結婚しましたが、波乱は尽きないようです(前編)
二人が婚礼と立太子礼をあげてから三年後のある朝、先に食事を終えたグイードからシャルロッテは質問を受けた。
「ロッテ、今日の昼過ぎに時間はありますか?」
その質問に一瞬なんだろうと首をかしげたが、頭の中の手帳をパラパラと素早くめくった彼女は大丈夫だと判断した。
「ええ、ありますわ」
「じゃあ、昼過ぎにちょっと僕に付き合ってくれないかな?」
結婚してからあまり外に出さなくなったグイードとしては珍しいことだったが、外に出るのが嫌いになったわけじゃない。シャルロッテは笑顔で喜んでと頷いた。彼女の表情を見たグイードは子供のように無邪気に良かったと笑う。じゃあ、またあとでねと言って、政務に出かけていった。
なにも外に出かける必要がないからと言って、仕事がないわけではない。皇太子妃として様々な役人との調整や国内外の皇族、王族、貴族との話し合いや訪問ための手続き、そして手続きのための手紙のやり取りなどを行わなければならない。さらにシャルロッテは元はこの帝国の貴族ではない。大まかな礼儀作法は同じだが、細かい仕草は違ったりもする。だから礼儀作法をはじめ、多くの分野の勉強もしなければならない。
しかし、今日は勉強会がないので、午前中には個人宛の手紙の処理をする予定だったのだが、自室に戻るとすでに侍女たちが気を利かせてくれただろう。届いた手紙が入った箱と返信用封筒、便箋、羽ペン、封蝋がそろっていた。
最初に手に取った手紙は帝国貴族で、彼女をお茶会に誘おうとしてくれたようだった。しかし、その貴族は彼女と会った最初にいきなり“グイード様は私のもの”と宣言した娘の両親であるのを知っている彼女は柔らかく断った。もちろん同世代の仲間は欲しいけれど、いきなり敵対してきた人物にかける情はない。
二番目と三番目の手紙はどちらも隣国の王族で、季節の変わり目のあいさつと先日シャルロッテとグイードが贈った特産品に対するお礼の言葉が書かれていた。それにまた、彼女もわざわざ手紙を送ってくれてありがとう、また節目に伺いたいという旨を書いた。
そうやって次々と手紙を書いていた彼女だったが、最後から二番目の手紙の差出人を見て、眉をひそめた。
差出人の名前はルイ・エドモンズ。かつて彼女を断罪したルドウィックの従弟であり、現在のロンドルド国王。そもそもルドウィックがあんなことにならなければ、彼が王位を継ぐ予定ではなかったため、彼の母方の実家に幼少期はいた人物だ。そんな彼が誇張ではなく文字通り外国の王族や貴族をまたにかけていたシャルロッテ個人宛に送ってくるような接点は一切なかったはずだがと思って封を開け、文面を見るとなるほどと納得した。
どうやら王妃であるミリアが出産して、その祝賀会を開くから参加してほしいという旨だった。その続きにはグイード皇太子にも同じものを送ってあると説明されていた。
自分の一存での参加はできないし、したくもない。
そもそも彼女はすでに帝国に嫁いだ身だし、そもそもミリアの出産祝いに駆け付けるメリットがない。それでもグイードが行くのならば、自分に拒否権はない。一度聞いておこうと思ったとき、ちょうどシャルロッテを迎えに来る声が聞こえた。
シャルロッテは先ほどのルイからの手紙を考えながらご飯を食べたせいか、あまり味を感じなかった。そんな彼女の様子を見たグイードは大丈夫かと声を掛ける。
「どうしたんですか、浮かない顔をして」
「いえ……王国から手紙が来たんですけれど、どう尋ねればいいのかと思いまして」
彼女の説明にグイードは首をかしげる。ルイの手紙をすべて見せると、彼は思いっきり眉をしかめた。その彼の表情を見たシャルロッテはある可能性を尋ねる。
「グイード様のところにはなかったのですか?」
「ええ、来てませんね」
即答された彼女は言葉を失う。今度は従弟の対応がまずい。
帝国の主はシャルロッテではなく、グイード。
彼女は今は帝国の所属。彼女の行動はグイードにゆだねられる部分が多いのに、彼に筋を通さなくてどうする。
「まあもしかしたら今日はそのことで来たかもしれないから、とりあえず行きましょう」
