えぴそーど 47
そのアンドレアの瞳は嬉しそうだった。
「アンドレアさん?」
アリスの紫紺の瞳が不思議そうに彼を見た。
アンドレアはアリスの前で、初めて恥ずかしそうな顔をしたのだ。
そう、彼は少し恥ずかしそうに話し出した。
「あの、姫。もし良かったら、姫の使う絵の具を、私に買わせていただけませんか?」
「絵の具、を?」
「はい」
「別にいいけれど、…、でも、どうしてなの?」
まだ恥ずかしそうにしている。
「私はね、ああ、これを言うと変な奴だと思われるので、あまり人には言わないんですよ…。恥ずかしいなぁ。笑わないで下さい?」
「ええ、笑わないわ」
「約束ですよ?」
「笑いません、ってアンドレアさん、子供みたいよ?」
「だって、恥ずかしいんですよ。実は、ね…、私は絵の具の匂いが好きなんですよ」
「絵の具の、匂い?確かに匂うけど、あの匂いを?」
アリスが怪訝そうに言うので、アンドレアは困ったように話を続けた。
「変ですよね、そうなんですよ。けど、なんだか落ち着くんですよ。だけど私は絵を描かないでしょう?だから、ね、画材店に通っても何も買わないで帰るって、変なんですよ。いつも変な顔をされてしまって困ってたんです。なので、姫の絵の具を買うという口実を、私に与えて下さい。お願いします」
アンドレアはまるで小さな子供がおねだりをするように、アリスに頼むのだ。
そんな彼を見ていると、断れないのだ。
心が温かくなって、目の前が明るくなって…。
アリスはそんな自分が不思議だった。
「アンドレアさん、分かったわ。私、お言葉に甘えます」
「本当ですか?」
キラキラとした瞳がアリスを見詰める。
「はい、本当です」
「良かった、これで、堂々と店に通える…」
素に戻って、安心してる姿を可愛いと思ってしまう。
胸がキュンとした。
自分よりも年上の男性を可愛いって思うなんて、どうしていいのか分からなかった。
「あの奥のコーナーが1番良いんですよ」
「あこは1番高い絵の具ばかりなのよ?」
「だからですかね…」
「そうなのかしら…、ねぇ、アルホートでは、どうしてらしたの?」
「友人が絵を描いたものですから、そいつの家に遊びに行きました」
「そうなの…」
自分の知らないアンドレアの時間に、少しだけ胸が痛んだことには、目をつぶったアリスである。
「ねぇ、けど、私の欲しい色、わかりますか?」
「あ、そうですね…、では、一緒に行きましょうか?」
さらりと言うのだ。
その余りにもさり気ない誘いに「はい、」とアリスは答えてしまった。
答えてから、気がつく。
「あ、それは、アンドレアさんと2人なの?」
「い、いえ!姫と2人きりなんて…。どなたかが、いらしてくださっていいんです」
「あ、はい…、けど、」
「なんでしょう?」
「この間の時は、2人きり、でしたよね…」
「そ、そうでしたね…」
初対面から、2人きりだった。
しかも、アンドレアの手がアリスの肩に触れたのに、少しも嫌ではなかったのだった。
あ、とアリスは思った。
「店の前で待ち合わせませんか?そうしたら、中でご一緒するだけで、アンドレアさんには迷惑が掛からないもの、そうでしょう?」
と嬉しそうに、でも、少し自慢げに言うのだ。
その度に美しく結い上げた髪に付いた飾りが揺れて、アメジストが輝く。
それはアンドレアの目を真っ直ぐに見詰める紫紺と同じ色だ。
その瞳に彼の心は吸い寄せられる。
すでに彼の心の中にはアリスが住んでいた。
その事に気づいてしまったのだ。
この瞳を拒める人間がいたなんて…。
アンドレアは認めざるを得なかった。
私は、きっと、彼女に恋をしたんだな。
姫だろうが関係ない。
1人の女性として、愛しいんだ。
眩しかった。
アリスの全てが眩しかった。
けれども、だ。
わかっている。
言葉にしてはいけないことぐらい。
彼は、そう悟った。
けれども、いや、だからこそ、彼女の申し出を受けることにした。
「はい、喜んで。それならば、明日にでも行きませんか?」
「ええ、楽しみだわ」
そう答えるアリスが愛しかった。
けれども、よき友人として彼女の隣にいよう、と思うのだ。
しばらく、しばらくの間だけだ。
側にいよう。
アンドレアはそう決めた。
帰りの馬車でアリスがアリエッタに告げる。
「では、明日は?」
「そうなの、アンドレアさんがね、画材屋さんに一緒に行きませんかって誘って下さったの」
「御供致しますね?」
「もちろんよ。アリエッタにも来て貰わないと、私、行けないもの」
「畏まりました」
楽しそうに話すアリスの姿を見て、アリエッタは新しい恋が芽生えようとしているのを感じた。
今度は上手く行くように…、カナコ様、お願い致します。




