16.挙式
アラドの邸宅に移り住んでから、賑やかで充実した日々が過ぎ去っていった。
最初は遠慮する部分もあったが、すぐさま私たち四人は打ち解け、ひとつ屋根の下で家族のように過ごすことができた。
そう。昨日までは家族のように、だった。
青々と晴れ渡る初夏の空のもと、涼しげなそよ風が肌を撫でる今日この日に、私とアラドはついに結婚式を挙げた。
本当はもっと早く一緒になる予定だったが、決闘絡みのドタバタが尾を引いて今日まで先延ばしにされていたのだ。
会場は、名のある貴族が使うような大聖堂ではなく、街外れにある大きくも小さくもない聖堂だ。来賓は、ブレダとシュミットの二人しか呼んでいない。
両親も兄姉も親戚も呼べない結婚式だが、私にとって一番身近なふたりに祝福してもらえるだけで十分だった。
ただし、そんなこぢんまりとした挙式でありながら、祭壇の両脇にはちゃっかりと楽団が用意され、式を盛り上げる音楽を奏でてくれている。
会場の手配もそうだが、ここまでちゃんとした式の形を整えてくれたのは、なにを隠そうこの挙式でも立会人を務めてくれたベリエフ侯爵だ。
騎士として礼装用の鎧を纏ったアラドは、かしこまった式でもないので祭壇に立つベリエフに対して気さくに話しかけている。
「こんな立派な式になったのもベリエフ卿のお陰です。本当になにからなにまで、ありがとうございます」
「ホッホッホ、あの決闘のお陰でそれなりに儲けさせてもらったからのう。まあ、それがなくともわしはお主らのことを気に入っとるからな。むしろ光栄じゃよ」
と、ベリエフは言っているが、これだけ私たちによくしてくれるのは、アラドを養子に取りたがっているからだ。
そのためにはアラドがファルマン家と縁を切る必要があるので私たちも決めかねているが、こうしていざという時に頼れる人がいるのは心強く思えた。
「さて、あまり気楽にやっても重みがなくなってしまうな。せっかくなら入場するところから始めるかのう」
ベリエフの提案に従い、聖堂の入り口まで戻った私とアラドは、厳かな入場から式を始める。
先に入場したアラドの登壇を待っている間に、付添人を務めるブレダはささやくように私へ声をかけてきた。
「ソミュア様のドレス姿、本当に見惚れるくらいお綺麗です」
「アナタに仕立ててもらったんだもの。綺麗にならないはずないじゃない」
ブレダの仕立ててくれた純白のウエディングドレスは、今までのどのドレスよりも美しく、そして気持ちが込められている気がした。
もしもヴェールで顔が隠れていなかったら、お互いに顔を見合わせて泣いていただろう。
「私、本当に、本当にソミュア様のおそばにいられてよかったと思ってます。ソミュア様はよく、私のことを母か姉のようだとおっしゃってくれますけど、おこがましいとわかっていても、私にはそれが本当に嬉しんです……」
「おこがましいもなにも、私たちは家族じゃない。今も昔もね……さ、行きましょう」
ブレダにドレスの裾を持ってもらい、シュミットの丁寧な拍手と楽団の聖歌を浴びながら、私は一歩ずつ歩みを進めて祭壇へと上がる。
そして、煌びやかに輝くステンドグラスを横目に見ながらアラドと向かい合った。
礼装とは言え物々しい鎧を着ていると、あのアラドでもこんなに男らしく見えるんだ、と失礼ながら驚いてしまった。
そんな余計なことを考えていると、ベリエフがゆっくりと右手を挙げて司会を始める。
「我が名はアレクセイ・ベリエフ。偉大なる女王陛下に代わりて結婚の儀をとり行い、汝らの誓いを見届ける者である。今日この日は、大地に恵みをもたらす太陽に祝福された晴天となり……」
と、そこでベリエフの前口上は途切れてしまう。
たまらず私とアラドが視線を向けると、ベリエフは額に汗を流し苦笑いを浮かべていた。
「す、すまん。久しぶりで前置きを忘れてしもうた……ああー、まあなんだ、こういうのは中身が大事じゃからな。代わりと言ってはなんだが、わしからの言葉を送らせてくれ」
私とアラドが微笑みで応じると、ベリエフは「コホン」と咳ばらいをして再び口を開く。
「我ら人は、いつの時代も夫婦となって命を紡いで繁栄を遂げてきた。女王陛下の名のもとにこの式がとり行われるのも、汝らが夫婦となって国の繁栄に寄与することを期待されているからである……と、こう言うとお堅く聞こえるじゃろ?」
