25.救うための戦い
「マウザーサマ! モーシワケアリマセン! 魔力アル人間ドモ、逃シマシタ!」
インプの言葉を聞いたミノタウロスは、「むふう」と鼻から息を吐き、戦闘を一時中断するようなそぶりを見せた。
「ホウ、仲間ヲ見捨テテ逃ゲオオセタカ……マアヨイ。十分殺セタノダロウ?」
「キキッ、ゴーレムガイッパイ殺シタ! 魔力ナイヤツ、ミンナ殺シタ!」
魔物たちは私にも理解できる言葉をしゃべっている。
インプは、「魔力がある人間を取り逃がした」と言っていた。恐らく、ファルマン軍の本陣隊員である貴族たちのことを言っているのだろう。
「っ……ハイン兄さんは、本陣部隊だけ撤退させたのか」
アラドも私と同じ認識のようだ。
包囲された状況下でファルマン軍のとれた戦略は、敵のネームドを倒すか、脱出を試みるかの二択だった。
戦い慣れしているコルトは、大軍の脱出は不可能だとしてネームドを潰すしかないと判断していたが、魔力を持った貴族が集まる本陣部隊だけなら、多少強敵に阻まれても強行脱出が可能だろう。
ハインとその取り巻きなら、味方を見捨てて脱出するという判断を下してもなんら不思議ではない。
ここで耐えていれば援軍が来るかもしれない、などという希望は最初からゼロだったのだ。
しかし、そんな状況下で、なぜミノタウロスは戦いの手を止めたのだろうか。
「貴様ラガ最後ノ一兵卒ナラバ、慌テル必要モアルマイ……人間ヨ。我ハカツテ魔王四大将軍を拝命シタミノタウロス族ノ戦士『マウザー』デアル。存分ニ死闘ヲ楽シモウデハナイカ」
どうやら、マウザーと名乗った彼がこの地の魔物を率いているネームドで間違いないようだ。
アラドは息を整える時間稼ぎのつもりなのか、私に目配せをしてから素直にマウザーとの会話に応じた。
「魔王軍の残党か……お前たちにも楽しむとかいう感情があるんだな」
「魔王様亡キアト、我ハ怒リニ任セテ人間ヲ殺シ続ケタ。イズレ人間ニ殺サレルノナラバ、来ルソノ日マデ人間ヲ殺シ続ケルノミト心ニ決メタ……シカシ、久シク全力ヲ出セル相手ト出会イ、我ハ高揚シテイル。サア、存分ニ我ヲ楽シマセヨ」
私は驚かされた。
まさか魔物がここまで人間的な感情を持っているとは思わなかったからだ。
「その様子だと、見逃してくれって頼んでも聞いてくれそうにないな」
「無論ダ。貴様トテ、我ヲ見逃ス気ハナイノダロウ? 我ハ貴様ヲ恨ミ、貴様ハ我ヲ恨ンデイル。我ラハ、ドチラカ一方ガ死ヌマデ刃ヲ交エル運命ニアルノダ」
「確かに、お前は僕の仲間をたくさん殺した。僕もお前の仲間をたくさん殺した。誇りある戦士なら、そんなヤツを見逃せるわけないよな。愚問だったよ」
そう告げたアラドは、私に手を差し出しオーダーを告げる。
「ソミュア、両強化加護・最大だ」
「本当に、全力でいいのね?」
アラドは静かに頷く。
加護を全力で行使すれば、私の魔力は底をつくので以後の戦闘は困難になる。
たとえマウザーを倒せたとしても、この場所から離脱できる見込みは薄くなるだろう。
だが、今ここでマウザーを倒さなければ、犠牲者がもっと増えてしまう。
――救いたいなら戦え。
その言葉に従い、私は全力を出し切る覚悟を決めた。
私のすべてを捧げ、この魔物だけは必ず倒すと決意した。
大きく息を吸い込み、全身全霊で集中力を高める。
愛する者に加護を授けることだけに集中し、アラドの手を強く握り込む。
その瞬間、私の体に宿る魔力は何倍も跳ね上がった気がした。
体内の魔力総量が増えたわけではない。きっと、アラドへの想いの強さが魔力の変換効率を極限まで引き上げたのだろう。
ハインを倒した時の二倍――いや、三倍はパワーを上げられた実感がある。
そうして加護の付与を終えた私は、疲れきって膝から崩れ落ちる。
アラドはそんな私の体を支え、ゆっくりと座らせてくれた。
