11.私の役目
これなら勝ち切れる。
そう思って顔をほころばせた瞬間、私はある異変に気づいた。
距離を詰めたインファイトで、アラドは間違いなく優位に立っている。
だというのに、一向に勝負が決まらない。それどころか、時間が経つにつれてアラドの動きが鈍っているように見えた。
「なんだなんだ。疲れちまったか」
「もうちょっとだぞ! がんばれ最弱!」
「いや、決め手を欠いたんじゃないか!?」
観衆の言葉どおり、一見すると疲労によってアラドの手が緩んだように見える。
だが、よくよく観察してみると、それは間違いであることがわかった。
ある一連の回避と攻撃で、アラドはまったく衰えのないキレのある動きを見せている。だが、ふとした拍子に動きが鈍るのだ。
それも体のどこかを痛めているといった感じではなく、見えないなにかにつんのめっているような状態に近い。
原因に思い当たる節があった私は、決闘場から視線を外して観客席を見回す。
そして、ちょうど対角の位置に座るメルセデスを見つけてしばらく観察すると、私の思い当たりはほぼ確信に至った。
一見するとメルセデスは真剣な表情で決闘の行方を見守っているようだが、その動きは試合の状況とリンクしていない。応援すべきハインではなく、どう見てもアラドの動きに合わせて肩に力を入れているのだ。
間違いない。メルセデスは、魔術を使ってアラドを妨害している。
ああ見えてメルセデスは、魔術の器用さだけは一流だ。アラドの肉体に作用するものなのか、風か地面を利用しているのか、方法はわからないが、周囲にバレず勝負の展開に違和感のないレベルで魔術を行使するといった芸当ができても不思議ではない。
そうこうしているうちに、勝負は再びハインの優勢へと傾いていく。
アラドは外部からの妨害によって致命的な隙を晒してしまわないよう、積極的に足を動かすことができなくなったのだ。
それをいいことに、ハインは得意の腕力でアラドを押しやっていく。
「おうおう、さっきまでの威勢はどうしたァ!」
「っ……ぐあッ!」
その瞬間、斬撃の隙間を縫って放たれたハインの蹴りがクリーンヒットし、吹き飛ばされたアラドの体は激しく地面を転がる。
それでも剣は手放さず立ち上がりはしたが、少なからずダメージは入っているようだ。
私は口から出かかった悲鳴を必死に抑え込み、すぐさま立会人のベリエフに向けて決闘の中断を叫ぼうとする。
だが、寸前のところで思いとどまった。
この決闘の審判をしているのは、あくまで立会人のベリエフだ。
その、ベリエフはメルセデスを見ていないので不正には気づいていない。
そして仮に、私がここで声を上げたところで、不正の証拠は示せない。不正を主張したところで水掛け論になるどころか、言いがかりをつけたと不利な立場に追いやられる可能性もある。
ならばどうすれば、どうすればいい。
焦る私は、アラドとメルセデス双方を注視しながら打開策を考える。
すると、ふとした拍子に起きた偶然によってヒントが得られた。
蹴り飛ばされてから体勢を立て直したアラドは、再びハインと距離を詰めてインファイトを再開する。
その時、ごく短時間だがアラドの動きにキレが戻る場面があった。
何が起きたのかとメルセデスに目を向けてみると、興奮した観客が立ち上がり、一時的にメルセデスの視界を遮っていたのだ。
その様子を目の当たりにすれば、ごく単純な解決策が思いつく。
私が今すぐメルセデスのもとに行き、魔術の行使を中断させればいいのだ。そうすれば、アラドは全力を出して戦うことができる。
いや、もっといいアイディアがある。相手の不正をいつでも阻止できるようになったこの状況で、アラドにチャンスを与えるいい方法だ。
しかし、当のアラドが妨害を恐れて萎縮したままでは成立しない。決定的な瞬間だけは、絶対に妨害をさせないという私の意思を伝えねばならない。
方針を固めた私は観客席をかきわけメルセデスのもとに向かいながら、アラドに声をかけるタイミングを伺う。
すると、状況の不利を悟ってアラドが距離をとる場面が生じた。
「さあて、そろそろフィナーレか? 言っとくが、降参するなら生半可な詫びじゃ済まさねぇぜ。テメェの女を抱かせてもらうくらいのサービスはしてもらわねぇとなァ」
「黙れ。勝負はまだついてない」
