第二話 悪役令嬢、熱を出すも無事宿に辿り着く
馬を飛ばし、それでもレリーナの体調を見ながらも急ぎ辿り着いた街。あれから半刻で門の前に到着することができた。まだ閉門より時間はある。戻る人も少ない時間帯で混んでいる様子もない。
これならすぐに中へと入れるだろう。
「レリーナお嬢様、降りられますか?」
「大丈夫よ」
ロルフが先に馬から降り、馬からの降り方がわからなくなったレリーナを抱き留めるようにして馬から降ろす。抱き着いたレリーナの体が熱い。
案の定、熱が出てきているようだ。急ぎ宿へ向かわなければ。
「どうしたのだ!」
門番がボロボロの姿の2人を見て、何かあったと察して声をかけてくれる。
「馬車の車輪が外れ、こちらへ赴く際の道中で大破してしまったのです…。馬や荷物は無事でしたが、この通り疲労困憊で…身分証もこの通りあります。通して頂けますか?彼女を早く休ませたい。宿はどちらでしょう?」
心身共に疲労困憊といった風に早く宿へ行きたいんだと訴える。本来なら身分を剥奪されているレリーナの身分証などない。だから街を通らず隣国へと渡るルートを本来なら通らねばならないのだが。ロルフはレリーナの国外追放を予想していたので偽ではなく、レリーナの今後の身分として活用する為、正式な身分証をしっかり用意していたのだ。
「難儀だったな。身分証も――確かに。宿はここから北へ進むとある。厩があるのは一番手前にある少し奥まった宿だ。いいぞ!通せ!」
もう一人の門番が簡易に馬へ積んでいた荷物を点検していたが、そのまま馬を誘導し、中へと進めてくれる。
服も破れ、髪も乱れたレリーナがフラフラとロルフに支えられ立っている。すでに熱を発しだしている様子のレリーナを見て、ロルフの言葉を信じ門番も速やかに動いてくれた。
「気をつけてな。しっかり休ませてやれ」
「ありがとうございます。レリーナもう少しだ」
「ええ…ありがとう」
ロルフが馬を受け取り、しっかり門番へとレリーナも礼を言うと、門を後にした。腰を持ち肩を貸し歩かせるが辛そうだ。
「レリーナ、背に乗れ」
馬を走らせる道中、敬語を街では遣わないこと。これから二人は商人として生きること。それと簡単に元々はレリーナは貴族であったが没落し、身分剥奪の上に国外追放され今は平民であること。国外追放の沙汰を言い渡されている為に隣国まで移動しなければならないこと等を説明していた。
従者との禁断の恋がバレて…?愛の逃避行ね。とすっかり従者兼恋人であると言ったことを信じてレリーナが納得したように呟いていたが、ロルフの耳には届かなかった。聞こえなかったフリをしたとも言う。
歩くのが辛かったレリーナは、言われるがまま背に体を預けた。恋人なのだ。甘えるのもいつものことなのだろう。と、記憶がない中でも抵抗感を全く抱かないどころか頼ることが自然のように感じるのだ。記憶がなくてもなんとなく、普段から全幅の信頼を寄せていたのだろうと感じるものがある。
従者にしては距離感が近い。従者兼恋人と言っていたことから敬語を使わない恋人として過ごしてきた日々があるから敬語ではない時も違和感なく自然なのだろう。恋人だと言う話をレリーナはますます信じた。
「気持ち悪くなったら言って。行くよ」
「ん…」
レリーナを背負い馬を引き、宿へ向かう。
門番が案内してくれた宿は、ロルフが何度も使った宿である。この時の為にしっかり顔馴染みになっていた。
カランカラン――
「いらっしゃい!おや、ロルフじゃないか!どうしたんだい?酷い有り様じゃないか…」
「女将さん、悪い。道中事故にあって彼女をすぐ休ませてやりたいんだ。馬は厩に繋がせてもらったよ。ギニーに荷物を頼んだから通してくれ。あと、いつもの部屋に水を運んでくれないか?彼女の体を清めて早く横にしてやりたいんだ」
