15.ブレダとシュミット
私とブレダがアラドの家に転がり込んでから、早くも数日が経った。
一応、私とアラドは婚約者ではあるが式を控えた身なので、今のところ寝室は別だ。
まあ、それでもふたりきりになることは多いので多少甘えてみたりしてはいるが、お互いに大事な一線は越えないようにという認識が共有されていた。
それはそれとして、問題はブレダとシュミットだ。
おしゃべりメイドのブレダと寡黙執事のシュミットは、想像以上に噛み合わせが悪かった。
もちろん、ふたりとも優秀な使用人だし、年が近いこともあって仲が悪いわけではない。両者の仕事のやり方が根本的に違うのが問題なのだ。
ブレダは会話を通じて相手の希望や要求を引き出すタイプなのに対し、寡黙なシュミットは察して気を利かせるタイプだ。
そんなふたりがコミュニケーションを取ろうとしても、なかなかうまくいかないのは当然なのかもしれない。
今日も今日とてシュミットは黙々と仕事をこなすが、ブレダは一日中おろおろしてばかりで、手伝いをしようにも空回りをしてばかりだ。
ブレダも新しい環境でそんなに気合いを入れなければいいのに、私の専属メイドとしてそつなく仕事をこなしていた期間が長かったので、それなりのプライドがあるのだろう。
そんな中、またも些細な事件が起きてしまったようだ。
「えっ! このシーツ、さっき乾かしたものなんですか!?」
お昼過ぎにリビングでくつろいでいると、テラスの方からブレダの悲痛な声が聞こえてくる。
私は近くにいたアラドと顔を見合わせ、さっそく聞き耳を立ててみた。
ふたりの会話によると、どうやらブレダが洗濯後に乾かし終えたシーツを洗濯待ちのものと勘違いして、もう一度洗ってしまったらしい。
はたから聞くと些細なミスのようだが、どうやらブレダにとってはそうもいかないらしい。
「もも、申し訳ありませんっ! 手伝うどころかお仕事を増やしてしまうなんて……本当に、申し訳ありません!」
対するシュミットは、いつもどおり言葉に出さず屈託のない笑みを浮かべている。怒ってもいなければ気にしてもいないといった雰囲気だが、なにも言われないのがブレダにとっては逆にしんどいのかもしれない。
あげくの果てに、ブレダは鼻をすすってはらはらと涙を流し始めてしまった。
普段は笑みを崩さないシュミットもさすがに狼狽したらしく、焦りの表情でおろおろとしている。
そうこうしているうちに、ブレダは逃げるようにリビングを抜けて廊下の奥まで駆けていってしまった。
一連の流れを見ていた私とアラドは、たまらず近寄って作戦会議を始める。
(ブレダは環境が変わって少しナーバスになってるみたいね。シュミットさんが悪いわけじゃないと思うけど)
(うーん、シュミットも誰かと協力して仕事をするのは初めてだから困惑してるのかもなぁ。とはいえ、世話される側の僕らがアドバイスなんてできないし……)
(時間が解決してくれると思ってたけど、ちょっと心配ね)
すると、シュミットは仕事を中断してブレダを追いかけるようなそぶりを見せる。
恐らく、ブレダが向かった先は使用人の私室だろう。
(ねえねえ、私たちも追いかけてみましょうよ)
(えっ、まさか盗み聞きするの?)
