第1話~75年目の夏~
2020年8月、広島平和記念資料館近く、原爆ドームが見えるところで、とある老人がドームを見つめていた。名前は七尾久、既に95歳を過ぎていた。しかし、足腰はよく、70近くのご老人と変わりは無かった。ふと思った事がある。
75回目の夏か・・・
すると、自転車に走らせていた、高校生の青部浩太は、七尾の前で自転車を止めた。一体こんなところで、なんで原爆ドームを見つめてるんだろう、そう思い
浩太「おじいちゃん、どうしたの?」
七尾は浩太の方を向き
七尾「ん?、あの時を思い出してたんだ」
七尾はまた原爆ドームを見つめる。浩太はすぐにわかった。被爆者だと、そう思い、本当はしてはいけない質問だと分かっていながら、つい
浩太「失礼ですが、もしかして被爆されたんですか?」
浩太は怒られる。そう思ったが、七尾は怒るどころか笑顔で
七尾「私は被爆しておらんよ」
浩太「え?」
七尾「私ではなく、私の愛する人だよ」
浩太「彼女さんですか?」
七尾「ふふ、そうかもしれないな」
七尾が少し下を見つめる。浩太はふと思った。実は自分が通っている学校では、75年目の広島の日に被爆者の話として、被爆体験者の方を呼んでいたが、年が越すたびに被爆者が少なくなり、学校も困っていた。それを思いだし
浩太「ねぇおじいちゃん」
七尾が振り向き
七尾「なんじゃ」
浩太「その彼女さん、今ご健在ですか?」
七尾は首を横に振り
七尾「75年前の8月6日の日に死んだよ。私はその場にいないから、後で知ったが、最後に会ったのは、その前日だ」
その言葉の意味は、原爆投下の日に彼女さんは亡くなったということだ。しかし、浩太は考えた。被爆者が少ない今、このおじいさんの話は貴重だと、そう思い
浩太「もしよければ、その話、学校の行事で話してくれません」
七尾「お前さんの学校でか?」
浩太「うん、だって今の話僕も聞きたいし、こういう貴重な話は、誰もが聞きたいと思うからさ」
七尾は首を縦に振り
七尾「分かった。場所と時間教えてくれ」
浩太はほっとした表情を見せ
浩太「良かった。場所は広島県立青山高校、時間は明日の朝の9時です。先生には俺から言っときますので、すいません、おじいさんの名前を聞いてもいいですか」
七尾「分かった。必ず行こう。私は七尾久だ」
浩太「分かった。僕は青部浩太です。それじゃあね」
浩太は自転車を走らせて行った。七尾は再び原爆ドームを見つめ
七尾「波子ちゃん、今度君の話をするね、いいよね」
蝉の音が大きく響いていた。
翌日、広島県立青山高校での職員室では、教頭や教師が今日の被爆者の話を聴く会について、会議をしていた。実は、今日話をされる方が、体調不良で辞退されてしまい、代役をどうするか、それが会議内容だった。
教頭「はぁ、一体どうすればいいのか」
国語科教師「では中止しかないでしょうか」
教頭「バカ言ううな、今日は75年の節目の年だからって、県のお偉いさんが来るんだよ。だから今さら、中止には出来ない」
社会科教師「ではどうすれば」
そのころ、浩太は校門前で七尾が来るのを、不安ながら待っていた。すると、奥からゆっくりと七尾が来るのが見え、ホッとし、しばらくして校門前に来ると
浩太「良かったです。来てくれて」
七尾「今日はよろしくな」
浩太が頷く。そして、二人は職員室に連れていく。
教師「中止しかないか」
数学科教師「しょうがないです。やむを得ないです」
とドアが開き、二人が入ってきた。教師らの目線は二人に集まる。
数学科教師「おい、今会議中だぞ」
浩太「すいません、今日の行事の話する方連れてきました」
教師らが全員立ち上がり、驚きの表情を浮かべる。
教頭「今中止だと決まったばっかりだぞ」
浩太「でも、まだ生徒の耳には入っていません。お願いします」
教師らは悩んでいた。今中止は決まったし、でも目の前にはせっかく来てくれたご老人がいるし・・・
と、隣の校長室にいた、校長が職員室に入ってきて
校長「青部くんだっけ?」
浩太「はい」
校長「その隣の方がその・・」
校長の顔が変わる。それは驚きの表情に。他の教師や浩太が何のことか分からなかったが、七尾は笑顔で
七尾「憲治君、校長をやっているとは聞いていたが、まさかこの学校とはな」
校長は涙を浮かべ
校長「久おじさん」
浩太「え?、おじさん?」
校長からそこから話を聞いた。実は七尾は自分が自立するまで、自分の事を育ててくれた、育ての父だった。それを聞き、周りにいた全員が驚きの表情を見せ、校長は泣き出す。
七尾「元気で何よりだ。幸せにしてたか?」
校長「はい」
校長はそう言い頷く、周りが少し和やかな雰囲気になる。そのまま、行事の時間になろうとしていた。校長は七尾の参加を認め、体育館に向かって行くとき
校長「おじさん、本当にあの話をするの?」
七尾「あぁ、当たり前だ。それがあいつの何よりの供養になる。だから、話すよ」
校長「おじさん」
七尾が笑顔になり、体育館のステージ袖に来て、まず校長から生徒に話があり、校長の合図で
浩太「それでは、お願いします」
七尾がステージにやってきた。椅子に座り、マイクを持ち
七尾「皆さん、こんにちは七尾久と申します。私ははっきり言って、被爆者ではありません。しかし、私の大切な人が原爆によって亡くしました。これからその話をしたいと思います」
七尾が振り返る、75年前の1945年(昭和20年)1月のとある雪の日だった。