第七章 戦士の武器(ちから)
【第7章 戦士の武器】
『気は優しくて力持ち』という言葉が嫌いだと言っていた。少し体が大きくて肩幅があって、それだけで力があると先入観を持たれる。心も強いと。ここまでは良しとしよう。実際に横山 順矢は腕力、脚力が人よりあるはずだ。けれどもどういうわけか、優しいという点を否定する。先生や友達のお母さんから「順矢君は優しいわね」なんて褒められると、嘘をついているみたいで嫌だという。気が弱いだけだから、と。気落ちするとデカイ図体してと思われるし、ウドの大木という言葉の意味も最近知った。体が大きくたって弱気になることはあるし、自分より体の小さな友達の方が元気で頼り甲斐があるということもあるだろう。もっとしっかりしなきゃとは思っているのだけれでも、怖いという。何が怖いのか、どうして恐ろしいのかは説明できない。それが分かっていたらとっくに心の準備をしている。はっきりと自覚しているのは優しいのではなく、単に心が脆弱だということ、だそうだ。
そんなことないんだけどな。それに俺は『気は弱いけど力持ち』でも立派だと思うし、なんか、こっちの方が親近感が湧くんだけどな。
一番好きな練習はと聞かれれば、迷わずシュート練習と答えます。シュート練習は楽しい。最初は枠の中に収まろうが外れようが関係なく(怒られちゃううな)、速い球が飛んでいくのが気持ち良かった。僕だけのシュート。足の甲の真ん中に当たるとボールがシューっと音を立てて飛んでいく。みんなが声をかけてくれる。手を叩いてくれる。野口コーチがうんっ、うんっと頷いてくれる。チームメイトに凄いな、と言われて嬉しくないわけがない。楽しいに決まっている。自慢したくなって、みんなに見て欲しくて―ただある時からシュートが枠を外れると「ヘイ、ヘイ!」という声が聞こえるようになった。本当に恥ずかしい位に当たり前のことなんだけれど、ナイスじゃないということをようやく自覚したというかなんというか。
アドバイスは野口コーチから貰いました。ひとつだけ約束をして。それは縮こまらないこと、ということだと思います。ボールを置きにいかないようにという表現をしていたけれど、いまいち分かりませんでした。要は外すことに怯えるな、足を振り抜きなさいということでしょう。具体的には、背中を少し曲げて被せるようにするとふかさずにシュートできる。ちょっと蹴りにくいし、ちょっとボールにスピードが乗らないし、ちょっと違和感があったけれども、ちょっとずつ慣れていきました。
ポンッ―
太田 勝也からフリーの横山 順矢へボールが送られた。
「挨拶代わりにかましちゃれっ。」
「もう後半だよ!」
ハーフタイム中の遣り取りはおもしろかった。野口コーチからの指名にやや固くなっていた横山 順矢の心が太田 勝也によって解されたのかもしれない。戦士から放たれたミドルシュートが暁星ディフェンスの隙間を縫って一直線に飛んでいった。右足の振り子に連動して身体が軽く宙に浮く。さぞかし良い感触だったことだろう。足の甲に残る心地良い圧迫感と痺れ。手応えならぬ足応えは十分だったろう。
痛みと共に刻まれることがある。耳に障る音によって気付かされることがある。目に映る対象に心が畏縮することがある。沈着な判断力は、落ち着きが、闘争心が、自分の想いを無視して欠落してく。どれだけ自己暗示をかけても描く己が消滅していく。それが恐怖である。
横山 順矢、会心のシュートは暁星SCのゴールキーパーに弾かれた。ナイッシューとナイスキーの声が同時に乱れ飛ぶ。頷いて応える横山 順矢に、片手を挙げて応じる暁星キーパー。傍目には五分の戦いに見えていた。距離を置いた一対一の攻防に拍手も起こる。けれども実情は正反対の両者。まだまだいくぞという前者に対して、動揺を悟られぬよう誤魔化すことで精一杯の後者。不気味な音を伴いながら体感したことのないスピードで向かってくるサッカーボール。あんなもの顔面に当たったらどうなってしまうのだ。至近距離から撃たれたら止められるわけがない。パンチングした指が痛い。指が熱をもっている。グローブを外して冷やしたい。痛いのは嫌だ。
「左サイド!チェックチェック!シュート打たせるなよっ。」
「当たれっ、当たれって!もっと距離を縮めてっ。ボールもたせるな!」
「マーク外れてるぞ!もっと強くっ。目ぇ離すな!!」
暁星のゴールキーパーが突然元気になった。味方への指示が増え、声量が膨れ上がる。ただしそれは気合いの顕れではない。フィールド内外の人間に違和感しか与えない。集中力が高まっているのか、はたまたビビっているだけか、というのは外野からでも意外と判断できてしまう。恐怖からくる動揺と困惑。そこに立ち向かうのではなく頭の中には回避と離脱しか浮かばない。たった一球でおっかなくなってしまったのだ。そんなキーパーの異変に気付く者、気付かない者、気にしない者。その中で、野口コーチが隙を見逃していいはずはなかった。
