第1章 4
「もう我々の勝利は見えたも同然じゃのう!」
威勢のよい声がブリッジから響いてくる。ここはクライアット隊主艦『ワンク』。その威勢のよい声を受けて、若い兵が思案下に返す。
「でも腑に落ちない部分が多いですね。敵の『羽』が出てこない」
「レカ!全くお前はいつもどうしてマイナスにしか考えられんのだ」
「ドアルさんが素直すぎるんですよ」
「なにおう!」
その若い兵の言葉を真に受けたようで、ドアルと呼ばれた初老の兵は、ブリッジ内の机の周りにあるイスを倒す勢いで立ち上がろうとする。
それを隣にいたクライアットが手で制して
「まぁまぁ・・・。レカの言っていた事は僕も気になっているところだからな」
「ふぅ・・・。あれでしょ、敵さんハラでも壊したんじゃないですか?」
と、ドアルが言うと
「全員が一度にハラ壊すわけないでしょう」
すぐに切り返す。ドアルがもう一度「なにおう!」と怒鳴りだす前にクライアットがこう言う。
「おそらく風のせいだな。先ほどから風が変わりつつある」
「来ますかね」
レカが神妙な顔つきで言う。
「来るな。今までで最大級のヤツが」
「ハエ叩きが大量に必要そうですなぁ」
「またそんな事言って茶化す」
レカがどうしようもないな、と言う表情でドアルを見やる。しかしクライアットは
「ハエ叩きか・・・。まぁ仕方ない。ここはハエ叩きに場を譲るか」
「え?」
クライアットがドアルの冗談に乗ったものだから、レカが間抜けな声を出して驚く。
「は、ハエ叩き・・・、ですか・・・」
気持ちが高ぶっていた。
戦争は好きではない。
この『撃剣』がキライだ。
だが戦場向かう前のこの今。
緊張はある。
不安や恐怖もある。
だが心の奥底・・・、おそらく自分の制御下にない場所で戦いを望んでいる。
「これが『撃剣』と言う事なのかな」
戦場へ向かう船の上、少しずつ近付いてくるクライアット隊の船を眺めつつ、少年、ティルは呟いていた。
「オルン暦で正式に制定されたわけではないが、我々アレルンと同時期に誕生、繁栄していった一族の総称。彼らは外見我々と大差なく、見分ける事は難しいが、その背中に背負う大きな剣は、彼らを瞬時に見分けるよい手段になっている。その剣が『撃剣』と言われるものだが、その力は一振りすれば山を砕き、二振りすれば海を分かち、剣に祈れば雷を落とすと言う凄まじい力を秘めているらしい。だがこの『撃剣』も数が減り、今では数えるほどしかいなくなってしまっているらしい・・・みたいですね」
「長いわ」
本を読み終えたレカを待っていたのは何ともきつい一言であった。
「ひどい言い草ですねぇ。ドアルさんのために読んであげたのに」
その言われたきつい一言を何とも思わない様子で返すレカは、ドアルが一心に眺めている方向を見てなるほど、と本をぱたりと閉じて、
「あの船に乗っているんですね」
レカも船の縁に手をつき同じ方向をみやる。
水面は穏やか、空は快晴だ。
もちろんこんな天気だからといって何と言う事もないのだが、このあまりに静かな状況を見ていると、ここが戦場だと言う事を忘れてしまいそうな錯覚に陥る。
ハッと我に返ったレカはクライアットにその事を報告しようとするがその前に、
「ハエ叩きが来たようですな」
とドアルが告げる。この陽気の中、少しぼおっとしていたレカは、ドアルに先手を取られてしまった形になり(レカが勝手にライバル心を燃やしているだけだが)、少しむっとして
「そんな大きな声で言わなくてもいいでしょうに」
と、つい皮肉を言ってしまう。自分でもまだまだ子供だなぁと思いつつも出てしまうクセに少し悲しくなっていると
「お前に言ったんじゃないわ!」
と、ドアルもその程度に乗ってくる。そんなレカとドアルの定例のモノが始まると
「よくよく二人は気が合うらしいな」
とクライアットが苦笑交じりに言う。するとまたドンピシャのタイミングで
『冗談だろ(でしょ!)』
とハモる。
そしてお互いの顔を見合わせ、「フンっ!」とそっぽを向く。
クライアットがそれを見て口に手を当て忍び笑いしているのを見て、
「何笑ってるんですか!笑い事じゃないですよ・・・もう」
レカがため息混じりに言う。
するとドアルが何かまた返そうとした時に、遠くの方から兵士の声が
「『撃剣』様、ご到着ぅ~!」
そこで三人は視線を合わせ一様に頷き、
「おいでなすったようですな」
ドアルに合わせ
「期待した通りの人であればいいんですがね」
レカはいたって冷静だ。
「ま、そこまで来てるんだ。意味のない詮議は置くとしてちゃんと検分させてもらおうじゃないか。レカ、ドアル。俺の部屋まで『撃剣』様を案内してくれ」
「了解です」
「承知いたしました!」
二人がクライアットに敬礼して去っていく。
そしてクライアットは自分の部屋へと続く道のりを歩きながら『撃剣』を初めて見たときの事を思い出していた。
