えぴそーど 35
そんな事が話されているとも知らないアリス。
彼女は、葬儀の後も丘の上に戻り、絵を仕上げていた。
新しい絵の具は、アリスに力を与えてくれるかのように軽快に滑り色づけていく。
今まで使った事ない色達が、キャンパスに色彩を奏でるかの様に彩られていった。
慎重に筆をキャンパスに乗せ、滑らせていく。
一筋の風を描上げた。
絵が動き出すかの様な、そう命が吹き込まれたのだ。
完成だ。
アリスは、ふーっと息を吐き、呟いた。
「出来たわ…」
それは丘の上ではなかった。
行ったこともない、見知らぬ土地。
そこに立ち、遠くを見詰めているのはスティーヴ。
海からの風を受け服が揺らめいている。
彼が見詰める先には、何があるのだろうか?
出来上がった絵を見たアリスは決心する。
結果がどうであれ、自分の想いを伝える。
そう心を決めた。
心穏やかな自分に気づく。
だって、私はお母様の子供だもの。
ねぇ、お母様。私、それで良いんだと思うの。
それで良いでしょう?
急に、彼女の頬に暖かい風が触れた。
まさか、と思う心と、お母様だわ、と思う心。
ううん、きっと、そう。
お母様が見てくださっているんだわ。
見ててね?
私、ちゃんと前を向くから。
ちゃんと、お母様との約束を守るから。
ドアが開いた。
心配してずっと側にいてくれたアリエッタが、お茶を用意して部屋に入ってきた。
「アリス様、どうですか?」
「見て、アリエッタ。描けたの」
「では、」
とアリエッタがその絵を見た。
「まぁ…」
と言ったまま、立ちすくむ。
今までにないアリスの色使いに、その決意を感じ取る。
「どうしたの?」
「いえ、ただ、お決めになられたんですね?」
「うん、決めたの」
「お別れするんですか?」
「それは変よ?私が一方的に好きになってしまっただけで、スティーヴさんは、私の事、なんとも想ってなかったんだもの」
「…」
アリエッタはお茶をアリスに勧める。
「ありがとう」
「アリス様、お強くなられましたね?」
「そう、かしら?けどね…、」
「はい」
「お母様との約束を思い出したの」
「カナコ様との約束ですか?」
「うん」
といってアリスはあの日々を思い出す。
母が寝付いてしまった頃だ。
まだ子供だったアリスはルイと競うように母のベットに上ったものだ。
だけど、あの日はアリスが1人だけで母のベットに上り、抱きしめてもらったときのこと。
なんの話をしていたのだろうか、それは忘れてしまったが、母の言った約束だけは覚えている。
『アリス。お母様ね、アリスに約束して欲しい事があるの?』
『なあに?』
『アリスは美しい生き方をしてね?分かるかしら?』
そういって母はアリスを優しく見詰めた。
幼かったかった頃には思い返すことも少なかった約束だったが、今回のことで心に染みるほどに思い出したのだ。
「お母様がね、美しい生き方をしてね、って仰ったの」
「美しい生き方、ですか?」
「そう。何のことか分からなかったけれど、でもね、思い出すと強くなれるの。お母様はきっと誰のせいにもしないで、ちゃんと前を向いて生きていきなさいって、言いたかったんだと思う。私の生まれが王族だから、ちゃんと自分を律しないといけないものね」
アリスの言葉は、穏やかであったが逞しかった。
「そうですか、美しい生き方、ですか…。素敵な言葉ですね」
「本当ね。まるでお母様の生き方のようだわ」
「そうですね、カナコ様ほど、美しく生きられた方はおいでませんもの」
「アリエッタも、そう思う?」
「はい、私もエイミィも、カナコ様は憧れの存在でしたからね」
アリスは微笑んだ。
「ありがとう、嬉しいわ」
アリエッタは少し下を向いてしまった。
「どうしたの?」
「いえ、言っても仕方なのですが、…」
彼女の目は潤んでいた。
「カナコ様がいたら、きっと、お褒めになられました。ご立派だと、アリス様を…」
珍しく彼女が言葉を詰まらせた。
アリスは、やっと気づいたのだ。
アリエッタがどれだけ心配してくれていたかを。
気づけば、物心ついた時には既にアリエッタが側にいた。
いつも優しく、いつも穏やかで。
時々はセーラと一緒に怒られたりもしたのだが…。
それでも、アリエッタはいつも見守ってくれていた。
お母様がジョゼのこと、身内よりも近いの、と仰っていたけど、アリエッタだってそうだわ。
私って、気づくのが遅すぎ…。
アリスは自分の間抜け加減に呆れる。
「アリエッタ、心配掛けて、ごめんね?」
「アリス様、そのような…」
「いつもありがとう。けどね、もう大丈夫だから。ちゃんとお別れできるからね?」
「はい、…、」
アリエッタは慌てて涙を拭うと、にっこり笑った。
「陛下にも、ちゃんとお伝えくださいね?」
「うん、終ったら、ね」
アリエッタは娘に翻弄される王に、少し、同情してしまった。




