ユキドケミズ
それから何ヶ月かをかけて、雪だるまは数百メートルほど沈んでいきました。植物の根っこに出会うことも、他のみみずに出会うこともありませんでした。あたりは完全にまっくらになり、すでに視界はほとんどなくなっていました。
「ありゃー。そろそろ地上にでることは、諦めたほうがよさそうだなー」
雪だるまは、いつもの明るい声でつぶやきました。しかしそれを口にした瞬間、自然と涙がぽろぽろとこぼれおちました。
「んー?あれれー?」
雪だるまは、はじめは自分が泣いていることに気がつきませんでした。泣いていることに気がつくと、なんで自分は泣いているのか不思議に思いました。例えもう地上に戻れなくても、彼女にあえなくても、悲しいとか、そういう気持ちは一切ないつもりでいたからです。女の子は自分にたくさんのものをくれましたし、悲しいはずなんてありませんでした。
雪だるまは涙を紛らわせるために、女の子のことを思い出すことにしました。彼女一緒にすごしたかまくら。彼女と一緒に食べたみかん。彼女と一緒に歌ったうた。
そう。雪だるまは生まれた瞬間から、ずっと彼女と一緒でした。同じ場所にいて、同じ時間をすごしました。今となってはすべてが夢みたいだけれども、それは本当にあったことで、それは本当に夢みたいに楽しかったことでした。
「あの子は自分のことを覚えてくれているかなあ。あの子もこんな風に、自分のことを思い出したりしてくれるかなあ。あの子が自分のことを思い出してくれて、自分があの子のことを思い出しているのなら、それは今は一人だけれども、きっとさみしくない気がするねー」
それからさらに長い年月をかけて、雪だるまはさらに深く沈みこみました。どれだけ時間がたったのか、どれだけ深いところまで沈んだのか、雪だるまにはもう全然分からなくなっていました。ただ、もはや取り返しがつかないくらい、深い場所にいることだけは、分かりました。
これから自分がどうなるかも分かりませんでした。感情がどんどん希薄になってしまっているのが、自分でもよく分かりました。ただ、感情などまともに持ち続けていたら、こんな寂しい場所で正気を保つことは難しかったことでしょう。それは雪だるまにとって、仕方のないことでした。
雪だるまは女の子のことを思い出しても、もう涙は出なくなっていました。それはもう、自分にあったこととは思えないほど、遠くにある出来事のように思えたからです。あんなにも繰り返し頭に描いた女の子のわくわく笑顔も、きれいな黒髪も、もはやすべてがおぼろげで、記憶の中で暗く影がかかっていました。
希薄になる感情のなかで、最後に残った強い感情は、単純にとぎすまされた恐怖でした。自分はこれからどうなってしまうのだろう。この寂しい世界の中で、あとどれだけの時間を過ごさなければならないのだろう。そもそも終わりはあるのだろうか。死ぬことすらできないのではないだろうか。そんなことを考えては、恐怖で頭が狂いそうになっていました。
雪だるまは、恐怖に耐えきれず大声で叫ぶことがありました。でも、そんなものは、この世界で誰一人として聞いてはいませんでした。その質問に答えてくれる人もいませんでした。
雪だるまは、ただ恐怖に身をまかせるしかなく、何に怯えようと、何を叫ぼうと、そんなこととは無関係に、沈んできくことしかできませんでした。
いまとなってみては、雪だるまはの唯一の希望は、みみずが話してくれたマントルの存在でした。あらゆるものを燃やしつくすというマントルであれば、この不毛で苦しい時間を終わらせることができるかもしれません。熱いのはいやでしたが、この苦しみが続くことを思えば、まだ我慢できそうでした。雪だるまはマントルがどういうものかはうまく想像できませんでしたが、自分の意識が無に帰る瞬間を想像するだけで、心がすこしだけ安らかになりました。
さらに長い時間がたちました。雪だるまの状況に、変化がありました。沈んだ先にお盆の形をしたかたい岩盤があり、そこにすくわれる形になったのです。岩盤はとても熱く、もしかしたらこの下にマントルというものがあるのかとしれませんでした。しかし、岩盤にはばまれてしまっているので、これ以上沈むことはできなくなりました。
雪だるまはいよいよ観念しました。そして、もう何もかも考えるのはやめてしまおうと思いました。なんの希望もないのであれば、何かを考えることは苦痛でしかありませんから。女の子の顔も声も、どんなことを話したのかも、すべて忘れてしまいました。それを失った自分の記憶には、もう価値がない。もういい。終わりにしよう。
雪だるまはついに、すべての意識を開放しようとしました。
しかし、そのときのことです。雪だるまの頭の中で、突然と火花がパチリとちりました。火花は一瞬だけ、女の子の笑顔をうつしだしました。
「…え?え…!?」