しかし、グイードはゆっくりと首を振って一縷の望みを言う。誰が来たのだろうか。シャルロッテはよくわからなかったが、彼についていけば大丈夫だろうと信じることにした。
向かったのは大広間ではなく、こじんまりとした部屋だった。そこには見慣れた人物がすでに着席していた。
「先日は大儀でした、エマンズル公爵」
今日、この国に来ていたのはシャルロッテの父親、エマンズル公爵だった。
一年に一度の和平条約確認のときは会うが、こうして個人的な接見は初めてだった。しかし、どうやら夫とはなにかしらのやり取りをしていたのだろう。『先日は』という言葉がついている。
「とんでもない。こちらこそ、わざわざアンシュルヴァ公国までの護衛をつけてくださり感謝の極みです」
「それぐらいは当然ですよ。なにせ僕の妻の父親ですし、なによりどちらもあの男の被害に遭っていたわけですから」
アンシュルヴァ公国はもしルドウィックが即位していた場合、真っ先に攻め落とされていてもおかしくない国だ。それぐらい彼はかの国に対して偏見と差別を抱いていたといっても過言ではない。そんな国に謝罪に行ったのがエマンズル公爵であり、帝国のお墨付きを与え、仲裁役となったのだ。
「ところで今回の用件とは何でしょうか」
「ああ。今回のお礼にというわけではありませんが、うちの領地でとれた小麦を献上しようと思いましてね」
そう言って後ろを指す公爵。
そこには王宮で使えば優に二か月分の小麦が置かれていた。こんなものをもらってしまっていいのか。
同じことをグイードも考えていたようで、代表して彼が公爵に尋ねる。
「どういうことですか? もしこれを受け取ると義父上が王国に納めるべきものがなくなってしまうのではないですか?」
「大丈夫ですよ、グイード殿下。きちんと税金を納め、ちゃんと民には蓄えさせたうえでこうして持ってきているのです」
しかし、その心配を父親は笑い飛ばした。どうやらあの事件を覚えているようで、今回はちゃんと貴族たちにも説明してありますよと冗談交じりに言った。それを聞いて、グイードもシャルロッテも胸をなでおろした。
「娘の顔も見ましたし、私はこれで失礼いたします」
「待て」
用事は終わったとばかりに席を立った公爵だが、それをグイードは呼び止める。なんでしょうかという公爵の顔には、純粋に驚きしかなかった。
「ただそれだけのためにあなたは来たのですか?」
「ええ、そうですが」
たったそれだけ。
ということは、なにもあの手紙の説明がないのではないか。そう思ったグイードとシャルロッテは思わず顔を見合わせてしまった。
「では、そちらの陛下が妃の出産祝いと称した祝賀会の話はどうなんですか? どうやら私のところには届かずに妻のところにしか来てないようなのですが」
久しぶりに聞くグイードの低い声。その声を出すのはよっぽど怒っているとき。彼の怒りに気づいた公爵の顔は真っ青になっていた。
「申し訳ございません。教育が行き届いてないですね」
あのバカ王め。
父親からそんな心の声が聞こえてきたが、あくまでも表面上は自分に非があるようにふるまう。
グイードもシャルロッテも父親がルイ国王の教育に携わってないのは知っているので、あえてその言葉を聞き流した。
「まったくです。しかもどうやら、その文面には私のところにも出していると書かれていたようですが」
手紙を見せながら付け加えるとさらに真っ青、もはや白くなりつつある自分の父親。前のときは自ら巻き込まれたわけだが、今回は完全にとばっちりだ。なんだか申し訳ないことをしたが、仕方ないよねとシャルロッテが思っていると、グイードがとどめを刺した。
「……ハァ。どうやらあなたのあずかり知らぬところでこの話は起こっていたようですね。こちらこそ疑って申し訳ないです。ですが、そうならばこちらは欠席の旨を伝えるまで。ああ、もちろん妻から連絡を出させていただきますので、公爵は気にされなくて構いませんよ」
王国を見限るともとれる発言に公爵はため息をつきながら頷き、頭を下げる。
「重ね重ね申し訳ございません。折を見て私からもやんわりと言っておく」
もっとも聞くか聞かないかは別ですが。
そうしょんぼりと呟いた公爵にグイードもシャルロッテも苦笑いするしかなかった。部屋を出ていく公爵の背中はすごく小さなものだった。