「さて・・・、あの二人にはどう写るかな・・・」
「到着いたしました。クライアット様がお待ちです。ご案内しますのでこちらへ」
兵の一人が右手を奥に差し出している。
それを丁重にお断りして
「自分で探しながら行きますから。構わないでください」
「なっ」
ティルの言葉に唖然とした兵たちは、何も言えないまま船内へ入っていくティルの後姿を眺めていた。
するとそこに金髪に金瞳、そしてサンドレアスと大きく刺繍の入った鎧を身に着けた若い兵士が現れた。
「君が・・・、いえ、貴方が『撃剣』様ですか?」
「・・・・・・・」
何も答えず、じっと彼を見ていたティルだったが、その彼の後ろから聞こえてきたドタドタとした足音に気が付きそちらをみやる。
「ふぃ~、全く。レカよ、まだ怒っとるのか?そんなに早くいかんでもよかろうに・・・」
こちらは白髪交じりだが金髪で、大柄のいかにも屈強そうな壮年の男である。
レカと呼ばれた青年はティルの方をずっと凝視していたが、その声が聞こえると少し顔を緩めて
「ドアルさん、ほら」
と、目配せをする。
そのやり取りをティルはただみていたが、何か値踏みされているようなあのいつもの視線のような気がして嫌な気分になっていた。
「あん?」
こちらは何も考えず訝しそうな表情でこちらを睨んでくる。
そのくらいの凄みに怯む訳でもないが、敵地でもあるまいし、ましてや今回は仲間だと言うのにこんな視線を浴びせられるのは、気持ちいいものではない。
「おー、おー、おぬしが『撃剣』か?」
「隊長がお待ちかねです。こちらへどうぞ」
「こら、レカ。お前よく確かめもしないでなぁ」
「こんな戦場に普通の子供がいると思いますか?いるわけがない。だとすれば彼がソレだということですよ」
「むぅ・・・。しかしここまで若いとはな」
ティルを見つめ考え込むドアルをよそに、レカはティルを案内していく。
ティルもはじめはどうしようか迷っていたようだが、自分のやり方を通す事もあまり大した事ではないと判断したのだろうか、レカの後をついて歩いていく。
「わっ、こら!レカ、またんか!」
少しばかり考えていたうちにレカはドンドン船の中に入っていっていた。
慌ててそれを後ろから追いかけるドアル。
サンドレアスとブルトスの戦いはまさに泥沼状態にまで陥っていたが、今この戦場を駆け抜ける風はそんな陰鬱さを微塵も感じさせないようなからりとした風だった。
サーヴェ・ルー・ガード、と言う名前の『撃剣』がいた。
彼は自分が『撃剣』であると言う事を全く意識しない人間であったという。
ティルは今ここサンドレアスの王に呼ばれ、この戦場で戦っているが、物心ついた時から各地の戦場を転々としてきた。
幸い今はファイブレットウォーズの真っ只中。
傭兵業で食べて行けば食いっぱぐれる事はない。
しかしティルは条件さえよければ何でもすると言った通常の傭兵達とは違い、このサーヴェと言う『撃剣』の生き様を追うような形でずっと戦っていた。
それはつまり帝国、グランドールと相対する国側につく、と言うことだ。
このファイブレットウォーズも元を正せば帝国がすべての国に対し宣戦布告をしたことから始まる。
それに帝国領内では悪い噂が後を立たない。
サーヴェはどうやらはじめ帝国の傭兵として使えていたようだが、そこでティルと出会い、連れて逃げてきたのだと話してくれた事がある。
ティル自身にしても両親の事はよく覚えていないので、まさにサーヴェは父であり、兄であり、友であり、そして師だった。
今の世の中の生き抜き方、そのすべてを叩き込んでサーヴェはティルの元を去った。
理由は定かではないが、ティルはこれと言う詮索をすることもなく、ただひたすらに傭兵業に精を出していた。
それはこの生き方のまま生きて行けば必ずまたサーヴェにあえる、と言う思いからの行動であった。
「(元気にしてるのかな、サーヴェさん・・・)」
ふと昔の事を考えていたティルは突然掛けられた声に驚く。
「着きました。こちらでクライアット様がお待ちです」
気がつけばある船室の前まで案内されていた。
この船も大して他の船と違うところがあるわけではないが、ティルは「また迷いそうだ・・・」とうなだれていた。
「この中にあの人がいるわけですか」
「そうです。準備はよろしいですか?」
「はい?」
あまり部屋に入る前にかける言葉ではない事を言われてティルは間の抜けた返しをしてしまう。
それをレカはどうやら肯定ととったらしく、
「では・・・」
と船室のドアを開いた。
「もしかして準備ができてないって言えば入らなくてよかったのかな」などと考えながらティルは部屋に入った。
するとだしぬけに声がかけられる。
「久しぶりだな、『撃剣』」
その声に顔を上げるとクライアットがサンドレアスの鎧を纏い立っていた。
