えぴそーど 68
一方のカフェ・マリー。
時間は穏やかに過ぎている。
「赤ちゃんの?」
「そうよ、赤ちゃんの絵よ」
マリーの提案は、カフェ・マリーに飾る絵のモチーフを幼子や赤ん坊にしたらどうか、というものであった。
「それはいいアイディアです!」
アリエッタが頷いた。
マリーも満足そうだ。
「でしょ?」
「はい」
「けど、身近に赤ちゃん…、いたわ…」
「そうよ?」
セーラのところにジュリアンと生まれるの待っている子がいる。
「それにね、ケイトにも子供が出来たの」
「え??ケイトも!」
「そうよ、だから思ったの。そんな絵を店に飾ったら素敵でしょ?」
「うん、確かに、そうよね?」
アリスも乗り気になる。
「もちろん、誰か特定出来ないように描いてね?」
「わかってます」
「うん、じゃ任せたわね。久々に胸が躍るわ、きっと素晴らしい空間になるわよ?」
「本当に伯母様のアイディアはいつも素敵」
「その通りです。私もここへ来るのが楽しみになりますから」
3人の女子会は続きそうだったが、それは、突然打ち切られた。
店の人間が息を切らせて飛び込んできたのだ。
「マ、マリー様!大変です!」
「どうしたの?」
「アンドレア様が、お怪我をされたそうです!」
アリスは飛び上がった。
「え?ええ?」
「どういう事?」
「いま、子供現れて、そう申しまして。急ぎ店の者が数名、馬とその他に馬車で子供と一緒に向かいました」
「それは、どこなの?どこ?」
「アリス、いいから、座って…」
「いや、私も行くから!」
「行ったって、何も出来ないわ」
「治療魔法なら出来るもの!私も行くわ!」
アリエッタも立ち上がった。
「私も参ります。よろしいですね、アリス様?」
「もちろんよ」
2人は店を飛び出して行った。
驚いたことに、アリスはセーラと共に浮足を使えたのだ。
1度、幼いときに王宮の庭で侵入者に襲われた事がある。
その事件を踏まえて、両親によって子供達に教え込まれたからていたのだ。
当然、アリエッタもマスターしていた。
風のように飛んでいく2人を見送ってマリーは慌てて城へと連絡する。
アデュ!と声を出しながらアリスは物凄い速さで走る。
馬に追いつき、追い越した2人の目の前に、倒れているアンドレアがいた。
血が流れている…。
「アデュ!アデュ!」
アリスは慌てて彼の頭を抱えると、血まみれになっている傷口に魔法を当てた。
「しっかりして、私が!止めるから!アデュ!」
見る見る間に傷口が塞がり出血が治まる。
それでも治った訳ではないから、アリスは必死に魔法を掛け続けた。
「ね、アデュ?返事して?」
「アリス様」
見るとアリエッタが2人を庇うように男女の前に立っている。
「もう直ぐ、馬も着きます。アンドレア様を直ぐに動かせるように」
「わかったわ」
アリスはアンドレアの手をギュッと握った。
アリエッタは彼等を脅している。
「動くな、動けば怪我をするのはお前達だ!」
抵抗する気もないのか、2人は動かなかった。
女は見ず知らずの女性がアンドレアを愛称で呼んでいることに衝撃を受けているようだった。
小さな声が聞こえる。
「アンドレア様のことを、あでゅ、って…、なんで、しってるの…」
そこに馬が到着した。
「アリス様!」
「早く、アデュを城へ!」
「もちろんです、早く、馬車の中へ」
アリスは馬車に乗り込む。
アンドレアを馬車の中に入れる者。
アリエッタの代わりに男女を縛り上げ、城へと向う者。
転がっている男達を城に渡すまで見張る者。
清掃班が来るまで、その場に立ち止まる者。
そして、マリーへの報告の為に、子供と共に店に戻る者。
それぞれに慌しく動き出した。
「こちらです!」
アンドレアは城の病院ですぐさま治療が施された。
「アリス様の適切な処置がお命を留めることに繋がりました。ご安心下さい」
と医者が告げると、アリスはその場に崩れ落ちた。
「良かった…」
命に別状はなく、安静が告げられた。
駆けつけたアンドレアの両親も安堵して、アリスに後を託し屋敷に戻って行った。
けれども、その日は目覚めることがなかったのだ。
王も執務の合間に顔を出した。
「アリス?」
「お父様…」
「どうだ、婿殿は?」
「大丈夫だって、先生は仰ったの」
「そうか、なら、大丈夫だ。心配するな」
「けど、けどね、もしも、…」
王は娘の頭を撫でた。
「アリス。婿殿は大丈夫だ。あいつはワシに約束した。お前を一生大切にするとな。これから大切にしてもらうんだろう?」
「うん」
「だから、大丈夫だ」
「うん」
アンドレアの息は穏やかである。
怪我をして体が休息を求めているのであろうから暫くは目覚めないであろう、との診断である。
「事の追求は進んでいる。婿殿をこんな目に遭わせた奴らには報いが下る」
「そうね…」
アンドレアの友人だといっていたビリーの顔が浮かんだ。
けれどもアリスは何も言わなかった。
それよりも、今は、アンドレアの瞳が開いて、また、あの声が聞きたかったのだ。
あの甘い台詞を。
アデュ、恥ずかしくなるほどの言葉で、私を愛してるって言って?
お願いだから…。