えぴそーど 71
ノックの音が聞こえた。
「失礼致します」
その声に、2人は何事も無かったように振舞った。
「いい香りだ」
ゆっくりと、アリエッタが入れる紅茶を味わう。
「美味しいなぁ。アリエッタのお茶は本当に美味しい」
「ありがとうございます」
「アリエッタがね、上手なのはね、ジョゼの特訓のお陰なのよ」
「ジョゼ?どなたなのかな?」
「お母様の侍女だった女性よ。そう、ジェシカの伯母様に当たるの」
「ジェシカの?ならば、仕事は素晴らしいに違いない。そうだろう?」
「本当にそう。背が高くて、優しくて、いつもお母様にお小言を言ってたの」
お小言に反応するアリエッタである。
「まぁ、アリス様…」
「だって、お母様ったらルイには甘いのに、私とセーラ姉様には厳しかったもの。だから、ジョゼがね、お母様に言ってくれたのよ」
「なんてだい?」
「もっとルイ様に厳しくなさって下さいって」
侍女が主に小言を言うなど、本来ならば考えられなかった。
アンドレアには、あの2人の関係を想像出来なかったが、このお茶を味わうとジョゼの人柄が伝わるように思えてきた。
「ジョゼさんか…、会ってみたかったな」
「きっと喜んだわ。アデュにあったらね。もちろん、お母様もよ?」
「なら良いんだけどね」
そこはアリエッタが大いに認めてくれる。
「大丈夫ですよ。きっとカナコ様もジョゼさんもお喜びでございます。何しろ、アンドレア様しかおりませんもの」
アリスがアリエッタに聞いた。
「それは、こんな鈍感な娘を貰ってくれる男性は、ってこと?」
「いいえ、王家の姫だと分かっても、尚、愛して下さるほど強い男性はいない、ということです」
「そうね、そうだわ」
アンドレアがそっとアリスの腰に手を当てた。
「アリエッタ。私はアリスを愛する気持ちなら誰にも負けない。それだけのことだよ」
「まぁ、」
アリエッタは微笑んだ。
「アンドレア様とアリス様は、カナコ様が仰ってた通りになられますね、きっと」
「え?」
「なに?」
そして、再び宣言するのだ。
「ルミナス1の馬鹿ップルにお成りになります。ええ、必ずです!」
この宣言に2人は笑うしかなかった。
暫しの話が一段落した頃である。
「それでは、夕食の支度をして参ります」
「お願いするわ」
「少々お時間が掛かりますので、お待ち下さい」
そう言うと、アリエッタは2人を残して行った。
アンドレアはニッコリと微笑んだ。
「アリスの好きな料理だね?」
「そうなの。バックスの料理はね、美味しいのよ?」
王家専属の料理人だったテッドに変わり、今はバックスが料理を任されている。
王妃が望んだ日本料理も浸透してテーブルに上ることも多い。
「楽しみだな。ここの料理にはいつも驚かされるんだよ」
「お母様は食事には五月蝿かったもの」
「あのナベという料理、あれは親しい間柄でないと味わえない料理だ」
「良く家族で食べたの。これからは、アデュと食べましょうね?」
「そうだね?」
瞳の色が少し潤んだようになっていく。
「お腹、空いたでしょう?」
「そうだね、今日はモデルの仕事で疲れたから…」
「あら、そんなに疲れさせてなんかいないわ?」
「ああ、そうだった。今疲れててはいけないね?」
アンドレアはアリスの手を握り、少し情熱的な瞳で唆した。
「アリス。今夜は、どうしようか?」
「え?、あ、あの…」
真っ赤になるアリスだ。
その意味をアンドレアが悟らない訳が無い。
けれども持ち前の意地悪さで、アリスをからかうのだ。
「どうしたの?真っ赤になるほど、驚かせた?」
「もう!知らない!」
と言いながら、少し顔を背けただけのアリスだ。
そんな婚約者の頬に手を掛け、自分の方を見る様に仕向ける。
「ねぇ、アリス?」
「なあに?」
無邪気な紫紺の瞳を困らせてみたくなる。
「今夜は離さないから、覚悟は出来ている?」
そんな爆弾を落としてみる。
予想通り、アリスの瞳が大きくなった。
「あ、アデュ?」
続けて言うのだ。
アリスが勘違いしないように、ちゃんと分かるように。
「君の肌に触れたい。君を感じたいんだ」
「う、うん。大丈夫、だから」
「なら良かった。本当は今すぐでも良いんだけどね」
「え?今?」
その口を塞ぐように、口づける。
とても深く、とても熱く、どこまでも甘いキスを。
ゆっくり離れると、優しく囁く。
「だって、待てないよ」
けれどもアリスの返事は決まっている。
「でも、それは、駄目。お願い?」
少し残念そうに答える。
「残念だな…、けど、そうだね、食事の用意をしてもらっているのに、私達がいなくなっては駄目だった」
「うん」
アリスがそう答えることくらい、わかっていたのだ。
せっかく用意される食事を無駄にするなど、してはいけない。
「じゃ、楽しみは取っておくよ」
と、もう一度、深い深いキスが交わされた。
それは、アリスが初めて体験するような深さであった。
そうした事情の為に、せっかくの食事だというのにアリスは気もそぞろになってしまう。
「アリス様?」とアリエッタが尋ねる。
彼女は夜着に着替えるアリスの支度を手伝っていた。
「お食事の間、気もそぞろの様でしたよ?」
「え、?」
「緊張しますか?」
真っ赤になったアリスは小さい声で言った。
「ねぇ、アリエッタ。どうしたらいいのかわからないの」
「大丈夫ですよ、アンドレア様はお優しいですからね。全て、あの方の仰るとおりになさいまし」
「わかっているけど…、アリエッタは怖くなかったの?」
「怖くありませんでしたね。熱に浮かされた時でしたから」
「そう…」
アリエッタもエイミィも結婚よりも仕事を選んだ女性だ。
だが、恋愛に無縁であった訳ではない。
彼女達の雇い主であった王妃は、仕事を疎かにしない限り、彼女達の恋愛には寛容であった。
なので、アリエッタにもそれなりの経験がある。
アリエッタはアリスの手を握った。
「アリス様、」
「なあに?」
「ニッコリと微笑んで下さい?怖い顔は駄目です」
「そうね、うん」
そう励まされて、アリスはアンドレアが待つ部屋へと向ったのだ。
月の光が、優しく夜を照らした。