「太田!横山にボールを集めるんだ!」
オッケイでーす。太田 勝也が大声で了解の意を示した。
「横山!遠目から狙っていいぞ。どんどん撃っていこう。今日のシュート、いつも以上に速いぞっ!」
さすがに指導者として、敵のキーパービビってるぞとは言えないか。けれども今の指示で見えてきた。この試合、勝てる。
自分の感じた調子の良さに確信を得た横山 順矢がトントンと爪先で地面を叩く。横山 順矢の癖だった。乗っている時に見せる、味方としてはとても心強い仕種。
今度は暁星SCのコーチがギロリと野口コーチを睨む番だった。
この試合初めて常徳が流れを掴んだ。ペースをものにし暁星SCを押し込んだ。暁星が明らかに混乱していた。自陣ペナルティエリアからかなり離れた位置にいる横山 順矢に対して、キーパーの指示通りにぴったりとマークしてしまうと暁星のフォーメーションが崩れてしまう。人数の差があるとはいえ、危険な位置でフリーの選手が生まれるリスク。かと言って簡単にシュートを撃たせてしまうと、今のキーパーに止められるかという不安があった。思わず避けてしまうということは考えにくいものの、不用意にボールを弾いて常徳に拾われてはマズイ。だから守るのだ、チームの守護神を。
暁星SCが守備を優先した為に、俺達がボールの支配率を一気に上げた。敵陣にいる時間が増えた。ボールに触れる時間が増えた。前を向く時間が増え、敵を追う時間が減った。この流れを得点に結びつけたい。先制点が欲しい。ここで取れなければ厳しいだろうな。そう思っていた時だった。太田 勝也が得意の逃げるドリブルで相手を引き付ける。そのボールキープは見事なのだが、やはり回りが見えていない。そこで助け舟を出したのは千夏。声が太田 勝也に届く。巧みにボールをキープした太田 勝也からマークを振り切った横山 順矢へパスが通った。戦士に訪れた大チャンスである。トラップ、ゴールの位置を確認、そして右足を振り上げた。 「おお~っ・・・」と観客がざわついた。体を張ったプレーに拍手も起こった。横山 順矢が蹴るよりも一瞬早く、暁星SCの選手がスライディングでボールをカットした。そいつは暁星のエース。4年間キャプテンとしてチームを支え、軸となり柱となり、中心を担い、引っ張り、常勝を築いた。暁星史上最強を謳うチームの先頭を走る人物だった。彼の持つ価値への執念。そして慣れぬ、いや、知らぬと言ったほうが正しいか、敗北の恐怖から発せられる底力。たかだか常徳SC如きに負けるはずがない。その目がこれでもかと、横山 順矢を威圧していた。
「悪いな、ウチのキーパーが嫌がっているんだよ、アンタのシュート。簡単に撃てると思わない方がいい。」
しっかりと目を合わせて吐き捨てられたセリフに逞しい横山 順矢が驚き戸惑う。遠ざかる背中を弱々しい視線で見つめていた。近くにいた太田 勝也が声をかけるも、たった一度のスライディングと去り際の一言によって脳裏に刻まれてしまった。ああ、この人にマークされたらシュートできないな、自由にプレーできないな、勝てないな、と。心の弱い、こんちくしょうとやり返せない己を呪っても、嫌っても、心と体が、手が足が、耳や目ん玉が、自分のものなのに、言う事を聞かないのだ。他の誰のものでもない自分だけのものなのに、主人の命令を無視するのだ。そして経験が浅く、多くの時間を負けて已む無しとしてきたチームに対抗できる手立てはなかった。
流れが再び暁星へ。
俺達がずっと勝ってきたのだ。勝つことで様々なものを積み重ねてきた。負けや弱小チームが悪いとかダメだとは言わない。試合なんかしないでただ身内でボールを蹴っていた方が楽しいという意見も分からなくはない。けれども勝つことでしか得られないものがある。それを1番多く、もっとはっきり言ってしまえば漏れなく譲らず、この予選ラウンドで獲得してきたのが暁星SCだ。今日はたまたま調子の良い、ぽっと出の常徳に負けるわけがない。負けてはいけないのだ。ちょっと強いシュートが打てる、ドリブルがうまい、奇策を拵えてきたとはいえ、目標の高さが違う。俺達暁星SCにとってはこの予選ラウンド、突破して当たり前の通過点。ましてや8人のチームに負けるなんてありえない。許されない。
この思いは暁星SC皆の思いであり願い。強い志が伝播することで動きが変わる。動きが変われば流れが始まり、流れを引き寄せることで得点に近付く。試合終了間際まで、常徳にとって厳しい時間が続いた。
【第七章 戦士の武器 終】