02.最弱の騎士
翌日私は、縁談の顔合わせということでアラドの邸宅へ赴いた。
貴族街の外れにあるその邸宅は、小さいながらも見てくれだけは派手な佇まいをしている。
金はかけたくないが見栄は張りたいという意思が透けて見えるのは、私も似たような家に住んでいるからだろう。
送迎用の馬車を降りた私は、相手方の執事に出迎えられた。
若そうなわりに落ちついた執事で、妙に色っぽい魅力がある。ブレダと同い年くらいだろうか。
そんな執事に促され邸宅の中に入る――かと思いきや、門をくぐった私は庭先へと案内された。
「アラド様がこちらでお待ちです」
(ええー、最初からお庭でお茶なの。失礼とまでは思わないけど、ずいぶん気取った人なのかしら)
家を出た時は何があっても動じないようにと思っていたが、どんどん変なところが気になってしまう。覚悟はできているつもりでも、心の底では怯えているのだろう。
そんな心地で赤いバラに彩られた花のトンネルを抜けると、ようやく縁談相手とご対面になった。
「はっ、初めましてっ! 僕が、アっ、アラアラ、アラド・フォン・ファルマン、ですっ!」
正直に言って、「アラアラ」のところで私の口角はヒクヒクと吊り上がっていたと思う。彼が立ち上がった拍子に椅子が勢いよく後ろへ倒れ、冷静そうな執事が少しビックリしているのもポイントが高い。
私は今日この瞬間ほど笑いを噛み殺すのに必死になったことはなかっただろう。
「ソミュア・ド・ロワールです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「かっ、歓迎します。どうぞこちらに……」
今のやりとりで、アラドの第一印象は完ぺきに『面白い人』になってしまった。
背丈は小柄だが顔は整っているので、見た目ではなく立ち振る舞いで損をするタイプなのだろう。
ただ、緊張してオドオドする姿は怯えている子猫みたいで、かわいらしいと思えてしまった。
それからは、特に面白味のない挨拶が始まる。
互いにおべっかを使って実家のことを褒め合い、「あなたの親族のご活躍はよく存じておりますよ」とアピールをする。
ああ、この人もそう言えって教わったんだろうな――と、そんな気持ちで私はつまらない会話を続けた。
しばらくすると、執事が気を使った体で席を外してくれる。ここからはおふたりだけでどうぞ、という定番の流れだ。
ふたりきりになった時に彼がどんなことを話すのか興味があった私は、あえて話題を振らないことにした。
すると、長い沈黙が訪れてしまう。
(うわー、すごい困っちゃってる。でも、もじもじしてる姿は見てて飽きないかも)
などと考えつつ、「無理にしゃべらなくてもいいですよ」という雰囲気を装いお茶に口をつけていると、アラドは急に顔を上げて深刻な表情を見せた。
「あのっ、お招きしておいて大変失礼だとは思いますが……やっぱり、この話はなかったことにしませんか」
「はい……って、え?」
驚く間もなかった。
どうやら私は、一瞬にして振られてしまったらしい。
もちろん今の生活を変えたくない私にとって、政略結婚の破談は望ましいことかもしれない。
だとしても、いざ面と向かって断られると、泣きたくなるほど傷つくことがわかった。
何がいけなかったのだろう。ああ、ブレダ。私ってば、恋もしてないのに失恋しちゃった。家に帰ったらどうか笑ってちょうだい。
「訳を、聞いてもよろしいですか?」
それくらいの権利はあるだろうと、私はどうにか涙をこらえて平静を装う。
すると、アラドから返ってきた答えは意外なものだった。
「僕は、本当に落ちこぼれなんです。立派なのは血筋だけで、貴族のクセに魔力も全然授かってなくて、家族からは見向きもされていません……そんな僕と一緒になれば、ソミュアさんもきっと不幸になると思って……」
それからアラドは、自身の境遇を語ってくれた。
彼も私と同じく、不遇な魔術の授かり方をしたことで家族から疎まれているらしい。なんでも、扱える魔術の種類は多いが、その力を引き出す魔力が極端に低いのだとか。火を出してもチロチロ、風を出してもソヨソヨなのだそうだ。
「そんな僕は、戦場に出ても最弱です。それでも父上が僕に騎士号を与える理由は、僕の戦死を望んでいるからだと思います。それくらいしか無能者の僕が得られる名誉はないって、昔から言ってたから……」
「そんな不幸を背負った人生に私を巻き込みたくない……だからこの話は破談にする。そう、おっしゃりたいんですか?」
「はい。もちろん、僕の意思で破談という形にします。それでもソミュアさんに迷惑がかかることは重々承知しています。僕個人にできる償いなら、何でもします。だから……」
その言葉で、アラドという人物の内面が少しだけ垣間見られた気がした。
彼はとても優しい。そして優しすぎるからこそ、戦死しろと言われるような運命を背負っていながら、他人に迷惑をかけまいとするのだろう。
