えぴそーど 60
アンドレアの父はアンリと昵懇の仲であった。
その日も城の廊下で会った2人。
アンリは彼が嬉しそうなのに気づく。
「アンリ殿!」
「これは、ハーマス殿。いやにご機嫌ですね?」
「実はですね、息子の結婚が決まりそうなんですよ」
「それは、良かったですね。で、どちらの?」
「それがですね、まだ、内密という事で…」
「そうですか…、決まったら教えて下さいね?」
「はい。もちろんですよ。いやー、これで、ようやく引退できますわ。妻とノンビリと海沿いの別荘ででも暮らしますよ」
「それは羨ましい話だ」
それだけの短い会話であった。
だが、アンリは考え込む。
やはり噂通りなのか…、と。
そして、アンリは王の執務室の前でその息子に会ったのだ。
驚いてしまった。
そうか?そうなのか?
その顔が明るくなったのは、可愛い姪を思ってのことだ。
「アンリ殿?」
アンドレアは、ここに来る前に1度王宮に寄り、アリスと会った後でここに向った。
昨夜一晩考えた彼はそうすることにしたのだ。
執務室の前で、おそらく通り掛かるであろうアンリを待ったのだ。
「これは、ヴァルファールの、アンドレア殿。どうかしましたか?」
「すみません、実は貴方を待っておりました」
「私を?」
「はい。お願いがありまして…」
「なんでしょうか?
「私を一緒に陛下の執務室へ連れて行ってくださいませんか?」
「アンドレア殿を?なぜでしょうか?」
「…、そうですよね。アンリ殿には、言わないといけませんね」
アンドレアは今朝のアリスの瞳を思い出し、力を貰う。
「私とアリス姫との婚姻の許可を頂きに、です」
「姫の?え??」
と驚いた振りをするアンリだ。
「はい、私達の気持ちは決まっています」
「私達、というのは、アリス姫も納得しているんですね?」
「もちろんです。ルイ殿下にも、快く承諾していただきました」
「そうですか、殿下も、ですか…」
安堵したアンリが、少し考えてから尋ねた。
「昨夜、陛下がこちらでお泊りだったのは?」
「実は、私達の事のご報告とお許しを頂きたいのでと、殿下が連絡して下さったのですが、用事があるからと断られまして…」
「そうですか、」
先程、会ったポポロが、突然に呼び足しを食らったことを愚痴っていた。
そこに繋がったんだな、と思う。
「なるほど、そうでしたか…」
「アンリ殿、お願いします。変にこじれる前に、私という人間を陛下に知っていただきたい。それで陛下が駄目だと仰るのならば、…」
「陛下が駄目だと、いってなら?」
「アリスと共に、ルミナスを離れます」
「離れる?」
「はい、」
今朝、アリスには相談してきた。
なんの迷いもなく、彼女は「はい」と頷いた。
自分にも迷いはなかった。
「今ほどの贅沢は無理ですが、侍女を連れての生活なら、大丈夫です。ずっとアリスには好きな絵を描いてもらうことは出来ます」
「そうですか、そこまで、話は付いているんですね?」
「はい」
アンリは力強く請け負った。
「分かりました。今すぐに行きましょう。大丈夫、意外に簡単でしょうから」
「そうでしょうか?」
「陛下だって、娘の幸せを願っているんです」
「そうですね…」
アンリがノックする。
「陛下、アンリ・スタッカードです。よろしいでしょうか?」
「入れ」
アンドレアは深呼吸をした。
「行きますよ?」
「はい」
ドアが開く。
2人は中に入った。
王はアンリの方を見てから、見知らぬ男に気づく。
そして、その男が誰かを知る。
「陛下、この者が、陛下にお会いしたいとの事でしたので、連れて参りました」
「あ、アンリ、」
少し戸惑う王の前に、アンドレアは歩み出た。
すかさず臣下の礼を取り、挨拶を始める。
「陛下、ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。私、ヴェルファール家嫡男、アンドレア。陛下にお願いの儀があります」
「いや、いい。言わなくていい」
「いえ、申し上げます。ルミナス王家第二王女アリス・カナコ・ルミナス様を、私の妻に娶ることを、何卒、お許し下さい」
そういって礼をしたまま、アンドレアはビクともしない。
「…」
王もまた、何も言わない。
「…」
「…」
アンリすら何も言わないで、時が過ぎていく。
お昼が近い時刻になる。
思わず王が言葉を発した。
「昼、だな…」
「そうですね…」
「アンドレア、食事にしないか?」
「ありがたき幸せ。しかしながら、陛下のお許しが出るまでは、ご遠慮致します」
「お前…」
また無言になる。
「…」
「…」
アンリも辛抱強く待つ。
「…」
その空気に嫌気が差したのか、それとも、負けてしまったのか…。
王はまるで独り言のように話し出した。
「アリスはな、生まれ時から可愛かった…。そうアリスは小さい時にお土産って言えなくってな、おみあげ、って言ったんだ。ワシが視察から帰ってくると、おとうさま、おみあげ!って言いながら飛びついてきたもんだ。絶対に嫁になんかやるものかと心に決めたよ。あんなに可愛い娘を、誰が他の男になんか…、あ、もちろんセーラも可愛い。当り前だ。なんたって私達2人の娘なんだからな。そう、セーラはカナコが生きている間に嫁ぐことが決まっていたから、ワシもどこかで踏ん切りが付いていたんだろうな…。けど、な、アリスはカナコがいなくなってからもずっと、側にいてくれた、…。それが駄目なことなど、わかっているんだ。なんだろうな、嫌なんだろうな…。アンリ、」
話を振られたアンリは笑うしかなかった。
「はい、陛下。なんでしょうか?」
「ワシも年を取ったな?」
「陛下、返答に困ります…」
「そうか?」
王は笑う。
そして娘の婿になる男の名を呼ぶ。
それは民の前での演説時のように堂々として大きな声であった。
「アンドレア・ヴァルファール!」
その大きな声に負けないように、アンドレアもまた、大きな声で答える。
「は!」
「アリスを泣かすなよ?絶対だ。絶対に泣かさないでくれ」
「は、私の名誉に懸けて、必ず」
「幸せに、誰よりも、幸せにしてやってくれ」
「それは、もちろんのこと」
「不自由も駄目だ。アリスのやりたいことは、やらせてやってくれ」
「その心積もりでおります」
「後だ、女は駄目だ。アリス以外の女は許さん!」
この辺りは、ルイに言っていることと違うが、王は気づいていない。
「当然です」
「それから…」
アンリが思わず、止める。
「陛下、その位でいいのでは?」
あの赤紅の瞳が涙で溢れている。
「う、分かった…。とにかくだ。アンドレア、アリスを頼む」
「はい、陛下。一生仲睦まじく、アリスが望むように、陛下と妃殿下の様に仲良く暮らします」
「そうか、アリスはそんな事を、お前に言ったか…」
「はい。今朝、陛下のお許しを乞うて来ると伝えたら、そう伝えて欲しいと言われました」
「うん、そうか…」
王が慌てて涙を消す。
アンリもアンドレアも、優しく見守った。
「さぁ、昼だ。皆で食事にしよう。王宮に連絡を。ルイとセーラも呼んでくれ」
「畏まりました」
「ありがとうございます」
「アンドレア、ワシと一緒に王宮へ行こう。道すがら話がしたい」
「喜んで」
王は立ち上がり、アンドレアの肩を叩いて誘った。
「今日は空が高いな」
「もうすぐ冬ですので、空気が冷たくなる前兆でしょうか」
「そうかもしれんな」
2人はボツリボツリと喋りながら王宮へと向った。