「はっ、もうわかってんだろ? このまま続けても俺に勝てないってよ。なら、さっさと降参しちまえよ。命が惜しいだろ? 足や腕を斬り飛ばされるのが怖くないか? だったらプライドも女も捨てちまえ。そうすりゃ楽に――」
「黙れッ! 僕は、この命に代えてもソミュアの名誉を守ると決めたんだ」
「バカっ!!!」
アラドの言葉を聞いて、私は思わず観客席からそう叫んでいた。
「アナタはっ、勝つって、生きて帰るって誓ったでしょ! 命に代えるなんて言わないで! そんな覚悟を決めないで! バカバカバカっ! アラドの嘘つき!」
そして、唐突な私の叫びに合わせ、観衆は今日一番の盛り上がりを見せる。
「そうだそうだ。最弱もまだ負けてないぞ!」
「あと一息だ! がんばれ!」
周囲から見れば、不利を悟った私がたまらず声援を送ったように映るだろう。
もちろんそういう意図もあるが、もっと別の意図があるという思いを込め、私はアラドに向けて自信満々の笑みを浮かべながらウィンクして見せる。
アラドなら、絶対にわかる。私は絶望的な状況でアラドを励まそうとウィンクを送るような女じゃないって。そんな時は、ぼろぼろと涙を流してしまう女だって、アラドはわかっている。
だって、アラドは私の婚約者なのだから。
すると、返事のつもりなのか、アラドも笑みを浮かべてウィンクを返してくれた。
そんなキザなこと、普段のアナタなら絶対にしないでしょ、と笑みがこぼれてしまう。だが、これでいい。これで条件は整った。
あとはメルセデスの近くに行き、その時を待つだけだ。
走れ私の足。今日だけでいい。もっと早く、スカートが裂けたっていい。もっと早く――
「バカとはあの女もわかってるじゃねぇか。テメェは本当にバカだ。いや、紳士なんてのはバカばっかりだ。自分の女を侮辱されたくらいで命を張るなんざぁ、バカのやることだろ? なあ?」
「……そうだな。確かに、バカのやることかもね。でも、紳士はみんなバカとわかってて、命を張ってるんだよ。兄さんはきっと、本気で誰かを好きになったことがないんだね。誰かのために命を張って紳士たろうと思ったことがないんだ」
「……意味はわからねぇが、テメェの話を聞いてると虫唾が走る。いい加減、終いにしようや。次で最後だ」
「ああ、かかってきなよ」
大歓声に後押しされ、アラドとハインは一挙に距離を詰める。
もはや小細工は不要と言わんばかりに、直線的な衝突が起きようとしている。
その瞬間に、私は間に合った。
今私の目の前にいるメルセデスは、決定的な瞬間に最後の妨害魔術を行使するため、集中力を高めて準備をしている。
私は、そんな彼女の背後から手が届く場所までたどり着いた。
そしていよいよ、アラドとハインが衝突する。
ハインは、凄まじい大振りで剣を振り下ろそうとする。それはまるで、避けられない確信があるかのような攻撃だ。
対するアラドは、その一撃を回避してふところに斬り込もうとする。つい先ほどまで控えていた、より踏み込んだ立ち回りだ。
そうして遂に、決定的瞬間が訪れる。
メルセデスの一挙手一投足を観察し、私はタイミングを計って彼女の肩を叩いた。
「メルセデスお姉様」
驚いたメルセデスは大きく肩を震わせて振り返る。
当然ながら、そんな状況でタイミングよく魔術を行使することはできない。
「なっ!」
同時に、決闘場からも驚くようなハインの叫びが聞こえた。
その叫びには、「なぜこのタイミングでアラドを妨害できていないんだ」という驚きが含まれていただろう。今まであれだけ的確なサポートを受けていれば、誰だってこのタイミングでサポートがくると思い込むはずだ。
でも残念でした。その芽は、私が摘んでしまった。
タイミングよくメルセデスに声をかけるという、たったそれだけの行為で、状況をひっくり返してしまったのだ。
その結果、何が起きたのか。
アラドは、この日一番のキレがあるステップでハインの上段斬りを華麗に回避し、低い姿勢でふところへと入り込む。
ハインの振り下ろした剣が地面に刺さった衝撃と、アラドの足さばきによって大きく土煙が舞う。
そんな舞台で、アラドは舞うように美しく剣を凪ぐ。
すると、勢いよく吹き飛ばされた土煙と共に、ハインの脇腹が血しぶきをあげて切り裂かれていた。