それは立派な心がけかもしれないが、私にはとても寂しく思えた。
そもそも私だって、そこまで気を遣われるような高潔無比のお姫様ではない。
「アラド様のお気持ちはわかりました。ですが、私だって褒められたような生い立ちではありません。私も魔術に難があることは、ご存じですか?」
「それは……」
反応からして、私のことはそれなりに知っているのだろう。
であれば、もう猫を被る必要もないと思い、私は自然と笑みをこぼしていた。
「ご存じなら、もう良家のお嬢様を演じる必要もないかしら。知っての通り、私はお払い箱の令嬢よ。アナタが十四番目の末っ子だって聞いた時から思っていたけど、私たちって似た者同士みたいね。お互い、両親が呆れるくらい元気なところも」
さすがに下品すぎただろうかと慌てて口元を押えると、苦笑いを浮かべたアラドもどこか肩の力を抜いてくれたように見えた。
「僕なんかと似てる、なんて言えないけど、ソミュアさんも苦労してるのかなとは思いました。こんな身なりと血筋をしていても幸せになれない人がいることは、僕にもよくわかるから……」
「そうね。だけど、家を飛び出すほどの勇気もなかった……今の立場に甘えているうちは、親に逆らえないものね。だから私は、こうしてアナタの家への貢ぎ物になるために、ここに来たのよ」
「貢ぎ物だなんてそんな! 僕はそんなつもりでソミュアさんと会うって決めたわけじゃない! それに、周りがなんて言おうと、ソミュアさんは、その、綺麗だし、いい人みたいだから、僕になんて勿体ないと思って……」
アラドの言葉は、素直に嬉しかった。
容姿や性格のことじゃない。自分をモノ扱いして自虐したことを否定され、私を一人の人として見てくれたことが嬉しかったのだ。
「じゃあ、私がその綺麗でいい人じゃなかったら、縁談を受け入れるつもりだったの?」
「それは、その、言葉のあやと言うか……」
だめだめ。こうしていると、どんどんアラドという人を構いたくなってしまう。
彼の意思が固いなら、私もおとなしく引くべきだろう。
出されたお茶を飲み干した私は、態度を改めて話を戻すことにした。
「アラド様の意思はわかりました。私の生い立ちを知ってもなお破談にしたということであれば、私はアラド様の意思に従います」
きっぱりそう告げると、アラドは何かを悩んでいるかのように手を組んで視線を落とす。
さっき破談の話を打ち明けた時と同じく、何か言いたいことがあるのだろう。
その言葉を聞くために、どれくらい待っただろうか。
長かったような短かったような、不思議な時間が流れる。
それからアラドは、静かに沈黙を破ってこう告げた。
「君の……ソミュアさんの気持ちを、聞かせてほしい。親とか血筋とか立場とか、そういうのを抜きにした、君の気持ちを……」
と、神妙な顔で聞かれたところで、私はまたも我慢できず笑ってしまった。
「それって、私がアナタに惚れたかどうか教えろってこと? フフ、ホントに面白い人」
「えっ、いやいや! そういう意味じゃ……いやでも、そういうことになるのかな? すいません。本当に僕、考えなしで……」
そうじゃない。アナタはきっと、考え抜いた末に私の気持ちを聞いたのだろう。私を困らせたくない一心で、私の気持ちを聞こうとしたのだろう。
どこまでも他人本位な優しい末っ子さん。私は、そんなアナタのことが――
「乙女の心を推し量るのも殿方のお役目ですよ。今日は顔合わせですし、私は結論を急ぎません。どうかごゆっくり考えてみてください……そろそろ、帰りの馬車を呼んでいただけますか?」
それから馬車の手配をしてくれたアラドは、再び黙り込む。
でも、私にはわかる。また何か言いたそうに黙っているんだもの。私は早くその言葉が欲しいのに。もう時間はない。
そして馬車が到着すると、アラドは玄関先まで見送ってくれた。
「今日はとても楽しい時間が過ごせました。また――」
そう言いかけて、私は口をつぐむ。
そこから先の言葉は、アラドに言ってほしかった。けれど、もう遅いかな。
諦めて踵を返そうとすると、不意に右手を掴まれた。
私が驚かないよう優しく、それでも衝動を感じさせるような動作で私の手をとったアラドは、おもむろに跪いて顔を上げる。
その顔はいまだに自信がなさそうだけど、決意のようなものが宿っている気がした。
「ソミュアさんの気持ちは、今の僕ではわかりません……だから、また僕と会ってくれませんか。お互いの気持ちがわかるまで――」
そう告げて、アラドは私の手にキスをする。
貴族にとって、その行為はただの挨拶でしかない。だけど、手の甲から伝わる優しいぬくもりは、全身に広がるような心地がした。
「ええ、是非」
そうしてアラドと別れを告げ、私は夕日の差し込む馬車に揺られる。
ああ、今日はきっと眠れないほどブレダに話すことがある。ブレダは最後まで聞いてくれるだろうか。
そんなことを想像して笑みを浮かべた私は、アラドという優しい紳士に思いを馳せて、遠くの夕日を眺め続けた。