場面緘黙症の自分の話。
これは自分の経験談の話となります。
俺は親からの圧力や小学校一年生の頃から始まったイジメがトラウマとなり。この病気となりました。
まだ私がこの病気と診断される前、親からは
「なんで喋らないんだ」
「喋らないならば出て行きなさい」
と言われてました。
小学校一年生の頃は多分まだ、喋れてました、が。
問題は小学校一年生の後半でした。
学校ではいじめられ 親からは暴言を吐かれて。
あんたが喋らないならば出て行きなさい!と言われてました。
もしかしたら地雷を踏むかもしれないという恐怖と理解されないんだ。
そんな事思い 喋れませんでした
どんどん。年齢を重ねるごとにいじめの内容が増えていき。
命に関わる危険性のある行動だって 取られかけました。
その時の救いが先生による
「話してくれたら。注意するからね」
と言う言葉でした
が。その後
階段から突き落とされ。首を絞められ。ボールペンで刺されて。
ただ。そのことを教師に知らせたこともありました。が、その対応は
「被害妄想なんじゃないの?お前にも悪い点はある。そうでもなきゃ。いじめは起きない」
そう言われました。その瞬間。私が何も言っても無駄。
言ったところで何も変わらない。
それを知った瞬間に。どうせ無駄ならば喋らないで耐えきった方が良いんじゃないか?
学校に行かなければ 暴言を吐かれて 叩かれてしまうんだから。
そう思って。嫌になりました。
六年間の記憶で覚えていることはSが勝手な噂を立てて。まるで○春みたいな真似をしたことです
スキャンダル「嘘」を作って 俺がいじめられる原因を作ってたことです。
元々は友達と思って 相談をしていたら。こんな結果になって。
喋るのは辛い 喋ったら裏切られると思い
周りへの不信感が湧きました
卒業式。地獄の六年間から。放たれると思った。そのときに先生から言われた 一言は「お前 喋らなかったな。なにを学んだのか。よくわからない。」
と言われました、
何も信じられない 信じたら裏切られる。
無駄。 まるで某ジ○ジ○の無駄無駄無駄無駄無駄無駄のような考え方になりました。
中学もSが噂をたてて。同じ始末。
多分 1番の原因はこの中学生活でしょう。
喋らないようにしてたら。後ろから蹴られて。
それを見た 先生は
「遊んでだな。よくハブらなかったな。」
そう言いました。
遊び?これが?
蹴られて。頭打って。血が出てるのが遊び?
意味がわからないよ。
そして。唐突に言い出す。お前のためと言う親
それこそ親の暴論だ。
将来のことを考えろ。お前のことを思って言ってるんだ。
俺がその言葉にどれだけ裏切られたと思ってんだよ今更信じろだ。ふざけんなよ。そう思いました
喋らないのは気持ち悪い。お前 精神科行って来いよ
そう言われたのは中学三年生の春でした。
そのときに言われたのが
場面緘黙症でした。
話を聞いていくと。どんどん私の今の状況に似てると思いました。
そして。親に報告して。言われた言葉は。
障害持ちなのね。そんな子に育てを思いはないわといわれました。
原因のお前らが何言ってんだ。ふざけんじゃねー。
お前のせいだろうか 気づけよ、
そこから何年かたった今は親は理解はありませんが
その他の人の理解はあります
今はそのお陰でやりやすいように生きてます。