宰相と侯爵(前)
ちょっぴりシリアス。
ルアンヌが不在のため、三人称です。
オーバンとリュファスは友人だった。
お互いにお互いが唯一の友人。だから口喧嘩をしようが殴り合いをしようが刃物をだそうが、ずっと友人なのだ。
これは、ルアンヌとダリウスが出会うひと月ほど前のお話し。
エイメ侯爵領内。
領主の城館を中心にドレスのように広がる、遠くに海の見える柔らかな色彩の大きな町。
そこの一軒の酒場で、オーバンが友人に偶然会ったのは、六日間に渡る『妖精姫の春花祭』の初日のことだった。
「なにをやっているのですか」
崖下の広場が良く見える席で、酒をちびちび飲みつつ、頬杖をついて眼下の人混みを眺めていたオーバンは、その聞き慣れた声に慌てて視線をずらした。
「……リュー!?」
目の前に、くたびれた服に平民そのものの帽子まで被っているくせに、相変わらず上品に見える宰相リュファスが呆れたような顔で立っていた。
黒の宰相服姿のときも実年齢よりだいぶ若々しいが、生成りの服を着ていると国王ダリウスより若くすら見える。
「驚いたよ。君こそどうしたんだい、王都にいなくていいの」
「この時期はあまり仕事もありませんし、息抜きですよ。たまに無性にこの町に訪れたくなるのです」
「ふぅん……小さい頃はよく来てたしね。もしかして僕が 気づかなかっただけでわりと来てた?」
リュファスは微笑んだだけだった。苦笑してオーバンは彼に椅子を勧める。宰相は遠慮などしなかった。
人々でぎゅうぎゅうの広場では、美しく飾られた大きな舞台に次々と『妖精姫の巫女』に選ばれるべく、町の少女たちが登っている。
『妖精姫の巫女』は、祭りの六日間の内、五日間かけて未婚の娘たちの中から選ばれる、町一番の美女のことだ。
毎日候補が減っていく中、最後に残った者が『巫女』になり、最終日に町の神殿で祈りを捧げる。
何日目まで残ったかが、その娘の結婚に影響することもあり、そもそも容姿に自信がない者は出ようともしない。
少女たちの品評会。
「いやあ懐かしいね、僕たち戦時中砦でお祭りやったよね。女装の僕と君が優勝候補の巫女選び」
「……ありましたね、そんなことも」
「笑えるよね。高級娼婦のお姉さんとか素朴で可愛い下働きの女の子とか色々いたのに、最後残ったの男の僕たち二人! 身のキケンを感じちゃったよ」
戦時の砦となれば、とりあえず未婚ならもはや誰が巫女を務めようとどうでもいいと、皆でゲラゲラ笑い笑われながら祭りをした。
ちなみに勝ったのはリュファスだ。既に夫人が亡くなっていたとはいえ、オーバンは既婚者だ。明らかに失格。
なぜギリギリ最後まで誰も指摘しなかったのかは簡単。面白かったから。
実は他にもちらほら既婚者が混じっていた。
リュファスはシーツで作ったドレスで、それはそれは優雅に完璧に妖精の加護を祈る巫女を務めてみせた。そして祭りが終わった瞬間ドレスは無残に破かれ、脱ぎ捨てられた。
嘆いたのはリュファスの部下の騎士団員たち。
『団長〜っ、イヤですなんで脱いじゃったんですか!』
『俺の麗しの女神!』
『ドレスで命令してくれれば士気ももっと上がりますぅ!』
彼自身に与えられた王国軍とオーバンの連れてきたエイメ騎士団に、さらによくわからない傭兵隊の混ざったリュファス麾下の混合騎士団。
軍服に着替えた団長リュファスは彼らの叫びを鼻でせせら笑った。
『ドレスを着なければ私の魅力に気づかない野郎共など、私の影を拝むことすらおこがましいですよ』
そもそも誰が君の影なんて拝むんだい、というオーバンのツッコミは、指揮杖を片手でもて遊ぶリュファスを頬を染めて見つめる人間達を見て、引っ込んだ。
ドレスはその後包帯に変わり、阿呆な男共は傷が治った後も延々と包帯を巻き付け続けていた。
英雄兄弟が現れた後、彼らは口を揃えて『そりゃ綺麗だけどさ、こう、色気というか毒舌というか、大人のミリョクが足らないよな?』と言ったものだ。大人のミリョクって何。
「オーバン……それであなたは何故こんな酒場で祭り見物などしているのですか」
「んー?」
短い物思いから覚めて目を向ければ、あの頃とちっとも変わらない友人が、あの頃より年月分変わったオーバンをやっぱり変わらない瞳で見ている。
甥である王と同じ太陽に愛されたような金髪、白皙の、どこか人を見下すような感のある清冽な面差し。王はどんどん精悍で王者然とした顔立ちになっていったが、リュファスの顔はずっとどこか女性的で麗しい。
オーバンは少し笑った。広場の舞台は盛り上がっている。
「実はここ数年『巫女』になりたいって僕の娘がお忍びで出てるんだよ。去年も一昨年も初日で落ちてね……いつも落ち込んで…………お父様としては心配で」
「は?」
「あ、ほら今舞台でつまずいた娘」
娘ルアンヌは決して不美人というわけではないのだが、どうしても地味で目を引くということが無い。
リュファスが興味深そうな表情をした。
「そういえば前に娘がいるとか生まれたとか聞きましたね、一度も会わせてもらったことはありませんが」
「当然だろ。君になんか会わせたらスレた子になってしまう」
「酷い言いようですね」
「事実だろ」
「年齢は?」
鋭い視線。オーバンはくしゃりと頭をかいた。
「……もう社交界に出て良い歳だ。でも、陛下に?」
「表に出ず、王宮の奥で何の不満も野心も抱かず、王さえいれば、ただただ幸せに生きられる娘が欲しいのです」
「僕の娘がそうだとどうして思うんだい」
「あなたとあなたの亡き奥方の子だからです」
ひたすら無邪気に純粋に自由に朗らかに。リュファスの友人オーバンはそうやって娘を育てるだろう、と。娘と引き換えに死んだ愛妻と同じように。
その通りだ。でも。
「僕、君のお嫁さんにしようと思ってたんだけど」
「いりませんよ。私が妻を娶るとしても、陛下に子が生まれた後です」
「ダリウス陛下が手をつけた女官やご婦人に子供は?」
「私の甥はそんなヘマはしません」
リュファスの綺麗な指が伸びてきて、オーバンの前から酒盃をひったくりグイッとあおる。
「私だって彼に負い目を感じているんですよ。二十歳にしかならなかったのに即位させ、戦争の後の荒廃した国土を彼に背負わせた」
「……でも君の予想通り陛下は名君だ。この短い年月で人質も婚姻という手段も使わず、国をまとめ上げた」
「だから」
珍しく悄然とした表情で王国宰相は呟いた。
「だからあの子にせめて言葉の裏を考えずに済む妃を……」