2 少年のお願い
「ふざけないでください」
私の隠れた木の向こうで、小さいほうの人影が、淡々とした口調で言いました。
黒髪で……ずいぶんと綺麗な声ですが、わたくしより少し年下の少年でしょうか。
「嫌だ。行きたくない!」
大きいほうの人影が言います。金髪の、こちらは大人の男性のようです。
台詞は子供みたいですが。
どうも小さなほうが、大きなほうを叱っているようです。
「少しは俺のことも考えてください」
「嫌だ。笑顔で寄ってくる貴族たちが気に食わん。それに、お前と一緒に行くと、視線がみんなお前に向くから」
「だったら、俺じゃなくてエストにすれば良かったじゃないですか」
なんでしょう、痴話喧嘩でしょうか?
しかしエストというのは、前王陛下の版図拡大戦争の、『最後の英雄兄弟』の弟英雄様の名前だったような。
「エストだともっと酷い! ついでにニッコリ微笑みやがるから。お前は無愛想でチビなぶんまだマシだ!」
シュラバ……じゃ無いですよね?
「身長は関係無いでしょう。俺だって、宰相に頼まれて仕方なく付き合ってやってるんです……ん?」
あら? 小さなほうの人影がこちらを見ました。
なんでしょう。ばれたのでしょうか。
「誰だ?」
「う……」
バレました。本当にバレました。良い子は喧嘩の覗き・立聞きをしてはいけません。
わたくしはおずおずと木の後ろから出ました。
そのままお二人に近付き、頭を下げます。
「ごめんなさい。シュラバとは知らず、立聞きをしてしまいました!」
はっ、シュラバ断定してしまいました。
大きなほうの男性が、ゴブッと変な声を出します。
小さなほう――といっても、わたくしとほとんど同じ身長ですね。女性なら平均的な身長――は冷静です。
「修羅場じゃなかったら、立聞きしても良いのか?」
こてんと首を傾げて聞かれました。
無表情ですが、とてもとても綺麗な少年です。なんというか……存在するのがありえないほどの美人さんです。
でも、なぜ騎士服を着ているのでしょうか。
わたくしは、しばしポカンとして、彼を見つめてしまいましたが、大きなほうの男性の声で我に返りました。
「違うだろ!? ツッコミどころはそこじゃねえ! 修羅場じゃないから!」
わたくしは目を転じました。
こちらの男性も(人外っぽい少年には負けますが)中々の美形さんです。長身で、精悍な顔立ちをしています。
……しかし、やはりシュラバではなく、ただの痴話喧嘩だったようですね。良かったです。
「そうですわよね、申し訳ございません。でもせっかくの夜会ですのに、痴話喧嘩はいけませんわ」
「なんでそうなるんだ。痴話喧嘩でもない、俺は夜会になんて行きたくないんだ。なのにこのチビが」
チビ呼ばわりされた少年が不機嫌そうな視線を投げますが、男性は気にしません。
「行けってうるさいんだ」
「まあっ、いけませんわ。それは夜会って人が沢山いて、酔ってしまいますけど。美味しそうなお料理もありましたし、綺麗なお嬢様方もいらっしゃいます。国王陛下だって…………ああっ!!」
いきなり大声を出したからでしょうか、男性が半歩下がりました。
しかし気にする余裕はありません。
「わ、わたくしったら、すっかり忘れておりましたわ! とっくに会場に陛下がいらしてたらどうしましょう。他の方に先を越されてしまいます。早く戻らなくては」
「先を越されるって……。え、お前、まさか王妃候補なのか!?」
男性の言葉に頷きます。
「ええ、そうです。わたくし陛下を誑かさなくてはならないのです! 目指すは悪女さんなのです!」
「悪女……さん? 陛下を誑かす? ……いや、ぜってえ無理だろ……しかもそれ、目指すは悪女じゃなくて王妃だろ……」
男性は何かブツブツ呟いています。
ハテと思って綺麗な少年を見れば、彼は長い指で男性を指差しました。
「会場に戻るのなら、アレを連れて行ってもらいたい。ついでに出て行かないように見張っていて貰えると、助かるのだが」
わたくしはにっこり笑いました。
人のお願いは、なるべく断りたくはありません。
「ええ。わかりましたわ、お任せください。でも貴方は?」
「感謝する。俺は夜会に行かなくても支障はない、帰る」
「まあ。そうですか」
「おい、俺の見張りはいいのか?」
踵を返して去っていく少年に、男性が驚いたように聞きます。……見張りってなんでしょう?
「その令嬢に任せました。エイメ侯爵の令嬢でしょう。一緒に会場に行って放っておけば、侯爵が明後日あたりイジメに来ますよ」
少年は振り返りもせずに、それだけ言うとさっさと行ってしまいました。
後半はよく聞こえませんでしたが、男性には聞こえたのでしょうか。
それにしても、なんでわたくしがエイメ侯爵の娘だってわかったんでしょう。不思議です。
首を傾げつつ男性を見上げると、目を見開いてわたくしを見つめていました。
「エイメ侯爵令嬢? あの宰相と似た者同士の親友の、腹黒侯爵の娘?」
なにか後半よくわからない言葉がついていましたが、一応わたくしは頷きます。
そういえば、自己紹介がまだでした。
「はい。ルアンヌと申します。今日が初めてなのです。貴方は父のお知り合いさんですか?」
「あ、ああ。まあな。……いやいや、嘘だろ。顔も性格も、ぜんっぜん似てねえ……」
またブツブツ言い出しましたが、構っていられません。
早く会場に戻らなければ!
「さ、行きますよ」
ぎゅっと男性の袖を掴んで、歩き出そうとします。――が。
「えっ、おい待て」
「待てませんわ」
「いや、お前どこに行く気だよ」
男性が動かないので、わたくしも動けません。
「もちろん会場です」
「どこから入る気だよ」
「テラスですわ、いけませんの?」
「……こっちだ」
男性は小さくため息を吐いて、袖を握っていたわたくしの手をとって歩き出します。
大きな手です。ほんの少し、ドキっとしてしまいました。とっても紳士的ですが……近道でもあるのでしょうか。
おとなしく付いて行ってみましょう。