあ、ケンカするのもそんなに悪くないね」
そんな言葉を交わし、私たちは楽しそうに微笑み合う。
だというのに、私は止むことのない雨のように涙を流し続けた。
以前私は、死を受け入れてしまう想像を何度もした。
幸せの絶頂にあるうちに死ねるのなら後悔はない――そんなことを考えながら、想像上の私は笑みを浮かべながら死んでいた。
だけど、実際にその場に立つと、現実はそううまくいかないことがよくわかった。
確かに今の私は幸せだ。生涯愛することを誓った伴侶と美しい姿のまま愛の褪せないうちに添い遂げられるなら、幸せに違いないだろう。
それでも、アラドを求める私の欲望は次から次へと湧き出てくる。
アラドとケンカしてみたかった。
アラドと見たお芝居の続きを一緒に見たかった。
アラドと寒い冬の日に寄り添ってみたかった。
アラドと種から花を育ててみたかった。
アラドとなんの憂いもなくあの池でもう一度ボートに乗りたかった。
アラドとの子を――
それが叶わないと突き付けられて、涙を流さない者はいないだろう。
でもよかった。雨のお陰で、いくら泣いてもアラドにはわからない。
せっかく死ぬなら、あの想像のように笑って死にたい。
そう思って私は、清々しい笑みを浮かべ続けている。
なのに、なのにアラドは――
「ごめん」
結局、全部お見通しのようだ。
彼は私の涙に謝った。いつものように責任を感じ、私の涙に謝ったのだ。
どうやら私は、自分の夫を甘く見ていたらしい。
この人は、誰よりも私のことを知っているんだ。
「お願い。謝らないでアラド……最後は笑っていたいの。だから……」
「ごめん。これが最後だ。後は、笑っていよう」
そうしてアラドは左手を差し出し、私の左手に重ねる。
すると、互いの結婚指輪が擦れて手にこそばゆい感触が伝わった。
とても心地いい感触だ。これだけ心地いいと、だんだん眠くなってくる。
「ありがとう」
私たちは、声が出なくなるまで、その言葉を言い続けた。
ぽかぽかと心の温まる、とてもいい言葉だ。
そうして私たちは笑い合う。
伴侶になってくれたこと、そして伴侶でいてくれたことに感謝を告げて――
『――』
また、声が聞こえる。
とてもか細い、悲しむような誰かの声。
私の死を悲しんでくれるの?
ごめんなさい。
でも、ありがとう。
* * *
* *
*
「対象を発見した。まだ息がある。バラ隊は周囲警戒。白ユリは処置を」
「回復魔術行使します……完了。胴体にダメージがあるので安静に動かしたいです。搬送に四名付かせてください」
「ユリ隊は搬送に回れ。バラ隊は今の交戦状況を伝えろ」
「白バラがゴブリンを二匹処理しました。仲間には気取られていません」
「黒バラがミノタウロスの死骸らしきものを発見しました。恐らくネームドです」
「なんだと。貴族二人と一般兵だけでネームドを倒したのか? だとすれば、あのお方が救出指示を出したのも……」
「無駄口を叩くな。回収任務が最優先だ。搬送準備急げ」
「あと五秒……完了。いつでも行けます」
「了解。ユリ隊は搬送を、コスモス隊は護衛につけ。バラ隊は以後の任務を後方警戒に変更。戦闘指揮権は赤コスモスから赤バラに委譲する。なお、緊急時は上級魔術まで使用を許可する」
「赤バラ、戦闘指揮権を引き継ぎます」
「幸運を祈る。すべては女王陛下のために」
「すべては女王陛下のために」




