えぴそーど 77
引き上げた2人。
アンリの部屋で2人の会話は続いていた。
「意外なことになりましたね?」
「本当です、けれども、返って良かったと思います」
アンリにアンドレアが言った。
第一王女は心に秘めた男性を想い、泣いている。
そんな女性がルイと暖かな家庭などは築けない。
それにである。
「ジュリア様には王妃の器があると見ました」
「王妃の器ですか?」
「ええ、何事が起きても大らかに微笑んでいられる。さりげなく相手の立場を考えて立ち回れる。そして、何より素直で可愛い」
「そうですね…、可愛い少女です」
アンリはジュリアの笑い顔を思い出していた。
正直なところ、姉のマルガッテの方が美しい。
あの前王妃、リリフィーヌの再来と評されているほどだ。
けれども性格も似たのだろうか?
自分の想いを貫こうとする強い心、言い換えれば、自分の我を通そうとする。
それは通常ならば強い女性として称されるだろう。
けれども、ルミナスの妃殿下としては、少し難しい。
対して、ジュリア姫は素直であった。
それに、良く笑う。
丸い顔を益々丸くして、とても可愛く笑うのだ。
ルイに必要なのは、その笑顔なのではないか?
アンドレアはそう感じたし、アンリも納得できたのだ。
そんな頃。
あの場からルイを連れ出したジュリア。
2人はアルホートの城の庭を散歩していた。
彼女はまだ12歳。
ルイの胸ほどの背丈しかなかった。
親戚の子供が大きいお兄ちゃんと一緒に歩いている様な感じである。
そんな彼女が無邪気な瞳で問いかける。
「ルイ様、ルミナスは広いの?」
「そうだな、広いな」
「どれくらい?」
「うーん、アルホートよりも広いし、民も多いよ」
「そうなんだ…、そうだ!」
パァっと顔が明るくなって、質問が続く。
「じゃ、トーフという食べ物は、美味しいの?」
「美味しいよ。柔らかくてね、口の中で無くなる」
「無くなるの?それって、プリンみたい?」
「プリンとは、ちょっと違うな」
「ふーん、ルミナスって不思議ね」
彼女の瞳は群青に近い色であった。
群青の中でも少し赤味がかった色である。
一瞬、その瞳に吸い込まれそうになる錯覚を感じた。
慌ててルイが尋ねる。
「ジュリア?」
「なあに?」
「あんなに急にルミナスに行くことを決めて、後悔してないのか?」
少女は少し下を見た。
そして、考えてから返事をする。
「うーん、わからない。けど、ルミナスに行ってみたい。だから、行ってもいいの」
「ルミナスに行ってみたいから、行ってもいいんだ?」
「うん!だって…ね…」
少女は急に大人びた顔をした。
「ルイ様が暮らしている国だから、行ってみたいのよ…」
「俺が?」
恥らってルイの言葉を聞いている少女、いや、恋する乙女は頷いた。
「私、昨日、ルイ様にお会いしてから、ずっと思ったの。ルイ様の住んでいるルミナスってどんな国なんだろうって。だから、行ってみたいの」
「ルミナスへ来て、何するんだい?」
ジュリアは全身を使って言葉にした。
「見てみたいの!大きな城やあのカフェ・マリー本店、とにかくルミナスにあるもの、全部をよ?」
ルイは苦笑いになる。
その様子を見咎めて、彼女は言葉を続けた。
「だって、アルホートにはないものがルミナスには、沢山あるでしょ?」
「そうだな、沢山あるよ」
「だから、ね。見たいの。でもね、…、」
少女は精一杯気取って言うのだ。
「その時は、ルイ様が、私を案内してくれる?」
少女の瞳がルイを捕らえた。
紅藤だ。
そうルイは思う。
春の盛りに王宮の庭で咲いていた紅藤の花の色。
とても良い香りの花であった。
自らを余り主張しないけれども、季節の折に見つけるとホッとする花。
彼女は紅藤の花、そのものなんだ…。
そして、その瞳で、いじらしい程に見詰める姿が健気でルイは頷いた。
「いいよ、案内するから。ジュリアの行きたい所に連れて行ってあげるよ?」
「良かった…」
ホッとした表情になった。
不安だったのだ。
それでも笑みを絶やさずに彼女は言葉を続けた。
「ルイ様と一緒って、楽しいわよね?」
「そうだな…、ジュリアと一緒は、きっと、楽しいと思うよ?」
「うん!」
小さな手がルイの手に重なる。
「わたしね、毎日、ルイ様に話すわ。何を見たか、何を聞いたか。私が嬉しかったこと、楽しかったこと、みんな、話す」
その宣言に、ルイの心がキュンと掴まれた。
「だから、ルイ様も、話して?その日に1番楽しかったこと、私に話して下さらない?」
それは、彼女からのプロポーズといえた。
なぜなら、ルイの心はジュリアに掴まれたままになっている。
けれども、余りにも幼い彼女の言葉に、ルイは思わず心配になるのだ。
「ジュリア、無理してないか?」
「無理?」
「そう、無理に姉の代わりなんかしなくていいんだ。俺の所に来なくたって、ジュリアが好きになった男性と結婚して、幸せになったっていいんだよ?」
「ルイ様?」
彼女は首を傾げた。
「ルイ様は、私が嫌い?」
ルイは即答した。
「いいや、嫌いなもんか」
紅藤の瞳は、優しく微笑んだ。
「じゃそれでいい。わたしはルイ様の国に行きたいから、ルイ様の側で、毎日を楽しく過ごせればいいの」
思わずその小さい体を抱きしめた。
止められなかった。
愛おしいと思ったのだ。
ジュリアが声を出す。
「ルイ、様?苦しい…わ…」
その言葉にようやくルイが力を緩めた。
けれども腕は離さなかった。
そうだ、俺は彼女が好きなんだ。
ルイは悟った。
そして、彼女に伝わるように、ハッキリと言う。
「ジュリア、俺は君を好きになってしまった」
「え?」
小さな体が少しこわばる。
「君が好きだ、ジュリア」
その優しい言葉に、ようやく緊張が解ける。
「ルイ様…」
「俺の国に来ておくれ?俺はジュリアを、誰よりも大切にするから」
丸い顔がとても嬉しそうに笑った。
「ほんと?」
「ああ、毎日、笑おう?楽しいこと話し合おうな?」
「うん!約束ね?」
「ああ、約束だ。毎日だぞ?」
「うん!」
そう言って、ルイはジュリアを、もう一度抱きしめた。
今度は優しくだ。
「大好きだよ、ジュリア」
「私も!」
そのままで、抱きしめ合ったままの2人。
それ以上のことはなかった。
けれども、抱きしめるだけで充分だった。
ようやく、これから時を重ねる相手に出会えたのだ。
ルイにはそれだけで充分だった。
ここにいたんだ…。
冬なのに暖かい風が、ルイの頬を撫でるように吹き去った。