なぜか問いかけを受けた私とアラドは、ぎこちなく首を縦に振る。
「ならばもっと単純に考えてみればよい。汝らは、ここに唯一無二の相手を見出し、唯一無二の愛を育もうとしている。それは、幾代も紡がれた愛の延長によって生み出された新たな愛である……汝らの生い立ちを知るわしだからこそ言わせてもらおう。いかなる形であれ、汝らは生を受けたからこそ出会い、ここに愛を育むことができたのじゃ」
少しだけ胸が締め付けられる言葉だが、こうしてアラドの隣に立つことができた私なら、素直に聞き入れられる気がした。
「授かったすべての生が愛に恵まれるわけではない。しかし、愛によって命が紡がれなければ、新たな愛が生まれないのもまた事実である。汝らが今ここに結ばれようとしているのは、過去から後世へ愛を紡ぐためなのだと胸に刻んでもらいたい。それこそが、民を思う女王陛下の真意だとわしは思うとる」
「愛を……」
「紡ぐ……」
私とアラドは、自然とその言葉を口ずさむ。
「左様! それを誓うのが、この儀である。よいかな?」
まるで先生のように問いかけてくるベリエフの姿がどこか面白く感じ、私とアラドはついつい笑いをこぼしてしまう。
そうして一息ついてから、ベリエフは私たちに誓いを求めた。
「アラド・フォン・ファルマンに問う! 汝は、己の前に立つ者を生涯の伴侶とし、いついかなる時も愛することを誓うか!」
「誓います」
「ソミュアに問う! 汝は、己の前に立つ者を生涯の伴侶とし、いついかなる時も愛することを誓うか!」
「誓います」
「よろしい。では、誓いの証を示しなさい」
その言葉に促され、アラドは一歩前に出て私の顔にかかっていたヴェールを上げる。
視界が晴れると、とたんに涙がこみ上げてきてしまう。
もう少し我慢したかったが、目をつむると同時に一筋の涙が頬を伝ってしまう。
そしてアラドは、そんな私の涙を慰めるかのように、誓いのキスを交わしてくれた。
これから数えきれないくらいキスを交わしても、今日のキスだけは生涯忘れることがないだろう。
もちろん、月夜に交わした初めてのキスも、決闘の時にいきなり奪われたキスも忘れていないし、忘れるつもりもない。
私は、アラドとのキスは全部覚えていたい。アラドとの思い出は、一片たりとも忘れたくない。
それが無理だとわかっていても、たとえ記憶の中でさえも、私はアラドという存在を失いたくなかった。
「おめでとう。これで誓いは結ばれ、君たちふたりは晴れて夫婦となった。さあ、祝福の声を聞き、幸せの笑みでそれに応えなさい」
と言われても、祝福の声を出してくれるのはブレダとシュミットのふたりだけなのよね――と、その時までは思っていた。
だが、当のふたりは祝福の声を出さず、なにかを待っているかのように黙っている。
「ホッホッホ。そのまま外に出てみなさい」
ベリエフの言葉に促され、私とアラドは訳もわからず腕を組んで聖堂の外へと向かう。
そして扉を開け放つと、聖堂の前には数えきれないほど多くの人が待ち構えていた。
「おめでとう! 決闘を見てファンになっちまったよ!」
「やっぱり結婚式はいつ見てもいいもんだねぇ」
「お似合いだぜ! お幸せに!」
思いもよらないサプライズに、私とアラドは顔を見合わせて目を丸くする。
「決闘の客、わしの知り合い、近所の者たち……それだけの繋がりでも、お主らを祝福しようと集まる者はこんなにおるんじゃよ」
「私とシュミットさんも、少しお手伝いさせていただきました。せっかくの晴れ舞台ですので、多くの人に見ていただきたくて……本当に、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
ブレダとシュミットの言葉に続き、集まった観衆は笑みを浮かべて次から次へと祝福の言葉を浴びせかけてくる。
そんな場に立って、私は理解することができた。
命だけでなく、これも愛を紡ぐひとつの形なのだと。言葉を交わしたことのない者同士でも、幸せを共有し、笑い合えば愛は紡がれるのだと。
だから私は、涙を流しながら笑い続けた。
この幸せが、みなに届くようにと。