(見守りよ見守り。私たちに見えないところで話がこじれたら困るじゃない)
(本人から直接聞けばいいと思うけどなぁ……)
(いいから行きましょ。ほらほらアナタがご主人でしょ)
と、私はアラドの手を引き、忍び足で廊下の奥へと進んでいく。
そのまま曲がり角まで進むと、ちょうど身を隠しながらシュミットの姿を確認できる位置につけた。
どうやらブレダは私室で籠城しているらしく、シュミットは扉の前で立ち尽くしている。
正直に告白すると、こういう時に寡黙なシュミットがどんなことをしゃべるのか私は大いに興味があった。
「ブレダさん。さっきのことは気にしないでください」
シュミットの呼びかけに対し、扉の奥にいるブレダは反応を示さない。
普段のシュミットなら、自分の意思を一回述べただけで会話を終えてしまうが、今日はどうにか言葉を続けようとしていた。
「すいません。自分が、話すのが苦手なせいで……」
すると、閉ざされていた扉が静かに開き、目元を赤く腫らしたブレダが顔を覗かせる。
「シュミットさんのせいじゃありません。私が、空回りしているだけなんです……」
そんな言葉を最後に、ふたりはいつものように押し黙ってしまう。
(なんだか、初めて会った時の私たちみたい)
(言われてみればそうかも。僕らって、どうやって仲良くなったんだっけ?)
(フフ、あのふたりを見ていれば思い出すんじゃない?)
と、楽しげにコソコソ話をしていると、シュミットが沈黙を破る。
「あの、これからお時間がある時に、話す練習をさせてくれませんか?」
「話す、練習?」
「はい。自分はもっと、ブレダさんと話す必要があると思います」
それはそうかもしれないが、シュミットはそれで大丈夫なのだろうか。
ブレダもその点が気になるようだ。
「シュミットさんは、人と話すのがおつらくはありませんか? もしそうなら、嫌々練習なんて……」
「言葉を考えるのが苦手なだけです。人の話を聞くのは好きです。ブレダさんもソミュア様も、とても楽しそうにお話されます。聞いているだけで、自分も楽しいです」
「聞いてるだけで……?」
「はい。自分も、気の利いたことがしゃべれるよう努力します」
(僕、シュミットがあんなにたくさんしゃべってるところ見るの初めてかも)
(彼も頑張ってるのね)
などと余計なことを話していると、ブレダはクスリと声を漏らして弱々しい笑みを見せる。
「きっと、そんな努力は必要ないと思います……私は自分でもびっくりするくらいおしゃべりが好きですけど、例えばおしゃべりって、一方が何も言わずに相づちを打っているだけでも成立するんですよ」
その言葉に、シュミットはどこかはっとさせられた様子だ。
「ほら。今私たちは、ちゃんとおしゃべりできていますよ。おしゃべりに必要なのは、共感することなんです。発した言葉の量じゃない……お互いに楽しいと思える時間を共有することが大事だと思うんです」
ブレダの言葉をはたから聞いていた私とアラドは顔を見合わせてはにかむ。
なんとなく、私たちにも思い当たることがあったのだろう。
「だからシュミットさんの代わりに、私がいっぱい、いっぱいしゃべります。お仕事のことも、もっといっぱい聞きます。シュミットさんは、自分がしゃべりたい時にしゃべればいいと思います。それでも話す練習がしたいなら、私がお話を聞きます。でも、それでもきっと、私の方がいっぱいしゃべると思います。こんな私でよければ、もっとお話しさせてください」
そう告げてブレダがおずおずと部屋から出ると、シュミットは執事らしく足を揃えて深くお辞儀をしてみせた。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「いえいえいえ! よろしくお願いするのは私の方です! 本当に不束者ですが、今後ともよろしくお願いします!」
(あらあら、かわいいおふたりさん)
(一応、僕たちより年上なんだけどね)
などとコソコソ話を続けていると、不意に視線を感じた。
「あのー、そこのおふたり様。少しお話声が大きいようでございますよ?」
凄みのあるブレダの声は、明らかに私たちに向けられている。あの口ぶりからして、だいぶ前から私たちの存在に気づいていたようだ。
観念した私は廊下の陰から姿を現し、ごまかすかのようにアラドへと話を振った。
「ねえアラド、なんだかお茶が飲みたくない?」
「えっ、いや、今は別に……」
「あのねぇ、アナタって人は……いいからお茶にしましょ。たまにはブレダの淹れたハーブティーが飲みたいわ。どう、ふたりで準備できそう?」
私がそう告げると、ブレダとシュミットは嬉しそうに笑い合い、肩を並べて調理場へと向かっていった。