そうしてようやく部屋の様子も分かったのだが、そこはおよそこの船の指揮官がいるにしては何もない部屋だった。
だが広いことは広い。
大体だが20メートルは奥行きがありそうだ。
しかも周りは見たことのあるコーティングが施された壁になっており、それをみてティルは訝しげな表情をクライアットに向ける。
「この部屋の仕様に気がついたか。まぁそういう事だ。要は君の力を信用してないんだ、僕は。リカルス将軍は確認済みだといったがね。何事も自分の目で見ないことには信じられない性質でね」
その言葉の意図するところはこの部屋の様子、そして背後の二人の様子がこの部屋に入ってから変わったことなどからすでに分かりきっていた事だったが、妙な含みのある言葉をかけられたのでティルもはぐらかす様に言う。
「何が言いたいんですか?」
「こういうことじゃよ、ボウズ」
ティルが少年とは思えないほどの人の悪い笑みを浮かべて言い返そうとした時、その背後からかけられた声とともにいきなり大刀が振り下ろされる。
その気質の変化を敏感に感じ取っていたティルはその攻撃を難なくかわし、自分以外の三人を見渡せる位置にまですばやく移動した。
「ほほ、まずまずの動きじゃな。なるほどしかしやりおるわい」
剣呑な気を発していたわりに暢気な声でドアルが言う。それを受けて
「あれぐらいでやられてしまっては困りますよ、ね?」
とレカがクライアットに返す。
そしてクライアットはその左に差していた一本の長剣をすらりと抜き放ちながらティルに言う。
「あまりいい顔をしていないな、『撃剣』よ。不意打ちにご立腹かい?」
「・・・・・・。意図が見えないだけです。僕はあのおじさんを倒せばいいですか?」
そのおじさんと言う言葉に敏感に反応したドアルが何か言い出す前にクライアットは返して
「ドアルか・・・。まぁそれでもいいんだがな。それでは『撃剣』の腕が泣くというものだろう。ここにいる3人を倒してくれればいい」
「倒せばいいんですか。それはどのくらいまでですか?」
「何?」
すでに勝ちを見越しているティルの言葉にクライアットは言葉を切る。
「殺してしまった後で文句を言われるのは、ね」
「こ、小僧が!いきがるのもそこまでだ!」
その人を食った話し方に切れたドアルが猛然と切りかかってくる。
その突進力と速さはこの年齢で言えば特筆すべき点だが、それはティルにはまったく問題なかった。
切りかかるドアルの斬撃をすべて紙一重でかわし、必殺の瞬間を待つ。
この時点でティルとドアルの勝負の行方はもう見えたも同然だったが、横からの不意の攻撃にティルは一瞬反応が遅れる。
それでも当たる瞬間体を少しひねって直撃をまぬがれた当たりはさすがと言うべきなのか。
「ぐっ」
と少しくぐもった声を出しながら、吹っ飛ぶ。
その眼前に壁が現れたのを見て再度身を捻り丁度背中から壁に当たるようにする。
そうしてかなり衝撃は減らせたものの、その体に残ったダメージは軽視でできるものではなかった。
「ぐっ」と小さく息を吐き出す。
「ドアルさんの気に飲まれすぎですよ」
そう言ってニヤリと笑ったレカを見てようやくさっきの攻撃がレカの足によるものなのだと言うことを理解した。
ドアルが突進してきたときすでにレカも動いていたのだ。
ドアルの攻撃を難なく避けるティルの死角に移動し、そしてそこからの回し蹴り。
それもかなりの威力を持ったものだ。
それをある程度のダメージは残ったものの軽傷で済んだことは奇跡といっても過言ではないかもしれない。
「『撃剣』よ。まさか手を抜いて勝てる相手だと思っているか?」
クライアットが一歩ずつ進みながら言う。
「だとすればそれは、おろかな考えだぞ」
そして自分の間合いの中にティルが入るか入らないかの位置で止まり油断なく構える。
その構えから発せられる気も他の二人と同等、いやそれ以上のものがある。
その気にぴりぴりと肌を震わせながら
「それがお互いにとって一番いい道だと思ったんですが」
とこの期に及んでそう言った。
それにはレカも少し驚嘆するような声をあげる。
この状況で軽口を叩けるティルに素直に驚いたからに違いない。
だがクライアットは少し語気を荒げて告げる。
「言っておくが『撃剣』よ。僕は君の格闘の能力を試しているんじゃない。ソレの力がみたいんだ」
あえて視線をティルの背後にある『撃剣』にやる。
ティルはその様子を無感動で見ていたが、ふいにはたと気が付いたように
「そう・・・ですね。僕はバカだ」
とそういい、背中の剣に手を伸ばした。
ティルがこの戦場に来て初めて撃剣を抜くその瞬間、レカもドアルもそしてクライアットでさえもその行動をじっくりと見る。
ゆっくりゆっくりティルの撃剣が鞘から引き抜かれていく。そしてそれはその刀身を3人の目に焼き付けていった・・・。