厩へ先に馬を繋ぎ、顔見知りになっていた宿の小間使いをしてるギニーという少年に荷物を頼み、宿へとレリーナを背負ったまま中へ入ると顔見知りになった宿の女亭主に経緯を簡単に説明し、汚れた状態だがすぐに部屋へ入れて欲しいと頼む。
「随分と汚れて…酷い目にあったのかい?そのまま上がりな。後で食べ物も持って行ってあげるよ。可哀想に。その子、熱があるんじゃないかい?」
ロルフを信用している女亭主はそのまま上がることを許した。本来なら前払いであり、部屋へ水を運んだり食事を届けるサービスなんてない。だが、ロルフは定期的にこの宿を利用し色を付けて宿泊するいい客だった。
「ああ…怪我をしてね。ありがとう――医者も呼べたら頼む」
そのまま部屋へ続く階段を登っていった。
汚れるがベッドの上にレリーナを寝かせ、ぐったりし始めたレリーナが汗をかいていて顔についた髪を退けてやる。
「レリーナ…水をもらってくるからね。体を清めたらベッドで寝てしまえるからもう少し堪えるんだよ」
熱を帯びたとろんとした目でロルフを見つめるレリーナに、思わず唇を寄せ額に口付けを落とす。
「ん…待ってる」
あまりに自然で、当然のように受け入れている。記憶が、熱が引き目覚めた時に戻っていたら、この時を思い出してレリーナなら蹴りでも入れてきそうだと思わずにはいられなかった。
『記憶がなくなって不安でしたでしょ?恋人が傍についてると思うと安心するじゃないですか?全てはレリーナお嬢様の為ですよ〜』
なんて返事をして有耶無耶にする気でいるが、うっかり口付けを唇にしてしまえばさすがにそんな言い訳ではもう通用しないだろう。耐えられる気がしない。
早くレリーナを寝かせてやりたい。ロルフも体を休めたいところだが、急ぎ水を汲んでくれているだろう女亭主の元へ行き、途中馬の背に載せた荷物を一つ一つ解いて宿の中へと運ぶのを往復しているギニーの頭をなで小金をやり、着替えの服を荷物から取り出し女亭主から清潔なタオルと水を張った桶を受け取るとまた部屋へと登っていった。
「レリーナ、戻ったよ。身体を拭くから脱いで」
少し寝ていたのだろう。可哀想だが、汚れたまま寝ては体も休まらない。させるがまま抵抗なく服を脱がされ体を拭かれるレリーナはやはり元貴族だ。羞恥心はあれどそこまでの抵抗もない。やはり、危うい。
コンコン――
「失礼するよ。大丈夫かい?」
「ああ、今拭き終わって着替えさせたところだ」
女亭主が水にパン粥とパンを持って部屋へと入る。林檎とパンを煮詰めて食べやすくしてくれている。色を付けていつもの倍よりも多く金を渡した。
「もう少ししたらギニーが医者を連れてくるからね。そろそろしたら暗くなるから客が来る時間になってあたしはもう手伝ってやれないよ」
心配そうにする女亭主は、申し訳なさそうにする。
「充分だ、女将さん。本当に何から何までありがとう。パン粥まで…すまない」
「いいって。可愛い子だね。あんたの嫁さんだろ?食べさせてやって。あんたもだいぶ疲れて見えるよ。シーツをもう2枚持ってきてやるからあんたも休むんだよ」
「ああ、助かるよ」
これがこの宿の人間と顔見知りではなかったら。小間使いとはいえ荷物をそのまま盗られてしまうのを心配しなくてはならず、荷物からも目を離せずにいただろう。諦めなくてはならない荷物がもっと増えていることになる。
汚れた姿で直接部屋へ入るのを断られている可能性もある。それに弱って動けない若い女を一人部屋に残すなんてこともとてもじゃないができずに離れることができなかっただろう。大体が金を積めば入れてはくれてもボラれる。ここは良心的な宿である。女亭主がお人好しなのだ。
ガチャ――
「ロルフ兄ちゃん、持ってきたよ」
「ああ――助かる。ありがとな。ほら、やるよ」
ギニーが荷物を部屋にまで持ってきてくれた。礼を言い、お菓子をやる。駄賃はすでに渡してたが、ここまで運んでくれた礼にちょっとしたサプライズだ。
「お菓子だ!わぁ…ありがとう…!」