「すごいよソミュア。これだけの力があれば、下手したら世界を亡ぼせそうだ」
「バカっ、アナタは世界を救う方でしょ」
「僕は世界のためなんて大それた理由で戦わないよ。いつだって、キミのためさ」
そう告げて、アラドは優しく私の唇を奪う。
「勝った時まで、とっておくんじゃなかったの?」
「いや、これはキスじゃなくて生きて帰るって誓いだよ」
「ズルい人」
詭弁に笑みで応じた私は、静かに頷いてアラドを送り出す。
「素手デイイノカ?」
「ああ。どの道、この力に耐えられる武器はないよ」
「フム、ナラバ我モ倣ウトシヨウ」
そう告げたマウザーは、斧を地面に突き刺し拳を構える。
対するアラドは、構えすら不要という圧倒的なオーラを纏って、一歩ずつ足を進めた。
私はその様子を、なんの不安もなく見届けることができた。
なぜなら、先ほどアラドは大レベルの加護でマウザーと互角に渡り合えていたからだ。今のアラドは、そこからさらに五、六倍はパワーが上がっている。
世界を亡ぼせそうという言葉もあながち間違いではなく、ともすれば一発の拳で町のひとつくらいは破壊できる可能性がある。ハインを倒した時ですら、手加減するのが難しかったと後に語っていたくらいだ。
今回も一撃で片がつく。
そう確信した瞬間、耳をつんざくような炸裂音と内臓まで響き渡る衝撃が全身に走る。
同時に、私のすぐ脇をなにかが凄まじい速度で吹き飛んでいった。
一体、なにが飛ばされてきたのだろうか。
視界の先では、マウザーが拳を突き出した姿で静止している。
アラドは、どこに行ってしまったのだろうか。
アラドは――
「アラドっ!」
すべてを理解した私は、よろけた足でなにかが飛んでいった方向へと走り出す。
何度も転びながらその場にたどり着くと、地面にめり込む形で横たわるアラドの姿があった。
「アラドっ! アラドっ!」
「ソ、ミュア……に、逃げ……」
幸いにして息はある。加護のお陰で致命傷は避けられたようだ。
どうしてこんなことになったのか。
必死に原因を考えながらアラドを介抱していると、マウザーがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
その姿を見て、私は絶望に等しい感情を抱いた。
なぜなら、マウザーも肉体強化の加護を纏っていたからだ。
「他愛モナイ……確カニ強化効率ハ凄マジイガ、素ノパワーガ貧弱デハ、強化ヲ付与シタ我ニ勝テルハズモナカロウ」
私は己の思慮の浅さを呪った。
考えてみれば、強大な魔力を持つマウザーが自身に強化魔術を付与できたとしても、なんら不思議はない。
そしてマウザーは、素の状態で大レベルの加護を受けたアラドと同等の戦闘力を持っている。そこからさらに肉体強化が付与されれば、どうあっても私たちに勝ち目などなかったのだ。
「立テ人間。モット我ヲ楽シマセロ」
その言葉に応じ、アラドは私に肩を支えられながらよろよろと立ち上がる。
無理だ。こんな相手に勝てっこない。
どんな奇跡が起きようと、私たちでは力不足だ。
それなのに、どうしてアナタは立ち上がるの。
「ごめんソミュア……まだ、死ぬ覚悟ができないや。だって悔しいだろ。僕もこう見えて男なんだ。このくらいじゃ、負けを認められないよ」
そんなの諦めない理由にならない。
そもそも、この状況に陥ったのはアラドのせいではない。私の力が足りなかっただけだ。
たとえ他の魔術が使えずとも、加護魔術なら誰にも負けない自信があった。
だが、結果がこれだ。私の加護魔術は、本物の強大な力の前では霞むようなレベルでしかなかった。
やっぱり私は、かつての父が言っていたように、役立たずのモノだったのだ。
生まれた時から、誰の役にも立てない運命だったのだ。
『――』
そんな考えが頭をよぎった刹那、誰かの悲しむような声が聞こえた気がした。




