20.戦争屋
個人用の装備と携行品を携えて家を出た私とアラドは、練兵場へ向かってファルマン軍の主力と合流した。
王都で編成されたファルマン軍の総勢は二千人ほどで、うち五十人が魔術を扱える精鋭――つまり貴族の血を引く者だ。
軍の主力は職業軍人の歩兵たちだが、貴族は基本的に本陣部隊の構成員となり、いざという時に魔術や剣技で主力を支援するという役割を担っている。
つまり私たちも本陣部隊の一員なので、基本的に指揮官であるハインの近くにいなければならないのだ。
そんなわけで部隊に合流する際に一応形だけ挨拶をしに行ったが、ハインは心底不愉快そうな表情で唾を吐いて私たちを出迎えた。
「騎士アラド・フォン・ファルマンとその妻ソミュア。ただいま参陣いたしました」
「はっ、本当に来るとはな……まぁ、領地もない残りカスは戦争で気張らなきゃ金も稼げねぇもんな。心配せずとも、テメェらには最前線で体を張ってもらうつもりだ。せいぜい努力して死に場所を探してくれや。話は以上だ。用がなけりゃ俺の前から失せろ」
決闘に負けたのに謝罪もせず、相も変わらず横柄な態度をとるハインには呆れるばかりだ。
しかし、軍の序列には従わなければならないので、私とアラドは粛々と彼の指揮下に入る他なかった。
その後、編成を終えたファルマン軍は華やかな出征パレードをしながら王都を立ち、六日間の行軍で前線拠点となる北部の村へと到着する。
そこには、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
その村は数年前から魔物の襲撃被害に遭っており、最近になって住民が耐え切れず放棄されたらしい。
家々は破壊され、田畑は荒れ果て、ぽつぽつと亡骸が転がる――そこまはまるで、地獄の入り口のような場所だ。
そんな村に陣を張ったハインは、夜を前に貴族を集め作戦会議を開いた。
ひときわ大きいテントの中で地図を広げさせたハインは、テーブルの上に足を乗せ、干し肉を咥えながら作戦を思案している。まるで大貴族とは思えない無作法ぶりだ。
「さぁて、俺たちは三番目の到着か。東部から侵攻中のベリエフ軍はもう魔物と戦ってるようだが、手こずってるようだな……とりあえず、俺たちが目指すべきは攻略目標への一番乗りだ。そのためには、明日にでも動く必要がある」
ハインの頭の中は、いかにして敵を倒すかではなく、いかにして仲間を出し抜き戦功を挙げるか、という考えで埋め尽くされているらしい。
戦争に詳しくない私でも、それくらいは理解できた。
そんな中、ハインはさっそく悪意に満ちた視線を私たちに向けてきた。
「まずは敵情偵察が必要だな……おい、アラド。テメェなら行けるだろ。まさか、遠足気分でここに来たわけじゃねぇよなァ?」
唐突な指名により、周囲の貴族もアラドへと視線を向ける。
あからさまな押し付けだが、誰かがやらねばならない任務なのは間違いない。
アラドもそう思ったのか、ためらいなく素直に頷いて見せた。
「承知しました。任務のために、少しばかり自由にできる兵をお貸しください」
「ほう、やる気十分じゃねぇか。それならコルトってヤツが率いてる三十人ほどの隊をお前に任せてやる。偵察はなにがなんでも今晩中に終わらせろ。指示は出したぞ。さっさと行ってこい」
ハインに促されテントを出た私とアラドは、そのまま歩兵の野営地に赴いてコルトという人物を探すことにする。
その道すがら、私は先ほど感じた懸念を口に出していた。
「ねえアラド。あんな簡単に引き受けてよかったの? この調子だと、なんでもかんでも押し付けられちゃうわよ」
「そうかもしれないけど、ハイン兄さんの言うことも一理あるよ。僕らは遠足に来たわけじゃない。勇気と行動を示さなきゃ騎士とは言えないからね。それに、偵察くらいなら腕試しにちょうどいいと思ったんだよ」
「アナタに考えがあるならそれでいいけど……それにしても、あのハインが私たちに兵士を貸してくれるなんて意外ね」
「まあ、それが素直に喜べるかどうかは、コルトって人に会ってみないとわからないけどね」
そんな会話を交わしつつ、野営地で聞き込みをするとコルトの所在はすぐにわかった。
そして、案内された場所についた私たちは、早くも頭を抱えることになった。
「あぁ? 俺たちがこれから偵察だぁ? おいおい、寝る間も惜しんで戦えってかよ。やっぱりお貴族様ってのは、俺たちのことを奴隷かなにかと勘違いしてるみてぇだな」
部下と共に焚火を囲っていたコルトは、ここが戦場であるにもかかわらず、堂々と鎧を着崩して酒を飲んでいるような男だった。
コルト自身はまだ若く整った顔立ちをしているが、長い赤髪の間から覗くスレた表情には威圧感がある。彼の仲間たちも似た者揃いだ。
「隊長の言うとおりでさァ。ボンボンが俺たちに指示なんて百年早えんだよ」