見たことない菓子に満面の笑みで後にした。レリーナが甘い菓子を食べたいと我儘を言うだろうと用意していたものだ。そんじょそこらの庶民の菓子とは違ってかなり高級菓子になる。喜んでもらえた。
一通りロルフも体を拭い着替えを済ます。床を汚してしまったので軽くシーツで簡単に床の汚れも端へと追いやる。シーツをダメにした気がする。
汚れたシーツを丸めて水の張った桶に入れる。ボロボロのレリーナの服はこれでも上質な生地だ。捨てずに縫って再利用だ。
女亭主がすぐに新しいシーツを持ってきてくれたので、桶をそのまま渡す。食べ終えた食器は明日起きたらでいいと言うことだったのでお言葉に甘え、ロルフも一休みすることにする。
「レリーナ…寝てるか」
体を拭って服も着替えさせたが、汗も引いてまだまだ熱が上がりそうな様子である。医者が来るまではもう少しかかるだろう。シーツを引き直し寝ているレリーナを動かし寝る体勢を整えてやる。
だいぶ今日だけで薬草も布も使ってしまった。医者から薬草もいくつか譲ってもらえないか交渉しようと考える。
すっかり暗くなってしまったが、医者の手配もしてもらえ宿のベッドで寝かせられ安堵した。
コンコン――
「ロルフ?医者が来たよ?起きてるかい?」
「ん――ああ、入ってくれ」
少しロルフもウトウトしていたようだ。
「レリーナ、お医者様が来て下さったよ」
軽く揺すりレリーナをロルフが起こす。起き上がりやすいよう上半身を支えるのに、ロルフがベッドへ座りもたれかからせ座らせる。
白髪混じりだが、まだそこまで歳のいっていない若い男の医者がレリーナの頭と肩の打撲の治療と解熱剤を処方していった。
「肩は酷く打ち付けているようだからしばらくかかるだろうね。一ヶ月もすれば綺麗に治るよ。他に目立った外傷もないから、ここには五日程安静にしていたら移動も問題ないだろう」
「ありがとうございます。頭を強く打ち付けたせいか、彼女は今自分が誰かもわからない状態で…」
ホッとするも、記憶がなくなる程の衝撃を頭に受けていることを心配し、ロルフが医者へ問いかける。
「記憶が…そうかい。こればっかりはいつ治るかわからないね」
頭にもコブができてはいるが吐き気もなく出血も見られない。顔色も熱で赤いがおかしな色でもないので問題ないと言う。ただし、記憶に関してはわからないと。
「そうですか…ありがとうございました」
記憶が失われて治った例があるかなど尋ねてはみるが、医者は首を横に振るだけだった。もしかしたら明日にも戻るかもしれないし、一生このままということもあると言う。
「先生…治療して頂きありがとうございます」
ゆっくりベッドへと戻され、軽くパン粥を食べて薬を飲み終えたレリーナがベッドで横になったまま、医者へお礼を告げる。
パタン――
「ふぅ…怒号の一日だった」
薬が効いたのか、医者が後にしすぐにスゥスゥと寝息をたて始めたレリーナを見ながら、ロルフはやっと一息吐いた。
国外追放が決まり、公爵家に帰るとその日にはもう出発準備をし、翌朝すぐの出発だ。そして、その日に馬車が大破し本来なら崖から二人の遺体が発見され報告されていたことだろう。
なんとも仕事の早いことだ。
予定通りであれば、昼時にはこの街に来て、訳ありの令嬢と従者として今後必要な物を買い足して、この宿で一泊したらすぐに馬車で次の街へと移動を繰り返し、隣国まで数日で辿り着く予定であった。
馬車も失い、予定以上に金を使い、少なくない量の荷物を失った。
しかも、レリーナは記憶喪失。五日は医者の指示通り安静にさせたい為この街から移動もできない。
「計画変更だなぁ…」
元々計画が予定通りいかずとも、なんとかする為の下準備はしてきたロルフだ。明日の行動を決めるのだった。
それよりも、今はすやすやと寝ているレリーナと同じベッドで眠るのか、遠慮し砂利だらけにした床で女亭主が用意してくれたシーツで雑魚寝するのか逡巡するロルフであった。