えぴそーど 29
ようやく首が据わりそうなジュリアンは、今日もご機嫌のようだ。
「ば、ば、」
その声を聞いて、アリスが大きな声で姉を呼んだ。
「まぁ!ジュリアンが喋ってる!お姉様!」
「驚かなくていいのよ、アリス。ご機嫌だからお喋りするの」
「そうなの?」
「そう」
すっかり落ち着いて母になったセーラは、慣れた手つきでジュリアンを侍女に預けて、アリスを見る。
気のせいではない。
明るく振舞っていても、どこか暗いのだ。
「どうしたの?元気ないわね?」
「うん…」
アリスはどう話していいのか迷っている。
セーラはアリスが話しやすいように話を変えた。
「今度、ハイヒットの家にお爺様とお婆様を訪ねるのよ。アリスも来ない?」
久し振りの母の実家だ。
そう言えばお爺様とお婆様にも会っていない。
アリスの瞳が輝いた。
「うん!伺うわ」
「良かった。じゃ、後で日程を知らせるから」
「はい、お姉様!楽しみだわ。お会いするのは久し振りだものね」
少し元気が出た妹に安心する。もう少し話を変えようと思う。
「ルイは元気なの?」
「ええ、元気。けど、なんだか忙しいみたいで、時々、帰ってこないこともあるの」
「あら、そうなの?」
「うん。でもね、お父様が平気にしてるから、私も余り追及しないことにしてる」
「そうね、ルイにはルイの考えがあるんだろうから」
そのまま、妹は黙ったままになる。
彼女が口を開くまで、姉は待った。
覚悟を決めたのか、ようやく妹が口を開いた。
「ねぇ、お姉様?」
「なあに?」
「私、わたしね…」
そういったアリスの瞳から涙が零れた。
泣き慣れている、そんな涙だった。
思わず妹の肩にそっと手を当てた。
「私、もう、スティーヴさんが、分からないの…」
あの、夫が言った言葉が思い出される。
まるで主と護衛のようだ、と言った言葉が。
「そう…」
「優しいの、とっても、優しいのよ。時々ね、一緒にお茶飲んだりするんだけど、ね…。話も楽しいし、笑ったりも、ね、するのよ…」
「うん、そうなのね?」
「けどね、なんだろう…、それだけなの。それ以上には、なれないの…」
「そっか、…」
「なんだろう…、なんか、私だけが、好きみたいなの…」
まさかスティーヴがアリスに好意を持たないなんて、セーラは思っても見なかった。
驕り、なのかしら…。
セーラはそう思う。アリスが好意を持った時点で、スティーヴさんだってアリスのこと好きになると思い込んでいた。
けれども、夫の言う通りにただの主と護衛としか彼が思ってないとしたら?
彼女はアリスの手を握った。
「ねぇ、アリス?」
「うん…」
「アリスは、スティーヴさんが、好きなのね?」
「うん」
「なら、ちゃんと伝えなさい?」
けれどアリスは首を横に振った。
「それは、…、いや」
アリスは自分からは言えなかった。
どうしてだろうか?
プライドだろうか、それとも、相手から告白されたいという些細な憧れだろうか。
「だけどね、このままでいいの?」
「…」
「それに、スティーヴさんはガナッシュに戻るつもりでいるとしたら、」
途端にアリスが顔を上げて、姉に抗議する。
「姉様、スティーヴさんは戻らないわよね?ずっとルミナスにいてくれるわよね?」
「アリス、それは分からないわ。それは、スティーヴさんが決めることだもの。けれど、」
姉は思う。
彼は、もう、戻ると決めているのかも知れないと。
「アリス。貴女、後悔してもいいの?」
「後悔って?」
「このままで、もし、スティーヴさんがガナッシュに戻ってしまったら、それで、何もなかったように暮らせるの?」
「姉様…」
「お母様なら、きっと、自分の想いを告げなさいって言うわよ」
「けど、怖い…」
「断られたら、泣けばいいじゃない?」
「いや、出来ない…」
小さくため息をついたのはセーラだ。
過保護に育ってしまったのは、どうやらアリスの方だ。
ただ待っているだけでは自分の人生は切り開けないというのに。
「そうね、良く考えなさい。スティーヴさんは、まだルミナスにいるんだから」
「うん…」
涙を魔法で消すアリスの姿を見ながら、恋をするって難しいのね、と思うセーラだ。
それから、最近忙しい弟の話も聞かなくては、と思った。
一番上の姉は、2人の母代わりでもあるのだ。
セーラはフッとため息をついた。
あの子、どこで何をしてるんだか…。