えぴそーど 46
それから、アリスのスケジュールの中にグレイスのサロンに行くことが組み込まれるようになった。
「姫様、今日もお美しい」
「まぁ、お世辞がお上手だわ?」
「お世辞など…」
「さようです、姫はルミナスの華ですから」
「そ、そんな…」
今日はルミナスの貴族の子弟達に囲まれてしまう。
彼等の言葉に少し困惑しながら返事をしてしまうのだ
自分のことを褒めてくれる会話にようやく慣れてはきたが、それでも何か落ち着かない。
「姫は謙虚ですね、」
「いえ、奥ゆかしいのですよ」
「そうですね、そこが、また、素敵だ」
「そんなこと、ないんですよ」
「いえいえ、素敵です」
やっぱり困ってしまう。
そんな時、すっとアンドレアが会話に参加してくれる。
「そう言えば、薔薇が見ごろですね。姫、あの黄色の薔薇をご覧になりましたか?」
「いいえ、まだなの」
「グレイス殿の自慢の1品だそうですよ、どうですか?」
「ぜひ!」
アンドレアは微笑むと他の男性に断りを入れるのだ。
「では、数分だけ、姫を独占させて下さいね。すぐに戻りますから」
「あ、直ぐに戻ります…」
「お気になさらずに、気長にお待ちしてますよ」
「ああ、我々は乾いた咽喉でも潤そう」
取り残された男性たちがどう思っているのかなど気にも留めずに、2人は庭の真ん中にある薔薇を見に行った。
そんな時間が過ぎて行く。
サロンでは決して1人の男性とだけ話すことは無かった。
色々な年齢の男女と話すように心がけていたからだ。
だけど、やはりアンドレアとの会話が1番楽しかった。
そんな日々はアリスの心を開いていったのかも知れない。
また別の日もである。
アリスは彼との会話を楽しんでいる。
「この頃、アンドレアさんとばかり話してる気がするのよ?」
気のせいなのだろうか。
アンドレアと2人でいる時は、誰も邪魔が入らない。
特にこの1週間はそうだった。
その問いに、急に、真剣な赤紅の瞳がアリスを見詰めた。
「私が、スタッカード夫人にお願いしているとしたら、姫はどうしますか?」
そのいつもと違う声に、アリスは戸惑った。
「え?どうして、私に聞くの?」
静かな赤紅の瞳の中に、僅かな寂しさ現れた。
「姫を…、」と言葉が出掛かったのに、アンドレアは押し留まった。
さっとさっきまでの瞳が消えて、いつもの優しい赤紅が戻った。
「いえ、冗談ですよ、冗談」
「まぁ、アンドレアさんって、ヒドイわ!」
「すみません、けれど、姫が真剣に話を聞いてくださるから、からかってみたくなったんです」
「ヒドイ!もう、アンドレアさんとはお話できないわ」
アリスも冗談で返したつもりでいった。
なのだが…。
「それは弱った。私は姫と話すのが楽しみで通っているのになぁ…、もうここには来れないなんて…」
と、アンドレアは途方に暮れた声で言うのだ。
「あ、い、今のは、冗談なんだから…」
慌てるアリスを見て、微笑ましくなるアンドレアだから、また少しからかってみた。
「おや、姫でも冗談を言うのですね?珍しいなぁ」
「だって、アンドレアさんのがうつったのよ。いつも私の事、からかうから…、これはお返しなんだから…」
アンドレアに対してすっかり打ち解けた口調になっているアリス。
その事を彼女自身は気付いていないようだった。
が、彼は気付いている。
その事が、嬉しかった。
「これは、私が悪かったですね、すみません」
「分かってくだされば、いいの」
ちょっと棲ました顔でアリスが許しを出す。
「ハハハ、姫には叶わないなぁ」
「もう、アンドレアさんったら…」
スタッカードの庭が優しく2人を見守った。
また、別の日のこと。
アンドレアがアリスの絵について話を聞いている。
彼女は自分の絵のことを、正直に話した。
「凄いなぁ、カフェ・マリーのあの絵は、全て姫の作品だったなんて…」
「けどね、作者はルミナス郊外の商家の娘ってことになっているの」
「じゃ、姫が作者だってことは内密なのですか?」
「そうなの。内密。だってマリー伯母様がそうしなさいって仰るのよ」
益々打ち解けた会話になっている。
「それはマリーさんが正しいですよ。姫が作者って知れ渡ってしまうと、大変なことになりますからね?」
「ほんとうかしら?」
「はい。姫の絵を買い求める客が、城を囲んでしまうくらいに行列ができます。きっと何重にもお城を囲んでしまいますよ」
「まぁ!アンドレアさん、それは冗談よね?」
アンドレアが笑う。
「ばれましたか?」
「もう!そうやって、からかって楽しんでるんでしょう?」
「そんな事ないですよ。だけれど、あの絵を欲しがっている人は大勢いるでしょう?」
アリスの言葉が変わってしまった。
「そう、そうなの…、」
ふっと、思い出すのだ。
ガナッシュに帰った彼を。
そんな些細なアリスの変化をアンドレアは気にした。
「どうかしましたか?」
そう、アンドレアさんに聞いてもらおう。
そうアリスは思ったのだ。
スティーヴとの事を聞いてもらいたかったのだ。
いつもの様に、凛としてアンドレアの瞳を見た。
「私、アンドレアさんに大切な絵を描いたって、話をしたでしょう?」
「ええ聞きましたね」
「とっても大切な絵だったのよ、あの絵。実はね、私が好きになった方に差し上げた絵だったの」
アンドレアの顔が少し曇った。
「姫が好きに…、そうですか…」
けれど、アリスは気づいていないみたいである。
視線はアンドレアから逸れ、どこか遠くを見ているようになる。
「そうなの。凄く良い方で、お強くて、海がお好きで、…」
ようやく結末をアンドレアに告げる。
「あ、けど、ね。結局、私は振られたの」
「姫が?」
「そうなの。その方は私よりもガナッシュが良かったのね、きっと」
アンドレアはアリスから視線を逸らして、それから、まるで独り言のように話し出す。
「そんな男がいたんですね…、あ、なんだろう、上手くいえなくて、すみません」
アリスはアンドレアの言葉を変だと思った。
だいたい、どうして謝るのかが分からなかった。
「アンドレアさんが謝るなんて、変じゃない?」
「そう、かなぁ…、いや、姫の気持ちを傷つけたんじゃないかと思ったんですよ…」
優しい人だと思う。
「そんな事ないから、大丈夫」
「そうですか、なら良かった。で、その人は姫の絵を受け取ったのですか?」
「ええ、私の絵を好きって言ってもらえたわ。彼のために一生懸命に描いたから嬉しかった、の」
「そうだったんですか…」
「けど、絵は受け取ってもらえたけど、私は駄目だったの」
アリスが悲しげに微笑む。
アンドレアの心がチクンと痛んだのだ。
アリスの中にいる見知らぬ男に、嫉妬していた。
「じゃ、あの時以降、絵の具を買いに行ってないんですか?」
「あ、そうね。行ってないわ。けどね、そろそろ、新しい絵を描きたいから、近々伺おうかしら…」
アンドレアの瞳が輝いた。