第1章 常徳サッカークラブ
【第一章 常徳サッカークラブ】
屋根より高い鯉幟に心が踊らなくなったのはいつからだろうか。青空遥か、常徳幼稚園の大きな鯉幟がユラユラ気持ち良さそうに泳いでいた。園児達は行事の時に空高く掲げられた魚たちに歓声をあげたことだろう。頭の中では、きっと例の歌が流れっ放し。歌詞も一字一句間違えずに覚えているんだろうな。澄んだ青空にも綿飴のような雲にも興味を示さず、陽の眩しさに抗いながら思う存分、鯉幟を見上げたのだろう。もしかしたら工作の時間に自分だけのこいのぼりを作って、今は自宅に飾ってあるかもしれない。そんな鯉幟に負けず劣らず、野口コーチの頭の中がユラユラ揺れていたなんて知らなかった。
その日のミーティングも3年生が勝った。勝ち負けが目的ではないのだけれど、やはり気分は悪い。さっさと帰ろうとすると集合がかかった。場所を体育館に移して、俺達4年だけが集められた。用事があるからと帰ったものも何人かいた。
野口コーチの喋り方から、お楽しみ会でないことは察しがついていた。多分、お説教。そりゃ誰だって帰りたくなる。内容はミニゲームの勝敗だよな。それ以外に思い当たる節がない。負けたのは今日が初めてというわけではないのだが、皆が一同に、場所まで変えて集められたのは初めてだった。靴を脱いで体育館へ入る。嫌になるよな、まったく。
さすがにペチャクチャお喋りする勇気はなかった。4年にもなるとそれ位の空気は読めるのだ。きちんと体育座りをして野口コーチを待った。
「練習後にすまない。時間は過ぎているので手短に済ませるから。」
ホントに頼むぜ。ここに座っている全員の心の声だ。
「3年に負けて悔しくないか。」
予想的中の質問だった。ぴったりと当たりすぎて驚いてしまうほどに。もっと回りくどく遠回りをして探り探り切り出してくるかと思っていたが、タイムリミットに一番焦っていたのは野口コーチだったのかもしれない。当然、俺達からの返答は無し。野口コーチもすぐには言葉を繋げず、気味の悪い沈黙が訪れた。こういう雰囲気は実に困る。しっかりと責任取れよ、と。3年生に勝ちたいです、なんて言いながら泣きつくとでも思っているのだろうか。根本的に悪いことをしたという認識がないのだから、俺達の側から動くことはない。ずっとこの思い空気が続くだけだ。別にいくら遅くなろうと、俺達が事務員に怒られることはない。ただ体育館の床を見ながら待っていた。案の定、耐え切れなかったのは野口コーチ。暇だからずっとカウントしていた。俺の脳内時計では28秒。しんとする体育館で守りから責めに転じる野口コーチ。残酷にも個人に質問を投げかけてきた。最初の標的はお調子者の太田 勝也。
「どう思う、太田?」
答えにくい質問だ。どう思ったら正解なのか教えて欲しい。
「ふぇっ!?」
声の高い太田 勝也が、頭のてっぺんから抜ける様な声を出した。運がなかった。渋々、質問に答えざるを得ない。
「う~ん、急に振られても・・・悔しくないわけじゃないけど、別に試合じゃないし。3年はウマイと思うから、あんまり気にしとらんです。」
任務を終えた先頭打者がふぅと息を吐いた。一方で名指しを受けると知った俺達は頑なに視線を上げなかった。腰を下ろしたことで接近した床の木目ばかり気にしながら、自分以外の名前が呼ばれることを願った。
「本田はどうだ?」
指名の声と同時に、本田 成也はゆっくりと睨むように野口コーチと視線を合わせた。よくもまぁ、成也の名を呼んだものだと思ったのは俺だけではないはずだ。太田 勝也とは対照的に落ち着き大人びている本田 成也は、野口コーチの問いを一言で一蹴した。
「単なるミニゲームなので勝ち負けにこだわっていません。」
やや早口で答えた後の沈黙は一段と重かった。
「そうか、分かった。次、城所の意見を聞かせて欲しい。」
チーム唯一の女子、城所 千夏。これは返答に困ったときに見せる癖なのだが、はにかんだ苦笑いで首を傾げるだけだった。
ミーティングは何の実りも答えも出ないまま解散となった。刻まれたものは訳の分からないモヤモヤとイライラだけ。野口コーチの言わんとしたことも今のひねくれた俺には理解しよう、汲み取ろうという意思がなかった。
翌週3人、翌々週には2人。合わせて5人、常徳SCを辞めた。ただ楽しく、勝ち負けにこだわらずボールを蹴っていたいという人間にとって確実におもしろくない話だった。つまらないを通り越していた。どうすればいいのか、何をすればよかったのか、ミーティングでは俺達を導く答えは示されなかった。勝て、後輩に負けるんじゃない、ということでいいのか。全然分かっていない。理解を願うことはしないが、そっとしておいて欲しい。
残った俺達は何事もなかったようにボールを蹴っている。それ以外に選択肢がないではないか。親に心配をかけたくない。そもそもこんなこと話せるか。辞めてしまった友達のことも話題になったが、一過性のもの。忘れることはないが、直に記憶の奥か片隅に追いやられるだろう。野口コーチは、情けねぇなと言いたかったのだろう。負けるなと、悔しがれと、勝ってみろと。
【第一章 常徳サッカークラブ 終】