「おいおい、コイツ聖女様連れてるぜ。かわいい顔してんじゃん」
「こんなガキには勿体ないくらいの上物だな。今晩は俺と寝ようぜ」
と、彼らは下品な会話を交わしてゲラゲラと笑っている。
名誉を重んじる貴族と違い、金で雇われた兵士は士気が低いと聞いていたが、道中でここまで風紀が乱れている人たちとはすれ違わなかった。
恐らくハインは、わざと扱いにくい隊を私たちに宛がったのだろう。
それでもアラドはめげることなく、どうにかして協力を仰ごうと交渉を始めた。
「負担をかけてしまうのは重々承知しています。それでも、戦功をあげれば君たちにも恩賞が出る。どうか活躍するチャンスだと思って、僕と行動を共にしてください」
「へっ、テメェらだけあったかいベッドで寝てあったかい飯食ってんのに、行動を共にしろたぁ随分都合のいいこと言ってくれるじゃねぇか。いいか、実際に戦争してンのは俺たちなんだよ。テメェら貴族は、名誉だなんだと言いながら俺たちを利用して手柄を立てたいだけだろ。違うか?」
「……確かに、僕が戦功を欲しているのは事実だ。それなら、僕が君らの上官でいるうちは、僕もここで寝泊まりして同じ物を食べる。戦場に出る時も、僕が最前線に立つよ。これで、行動を共にしたいって意思が示せるかな」
「はぁ?」「えぇ!?」
私はコルトと声を合わせ、たまらず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ああ、もちろんソミュアは本陣で休んでいいよ。ええと、彼女は僕の妻で聖女隊員なんだけど、さすがに彼女もここで一緒にってわけには……」
すると、コルトは腹を抱えて大笑いし始めた。
「テメェもここで寝て俺たちと同じ飯を食うだぁ? 面白れぇこと言ってくれるじゃねぇか! テメェに少し興味が湧いてきたぜ。ちょうど暇してたところだし、テメェの言葉が嘘じゃないか見極めるチャンスくらいくれてやるよ」
そう告げたコルトは、まるで人が変わったかのように真剣な表情を見せて立ち上がる。
「テメェら仕事の時間だ! こちらの坊ちゃんをエスコートして敵情偵察に行くぞ! さて、嬢ちゃんはどうする?」
私は頭を抱えつつも、アラドがあんな提案をした理由がわかった気がした。
確かに、命令ではなく共感の方が人の心は動かしやすい。寝食を共にしようという提案は、まさに心を動かすプロポーズと一緒だ。
「もう! 夫が行くのに、私だけ楽をするわけにはいきません! 戦場にはついていくし、私もここで寝泊まりします!」
「おうおう、この夫にしてこの妻ありだな。こちとら大歓迎だぜ。こう見えて俺たちゃ紳士的なんだ。まっ、お貴族様のご婦人になんて手を出したら、一族郎党皆殺しにされそうだしな!」
そんな冗談と共に沸き立った三十人の笑い声は、暗闇に覆われつつある薄暮の空に響き渡った。
* * *
「見てみろよおふたりさん。あそこが、ゴブリン共の巣だぜ」
装備を整え暗闇に覆われた森の中に入った私たちは、しばらく進んだところでコルトの指示により身を潜めた。
彼があごで指した方角を覗いてみると、木々の間にうごめく小さな影を見つけることができた。
アラドもその様子を視界に捉えたようだ。
「なにか生き物がいるのはわかるけど、家も松明も見当たらないんだね」
「おうよ。あいつらは人間じゃなくて魔物だぜ。夜目も利くし、もともとは森の中で暮らしてたんだ。俺たち人間みたいにテントを立てたり、火を起こしたりする必要はないんだよ」
「そんなケモノみたいな連中が相手なら、隊列を組んで押していけば簡単に打ち崩せそうだけど、実際はどうなんだ?」
「魔物ってのは、ああ見えて組織的に動いてるんだ。賢くて魔力のある上級種がゴブリンみたいな下級種を使役して、軍隊ごっこをしてンだよ。力押しが有効なのは確かだが、むやみやたらに突っ込んでも勝てない程度には手ごわいぜ」
さすがは戦闘のプロだけあって魔物のことをよく知っている。
そんな話を聞いていると、私も色々と質問したくなってしまう。戦場でもおしゃべりをしたくなるのは、きっとブレダのせいだ。
「コルトさんは、兵士になってもう長いんですか?」
「おうよ。俺は生まれも育ちも戦場さ。なんてたって、嬢ちゃんみたいに戦場に駆り出された聖女様と、ただの兵士だった親父が駆け落ちして生まれたのがこの俺様よ。そんな一家だから町にも入れず戦場を転々として俺も育ったんだ。まあ、両親はどっちも戦場で死んじまったけどな」
さすがに返す言葉が思いつかなかった。
私は自分の生い立ちが不幸なものだと思い込んでいたが、彼に比べれば温室育ちもいいところだ。
「おいおい、そんな顔するなよ。こう見えて俺は楽しくやってるんだぜ。死ぬときゃ死ぬんだって思える戦場みたいな場所の方が案外気楽に――」
「がぁッ!」
その瞬間、少し離れた場所にいた兵士が短い悲鳴を上げた。




